和香ちゃんのママと未可子さんが話している。未可子さんが僕の事を色々言っているのかもしれない。

「私のママと透君のママも友達だね。今度みんなで一緒に遊びに行こうね」

 僕は思いっきり首を振って「うん」と返事する。

 この先もずっと和香ちゃんと楽しく遊んでいられると信じて止まなかった。それなのに和香ちゃんは幼稚園を休みがちになって、そのうちいつしか幼稚園に来なくなってしまった。


 和香ちゃんが休んで僕がひとりになると、一弥はクラスの誰とも僕と口をきかないように仕向けて待ってましたと言わんばかりに虐めてくる。

「やーい、和香がいないと、ひとりぼっち! 透は友達いなーい」

 一弥に合わせて他のやつらも面白がって繰り返している。

 共通に分かち合えると、自分の居場所を見つけたようにそれを固持してその地位を守ろうとする。 人生経験もない子供のくせに、組織の中に身を置く安心感をすでにこの頃から理解しているのだろう。

 僕のように虐められたくなくて、一弥についていることが正しいかのように本能で嗅ぎ取っていた。

「和香はもう来ないじゃないか。死んでたりして」

 調子に乗りすぎた一弥は口を滑らした。その時、囃し立てていたバックコーラスがピタッと静まった。寒々とした異様な空気が突然流れ、さすがの一弥もヤバイと思ったのだろう。何か言えと僕にその視線を向けながら、目が泳いでいた。

 テレビやゲームの影響か、僕たちはそういう言葉を簡単に使ってしまう。

 大切な誰かを失う――そういう経験をまだしたことないから、それほど深刻な言葉だとは気がつきにくい。僕はすでに本当の母を亡くしていたけど、その僕ですら会った事がないとその悲しみにピンと来ないくらいだった。

 だけど和香ちゃんは本当に死んでしまった。

 そのお知らせを先生から聞いたとき、みんな一弥に視線を向けていた。普段粋がっている一弥もこの時、顔を青ざめていた。

 感受性の強い女の子は急に泣き出し、それにつられてみんながうつむいて悲しそうな顔をする。でも僕は違った。ただ怒りに燃えて腹が煮えくり返っていた。その気持ちを抱いたままその日を過ごし、すでに和香ちゃんの事を忘れていつも通りに過ごす一弥を見てるといたたまれなくなった。

「一弥があんな事をいったからだ。一弥のせいだ」

 一弥に近寄った僕は、感情任せにその怒りをぶつける。

「なんだよ。なんで僕のせいだよ」

 一弥は僕の勢いに少し圧倒されながらも、いつもの強気を崩さない。でもこの時は後ろのバックコーラスは一弥を擁護しなかった。

「そうだ、一弥が死ぬなんていったからだ」

「一弥君があんな言葉つかうから、和香ちゃんがあんなことになったのよ」

 普段は和香ちゃんを太ってるからと馬鹿にしていた子供たちは死という言葉に怯え、自分がいかにも悪くなかったと思いたかったばっかりに一弥を標的にした。

 あの時は和香ちゃんを馬鹿にしてたくせに、自分が怖くなると自分のやっていた事をすっかり忘れて棚に上げる。

 いくら僕に追い風が吹いたようになっていても、僕は素直にこの状況を歓迎できなかった。

 だけど一弥にだけは、僕は和香ちゃんの分まで責めてやった。

 自分の思うようにならないと暴れる一弥が、みんなから責められてひるんでいる姿はいい気味だ。

 でも一弥はそれでも精一杯虚勢を張って、絶対に自分の非を認めなかった。ふんと不機嫌な顔をして強気のまま姿勢を変えない。僕とはそれが原因で永遠の犬猿の仲になったけど、お互い避けながら成長し、そのうち同じ小学校へと通うようになる。

 和香ちゃんの死を巡って一弥を責めた子供たちもいずれその事を忘れ、小学生になれば和香ちゃんのこともすっかり記憶から排除されていた。

 でも僕は忘れたくなかった。僕が和香ちゃんに会えなくて寂しいということは、和香ちゃんのパパやママはもっと悲しいに違いない。

 和香ちゃんのママが一度僕を訪ねてきた事があった。

「和香がね、最後まで透君のこと話してたの。早く幼稚園に行って透君に会いたいって。和香は透君に会えて本当によかったわ。仲良くしてくれてありがとうね」

 涙ぐんだ瞳で僕を見つめ、今にも崩れてしまいそうな震えた声で僕に伝えた後は必死に笑おうとしていた。

「僕、和香ちゃんが大好きです」

 僕の言葉で和香ちゃんのママは泣き崩れてしまったけど、僕が心配して覗き込むと頭を優しく撫でてくれた。

 側で見ていた未可子さんも貰い泣きしていた。

 和香ちゃんのママがいなくなった時、未可子さんは僕を抱っこしてくれた。

「透ちゃんのママになれてよかった」

 石鹸の香りがする未可子さんに抱きしめられた僕は、高揚した気分に包まれ自分が特別な存在のような安心感を抱いていた。

「和香ちゃんも透君のガールフレンドになれてよかったって思ったんじゃないかな」

 未可子さんは八の字の眉毛のせいで困った顔つきにまた見えてしまったけど、悲しみの中に優しさを込めた笑いを僕に向けていたようだ。要するに僕を気遣ってくれていた。

 ガールフレンドと聞いて、僕はまだピンとこなかったけど、これが恋だったのかと恋の定義に目覚めたような気がした。

 まだこの頃は素直とけなげさと無知が僕を幸せにしていた。それが崩れ出すのは小学生の高学年になったころだった。