ひんやりとしたベンチの冷たさはジーンズ越しにもしっかり伝わって、熱を持った私の身体をほんの少し冷やしてくれる。
二人並んで座ったものの、何をどう切り出せばいいのだろう。頭をフル回転させてみるものの、残念ながら上手い台詞はひとつも出てこない。
少しずつ自分から話を切り出すことができてきたとはいえ、やっぱり私って話し下手だなあ、と肩を落とした時、「……あの時は」と日菜ちゃんの方から少しずつ話し始めてくれた。
「あの時は、ただ、怖かった。私はまだ幼くて、何も分からなくて。急に変貌するお母さんを見ているのが、怖かったんです」
日菜ちゃんときちんと目線を合わせ、彼女の言葉にじっくり耳を傾ける私。いつのまにか子どもたちは母親とともに自宅へ帰って行ったのか、彼女の会話を邪魔する者はなにもない。
「毎日毎日、心が痛かった。世界で一番大好きなお母さんに、悪意に満ち溢れた目を向けられるのが、つらかった。いつお母さんは元通りになるのかなって、私がいい子にしていれば、お母さんは私をまた抱きしめてくれるのかなって、毎日馬鹿みたいにそんな日を夢見てたんです」
「……うん」
「でも、なかなかお母さんは元には戻らなかった。それどころか、私たちに向けられる言葉は容赦なくて、どん底まで私とお兄ちゃんを傷付けた。……それでもね、そんな日々を乗り越えることができたのは、お兄ちゃんがいたからなんです」
その拍子に風が強く吹き、彼女の髪の毛がふわりと宙に浮かんだ。
「一度だけ、お兄ちゃんに聞いたことがあるんです。多分私が、九歳か十歳くらいの頃だったかな。『お母さんはいつも私たちに〝生まなければよかった〟とか〝邪魔だ〟って言うけど。じゃあなんで、お母さんは私やお兄ちゃんを生んだの?』って」
途端に日菜ちゃんは俯き、ここで言葉を止める。僅かに震える唇も、悲しげに地面に落ちた視線も。全てが日菜ちゃんの苦しみを表しているようで、私も胸が痛い。
まぶたを伏せて何回か深呼吸を繰り返した日菜ちゃんは、懸命に声を絞り出す。
「そしたらお兄ちゃんは、言ってくれた。『母さんにとって俺たちが、大切だからだよ』って。今になって思うんですけど、きっと、お兄ちゃんは信じたかったのかもしれないなあって。自分たちはお母さんに必要とされて生まれてきたんだっていうことを、大切に思われてるんだってことを、私にも、自分自身にも。言い聞かせていたんだと思うんです」
「……ん」
「でも、たとえ言い聞かせるためだとしても。その言葉に、私は救われた。どんなにつらい時でも、苦しい時でも。お兄ちゃんがずっと隣にいてくれたから。日菜、って優しい声で名前を呼んで、私を抱きしめてくれていたから。私はそれだけで安心できた」
そう言って、日菜ちゃんはやんわりと口元を緩めた。