「……仕方がないだろう、そうでもしないと弁天岩が納得しない」

 歯切れ悪く言う八雲に対し、花はフンッと鼻を鳴らすとほうき片手に仁王立ちした。

「私も行きます」

 堂々と宣言した花を前に、今度こそ八雲が狐につままれたような顔をする。

「仮にもし八雲さんひとりで行って、私が本当は八雲さんの嫁候補ではないとバレたら、ここにいられなくなって地獄行きになるのは他でもない私自身なんですから」

 要はすべてがバレたときに、誰が一番迷惑を被るかという話だ。
 八雲は、「じゃあ今度は本物の嫁探しをしなきゃね」で済むかもしれないが、花は地獄行きを避けられない。

「だから、私も行きます。ダッシュで支度してきますから、絶対絶対、ぜーーーったいに待っててくださいね!」

 念には念を入れて、ぽん太と黒桜に八雲を見張っているよう言付けた花は、急いで服を着替えに自室へと向かった。
 現世に出掛けるのは、ぽん太とちょう助と一緒に熱海観光をして以来だ。
 静寂に包まれた廊下には性急な足音がよく響き、窓の外では相変わらず鶯が鳴いていた。


 ♨ ♨ ♨


「まだ少し肌寒いですね……」

 初めてつくもに訪れた際に着ていた服に、約一ヶ月ぶりに袖を通した花は、迷った末にコートを置いて自室を出た。
 久方ぶりの現世では春の陽気が気持ちよく感じたが、時折吹く海風は冷たく頬を撫で、まだ春と呼ぶには尚早(しょうそう)であった。

「三月も始まったばかりなのだから、風が冷たいのは当然だろう」

 身震いする花を見て呆れたように息を吐いた八雲は、着ていたライダースジャケットを脱ぐと花の肩へと無造作に乗せた。

「え……ダ、ダメですよ! これじゃあ八雲さんが寒いです!」

 花は慌ててジャケットを返そうと見上げたが、八雲は視線で拒絶を示すとフッと口元に笑みを浮かべて言葉を続ける。

「いいから、着ていろ。ただでさえつくもは人手不足なのに、風邪でも引かれて仕事を休まれたら敵わないからな」

「……っ、」

 不意打ちの笑顔に、花の頬には赤が差した。
 傘姫の一件があって以降、八雲はこうして時折笑顔を見せるようになったのだが、花はそれに慣れるどころか意識ばかりして上手く受け流すことができない。

(滅多に笑わない人が笑うと、こんなにも破壊力があるなんて知らなかった……)

 高鳴る鼓動に気がついた花は、赤くなった顔を隠すように視線を落として「ありがとうございます……」と呟いた。
 肩にかけられたジャケットを手繰り寄せると、八雲のまとうムスクの香りが鼻先をかすめて余計に頬が熱くなる。

(まるで八雲さんに抱き締められているみたい……なんて)

 心の中でひとりごちた花は、チラリと八雲の整った横顔を見上げた。
 そもそも、八雲も私服に着替えてくるとは予想外だった。
 現世に出掛けるのだから当然といえば当然なのかもしれないが、初めて見る八雲の洋服姿も破壊力が並ではない。