私の前には少し血相を変えたお母さんが立っていて、その奥にはコンコンと咳を繰り返している蓮がいる。

「ああ、凪。どうかした?」
「いや、あのさ。この進路希望調査、夏休み明けに提出しないといけないんだけど、その、少しお母さんに相談にのってほしくて……」

勇気を出して口にした言葉は、お母さんにきちんと届いたみたいだ。お母さんはコクリと頷くと、「分かったわ」と目尻を落とす。けれどその表情に余裕はない。タイミングを間違えたかな……と落ち込みかけた刹那、お母さんが続けて口を開いた。

「そんなことより、凪、ちょうどよかったわ。あのね、さっき蓮の体温を測ったら三十九度を超えていて……」
「え、三十九度?」
「ええ。夕方測った時は、軽い咳だけで熱なんてなかったのに……」

切羽詰まった様子のお母さんは、暗い表情で話を続ける。私の懸命の相談を〝そんなこと〟で片付けられたことに寂しさを覚えつつも、あまりの熱の高さに驚いた私は、思わず聞き返す。

「それって、また肺炎を起こしかけてるんじゃ……?」
「そうなの。お母さんもそれを疑ってる。でも凪も知ってると思うけど、お父さん明日の夕方まで帰ってこれないの。だからお母さんが今から蓮を連れて、救急外来に向かうわ。恐らく入院になると思うから、簡単な荷物も念のために持って行くわね」

そう口にしたお母さんは、不安そうに眉を下げたけれど、その後すぐに口角を持ち上げ、私を安心させるように笑う。

実はこのところ蓮の体調が優れず、吸入の薬や気管を広げるホクナリンテープを使用しているものの、改善したり悪化したりを繰り返しているのだ。一度、かかりつけ医にも行ったけれど、医者いわく、肺の音も綺麗だし、薬を使えば症状は一応改善されているということで、もう少し様子を見てみても大丈夫だろうということだった。

「ごめんね、凪。今晩はひとりになってしまうかもしれないけど、また結果は連絡するから。もう高校生のお姉ちゃんだから、大丈夫よね。家を頼むわ」

その言葉に、小さく頷くしかなかった。

お父さんも、お母さんもいない一人きりの留守番。以前までもこんなことは数え切れないほどたくさんあった。でもやっぱり何度経験しても、寂しいものは寂しい。

思えばここ数日は、お母さんもお父さんも蓮のことで手一杯で、私がその日の出来事を話そうとしても今話を持ち出しても簡単に流されてばかりだった。 仕方がないと分かりつつも、どことなく生まれる寂しさは拭えない。

でも私は、この時何かを感じていた。以前にも、ずっと昔にも、……こんなことがどこかであったような、そんな気が。