人々の七海に対する第一印象は最悪だが、逆に言えばそれは好感度ゼロからのスタートであり、後は勝手に上がるだけの出来レースとも呼べるシステムだ。

 非行少女、と呼ばれるようになっていた七海が、手の平を返したように真面目な態度をとったり、成績を誇示し、彼女に優しくされたらどうだろう。

 彼女の外見しか情報を持たない人間は、彼女のことを外見で判断したことを反省し、中には好意を抱く人間も出てくるのではないだろうか。

 一度信用されてしまえば後は簡単で、バカなフリをしていても、一度手の平を返した人の中には「普段はバカでも、本当の七海は頭がいい」という注釈が勝手に入る。


 これが逆では使えない手だから不思議なものだ、と七海は思う。

 例えを用意するなら――――偏差値四十の不良が日本一頭の良い学校に受かった、と言った場合と、偏差値七十強の優等生が日本一頭の良い学校に受かった、と言った場合、人々から驚かれ、称賛され、親しみを持たれるのはどちらか? といった話が適しているだろう。

 それは圧倒的に前者であり、驚き、称賛した人々の心の片隅には必ず「見下し」が含まれている。

間違っても人は、自分より優れた、「見上げる」べき人間に同そのような態度はとらないだろう。

 その場合は後者になる。

 優等生が優秀な結果を出しても、それは「当然の結果」であり、称賛されることではあるけれど、見下されることではない。

 ああ、やっぱり頭のいい人は、凡人とは住む世界が違うのだ、と一線を引かれ、心を閉ざされ、それでおしまい。

 七海は前述を自然の摂理のごとく実行し、今に至っている。

 高校生とはいえ、子供にしては達観しすぎている、世の中に失望している七海――――もとい私は、本当の意味で人を好きになったことがない。