「それで、〝用事〟って、また雪乃関係?」
「まあな。今朝、頼まれちまって」
 頬を人差し指でかきながら、苦笑交じりに正解と告げる。
 それで夏希はあきらめてくれたのか、「はいはい、ごちそうさま~」と投げやりに言いながら、手をひらひらと振った。どうでもいいけど、のろけ話でも聞いたかのような反応をするのはやめてほしい。
「雪乃ちゃんって、あれだろ? 大和の幼馴染み。本当にマメだよな、大和は。甲斐(かい)甲斐(がい)しいっつうか、なんつうか」
「こういうのは、単に尻に敷かれているって言うのよ。本当に、すっかり雪乃の忠犬ポジションが板についちゃって……。情けないったらありゃしない」
「いやいや夏希よ、そこはあれだろ。大和としては、上に乗られたその重みがまた気持ちいい的な? たとえ尻に敷かれようとも、頼りにされることに喜びを感じるんだって」
「それって、ただのドMじゃない。本気でそんなこと思っていたら、ちょっと引くわ」
「……さっきからお前ら、言いたい放題だな!」
 黙って聞いていれば、好き勝手言ってくれやがって。
 とくに夏希、誰が忠犬でドMだ! 俺は雪乃のペットじゃねぇ!
 あと洋孝も、〝オレはわかってるぜ!〟的な理解者(づら)でサムズアップしてくるな。その親指へし折るぞ!
 さっきの「いろいろ助かるな~」ってやつ、取り消す。こいつらといると、余計なことを考えるヒマもないくらい疲れる!
「ともかく! そういうわけで、今日は無理! わかったか!」
「はいはい、わかりました。あなたは、心行くまで雪乃の尻に敷かれてきなさい。ミルキーウェイのスコーンは、私と洋孝のふたりでいただいてくるから」
「マジでか! よっしゃ!!」
 夏希の仕方ないといった感じのセリフに、洋孝が人目も(はばか)らずガッツポーズを決めた。つい数十秒前まで人をおもちゃにしていたことも忘れて、幸せ絶頂の喜色(きしょく)満面(まんめん)だな。本当にわかりやすいやつだ。
 けどな洋孝、今のお前、夏希への好意がだだ漏れだぞ。ここまで露骨(ろこつ)だと、さすがにバレるんじゃないか?
 夏希の様子を、そっとうかがってみる。
「あら、意外ね。洋孝、そんなにスコーン好きだったんだ」
 うん、普通に大丈夫そうだな、これ。洋孝が喜んでいる理由を、明後日の方向に勘違いしていた。心配して損した。
 にしても、なんなんだろうな、この優等生。ヒロイン特性みたいものを兼ね揃えているくせに、鈍感さだけはラブコメの主人公並みだ。ここまで露骨にしても気づいてもらえんとか、逆に洋孝が不憫(ふびん)に思えてきたぞ。
 と、そんな漫才じみたやり取りを見ている間に、本鈴のチャイムが鳴った。
 チャイムが鳴り終わると同時に教室へ入ってきた担任が、「席に着け~」と言いながら、教壇(きょうだん)に立つ。
 ガヤガヤと騒いでいたクラスメイトたちも、そそくさと自分の席に着いていった。俺たちの雑談も、ここで打ち切りだな。
「じゃあね、大和。またあとで。洋孝も」
「おう。お互い頑張ろうぜ」
 俺が応えると、夏希はトリップしたままの洋孝を放置して、軽く手を挙げながら足早に去っていった。
 これからテストだというのに、余裕さえ感じられるな。
 まあ、あいつの実力なら当然か。本当に、なんでこんな中途半端な進学校にいるのか、不思議でならない。
「――ああ、模試か……。なんでこの世には、模試やらテストやら余計なものがわんさかあるのかな……。神様は、そんなにも俺を補習漬けにしたいのか」
 一方、いつの間にか現実に戻ってきたらしい洋孝は、力なく天を仰いでいた。担任が来たことにも気づいていないのか、自分の席に戻ろうとする気配さえない。
 こいつの学力は、テストの度に赤点ラインのギリギリ上を低空飛行しているレベルだからな。期末と模試のダブルパンチで、相当こたえているのだろう。
 ちなみに俺の学力は、どうにか平均点レベルを保っているので、まだ大丈夫!
「文句言うなよ。いいじゃないか。それが終われば、楽しい放課後が待っているんだからさ。それに、模試に赤点はないから補習もないぞ。――あと、席戻れよ」
「あ、そっか。補習ないじゃん! ラッキー!」
 俺がフォローしてやると、洋孝はうれしそうに笑い始めた……その場で。席戻れって部分、聞いちゃいないな。
「んじゃ、サクッと片づけられて、放課後に備えるか!」
「いや、〝片づけられて〟ってお前……。そこは嘘でも〝片づけて〟って言えよ」
「おいおい大和~、あんまりオレを見くびるなよ。相手はこの間の期末テストよりも難しい模試だぜ? やつらの手にかかれば、オレなんて速攻で一捻(ひとひね)りだ。抵抗するヒマもないくらい瞬殺だぜ!」
 洋孝がとても男前な顔で、びっくりするほどへたれたことを言いやがった。
 ある意味名言だな。すっかり自分の席に着いたクラスメイトたちが、尊敬の眼差しで洋孝を見ている。こいつ、将来かなりの大物になるかもしれない。
 ちなみに洋孝の意中の人であるところの夏希だけは、呆れた様子で首を振っている。残念だったな、洋孝。
 そんな妙に静まり返った空気の中、大きな咳払(せきばら)いが教壇の方から響いた。洋孝と揃って教室前方へ目を向ければ、担任が微妙な表情でこちらを見ていた。
「チャイムが聞こえなかったのか。くだらないことを言ってないで、お前もさっさと席に戻れ、碓氷。話が始められん」
「あれ? 先生、いつの間にそんなところに。気配殺して教室に入ってくるとか、先生もやりますね。全然気づかなかった!」
 洋孝が無邪気な笑顔で、担任に「ナイスです!」とサムズアップしてみせる。さっきも俺に向かってやってきたが、これはこいつの(くせ)のようなものだ。一日に最低でも五回くらいやっている。
 一方、洋孝からお褒めの言葉をもらった担任は、少し後退気味の額に手を当てて、ため息をついていた。……ちょっとかわいそうに思えてきた。
「お前、そろそろおとなしく席に戻れ。その、なんというか……気の毒だ」
 ちらりと先生にいたたまれない視線を送りながら、洋孝に促す。
「おう、そうだな! んじゃな、大和」
 俺の言葉の意図を読み取ったわけではないだろうが、洋孝はさわやかな笑顔を残して去っていった。自分は空気読めないくせに、周囲には「仕方ないな」と思わせる空気を作ってしまえるところが、あいつらしい。
 ともあれ、洋孝が席に戻る間に、担任も心を切り替えることができたようだ。よどみなく、模試の時間割や注意事項を伝えてくる。
 それを聞きながら、俺は手早くテストを受ける準備をした。