熱海温泉つくも神様のお宿で花嫁修業いたします

 


「いつまで神頼みしてるんだ、早く行くぞ」

「え……っ。あ……す、すみません!」

 結局、花はなんの願いごともできずに本殿をあとにすることとなった。
 そのとき、すれ違いざまに一組のカップルの会話が耳に入って、ふと後ろを振り返る。

「ねぇねぇ、例の大楠、あっちだって!」

 例の大楠──とはもちろん、樹齢二千百年の大楠のことに違いない。
 大昔から熱海の街を見守り続けてきた大樹。
 花はぽん太に話を聞いてからというもの、大楠を見るのをとても楽しみにしていた。

(でも……)

 大楠を見に行きたい。
 しかし同時に思い出すのは、先程の八雲の冷たい言葉と態度だった。
 八雲のことだ。きっと本殿への参拝が終わったあとは、本来の目的である弁天岩への挨拶を済まそうと考えているに違いなかった。

(樹齢二千百年の大楠を見るのは、きっと一番最後だよね……)

 花は思わずチラリと、八雲の様子を窺った。
 すると花の視線に気がついた八雲は、眉根を寄せてから小さく溜め息をつくと視線を本殿の向かって左側へと滑らせた。

「……仕方がない。先にそちらへ行くか」

「え……」

「別に、急いで弁天岩のところへ行く必要もないしな。……大楠を見るのを、お前なりに楽しみにしていたんだろう?」

 八雲はそう言うと、フイ、と顔を逸らしてしまう。
 それが照れ隠しからくる仕草だと、鈍い花も流石に気がついた。
 八雲も八雲なりに、先程、不躾な言動をしてしまったことを反省していたのだ。
 そんな八雲を前に表情を明るくした花は、「はいっ!」と元気に返事をして頷いた。

「……さっさと行くぞ」

 そうしてふたりは踵を返すと、大楠へと続く細道へ足を向けた。
 八雲の思いを肌で感じた花の足取りは、先程までとは違って軽やかだ。

(八雲さんも、大概素直じゃないよね)

 けれどそれは口には出さない。
 花自身も自分が素直になれない性格なのを重々理解しているのでお互い様だ。