天根(あまね)市立山住(やまずみ)高校。俺の家から自転車で十五分ほどのところにある公立校で、俺が通う高校だ。偏差値(へんさち)は市内の進学校の中では真ん中よりやや上といったところか。取り立てて特徴はないけど、進学校のわりに自由な校風が売りの学校だ。
 青々とした木の葉が茂る桜並木を自転車で通り抜け、校門をくぐる。運動で火照(ほて)った体に当たる風が心地いい。
 徒歩通学の生徒の間を()って、駐輪場の方へ自転車を走らせていく。今日の模試は全学年が受けるものだが、三年生は半年後の受験本番を見据えて近くの大学へ行っている。おかげで、駐輪場はいつもよりも()いていた。
 寄り道していたので予鈴五分前に教室へ入ると、そこはクラスメイトたちによる雑多な声に満ちあふれていた。
 入り口付近の男子集団と軽く挨拶を交わしながら、自分の席まで行く。俺の席は、窓際の前から五列目。この時期は太陽からの容赦ない光と熱にさらされるので、昼間はかなり地獄だ。早く席替えしたい。
 机にスクールバッグをかけながら、なんとなく耳を澄ましてみる。
 眠い。六日目の朝はきつい。テストのあとにすぐテストとか、ありえねぇ。一日休んでまた学校なんて、やってらんねぇ。その他もろもろ。
 聞こえてくるのは、土曜日登校と模試に対するグチばっかりだ。
 俺も起き抜けに似たようなことを思ったし、やっぱりみんな、考えることは同じか。進学校とはいえ、受験までまだ一年以上ある二年生の身の上では、直接成績に響かない模試にそこまで真剣にはなれないもんな。
 席で頬杖(ほおづえ)をついてそんなどうでもいいことを考えていると、不意に頭の上に影ができた。
「おい、大和! 朝から何を辛気くせぇ顔してんだ」
「無言で何度もうなずいているとか、かなり不気味よ」
 声につられて顔を上げる。両方とも、聞き覚えがありすぎる声だ。そこには予想通り、よく見知った男女の顔があった。
「おはよう、洋孝(ひろたか)夏希(なつき)
「ウィッス!」
「おはよう、大和」
 洋孝はノリよく、夏希は軽くほほ笑みながら、挨拶を返してきた。
 こいつらは、碓氷(うすい)洋孝と久野(くの)夏希。一、二年ともに同じクラスで、いつも俺がつるんでいる連中だ。
 洋孝とは、この学校に入学してからのつき合いだ。何がきっかけだったのかは覚えていないけど、なんとなく話すようになり、いつの間にかつるむようになっていた。たぶん、どこかで馬が合うんだと思う。
 よく日に焼けた肌に、がっしりとした体格、すっきりとした短髪と、この男はさわやかスポーツマン然とした風貌(ふうぼう)をしており、ノリもかなり体育会系だ。その見た目通り運動神経も抜群で、背だって一七〇センチの俺と比べて頭半分くらい高い。ただ、部活に縛られる生活は(しょう)に合わないらしく、本人は自由気ままに帰宅部をやっている。
 加えて底抜けに明るい性格なので交友関係も幅広く、青春リア充街道まっしぐらといった男である。
 対してもうひとりの友人である夏希は、小学校六年のころからの腐れ縁だ。雪乃とも親友で、中学のころは三人で一緒にいることも多かった。
 ちなみに見た目は、肩のあたりで切り揃えた髪とナイロールの眼鏡が特徴の、いわゆる〝知的な美人〟というやつだ。
 実際、夏希は昔から頭がいい。その学力は、山住高校どころか県内一の進学校でだってトップ争いができるレベルだ。全国模試でトップ一〇〇に入ったこともある。
 その上スタイルも抜群にいいので、男子からは高嶺(たかね)の花的な憧れの存在となっている。そして一緒にいることが多い俺は、たまにその男どもから刺すような視線を向けられる。そのうち本当に刺されるんじゃないかと、ちょっと心配。
 ともあれ、こいつらは揃って別方向に目立つふたりというわけだ。
 何気に俺、人の縁には恵まれている気がする。このふたりが近くにいるおかげで、本来なら地味な俺もクラスの背景にならずに済んでいるし。
「……さっきからどうしたの? まじまじと私たちの方を見て」
 無言でふたりを見上げていたら、夏希から(いぶか)しげな視線を向けられてしまった。
「いや、べつに。お前らがいると、いろいろ助かるな~って思ってさ」
「は? 朝から何寝ぼけたこと言っているの? そんなんだと、模試で偏差値落とすわよ」
 わりとまじめに答えたつもりだったのだが、夏希に(あき)れられてしまった。
 実際、本当に助かってんだけどな。こいつらとだべっていると、余計なことを考えないでいられるし……。気持ちを伝えるのって、難しいもんだ。
 あと、ため息をついて首を横に振っているだけの動作なのに、夏希がやると妙に様になるな。さすがは美少女優等生。
 そして洋孝は、深く考えることなく「そいつはよかった!」と笑っている。
 こいつのいい意味で大らかなところは、同性の俺から見ても好ましい。……大らかすぎて宿題の期限をぶっちぎりまくり、俺に泣きついてくるところが玉に(きず)だが。
「まあいいわ。それよりも大和、今日の放課後、時間ある? 洋孝と、帰りに『ミルキーウェイ』に寄っていかないかって話していたの」
「今日、七夕(たなばた)じゃんか。今朝、あの店の前を通ったら、今日は特別サービスやるって看板が出ててさ。なんと、短冊に願い事を書いたら、タダでスコーンがもらえるんだと! こりゃもう、行くっきゃねぇだろ!?」
 机に手をついた夏希と洋孝が、声を弾ませながら口々に言う。ふたり揃って俺のところに来た理由はそれか。
 夏希たちが言うミルキーウェイってのは、天根駅の近くでひっそりと開いている喫茶店だ。知る人ぞ知る隠れた名店で、高校生にも優しい値段でおいしいコーヒーやデザートを味わえる。アンティーク調の内装もおしゃれで、俺ら三人の行きつけの店だ。
 あそこのスコーンがサービスでもらえるというのは、確かに魅力的だ。
「……あ~、すまん。今日は用事あるから、俺はパスしとくわ。ふたりで行ってきてくれ」
 ただ、俺はふたりに()びながら、その誘いを断った。後ろ髪を引かれまくるけど、先約があるので仕方ない。
 俺が断ると、夏希がおもしろくなさそうな表情を見せた。ノリが悪いと言いたげだ。
「まったく、もう……。相変わらず、ノリが悪いったらありゃしない」
 と思ったら、その通りに言われた。こういうときだけは以心伝心(いしんでんしん)だな。素直になんでも言えるのは夏希の美点だけど、できればもう少しオブラートに包んでほしい。
 ちなみに洋孝の方は、俺の「ふたりで行ってきてくれ」発言に、まんざらでもなさそうな表情を見せている。
 何を隠そう、こいつも夏希に惚れている男のひとりなのだ。性格に似合わず意外と奥手なために告白はしていないが、正真(しょうしん)正銘(しょうめい)ベタ惚れである。
 なお、本人は俺以外にはバレていないつもりらしいが、感情が表情に出やすいからクラスメイト全員が知っている。唯一こいつの好意に気づいていないのは、惚れられている夏希本人だけだろう。
 今も夏希は洋孝の幸せそうな表情に一切気づかず、呆れた顔で俺の方を見ていた。