その夜、僕が映見チャレンジに相応しい場所を探しているとき、スマホがメール受信音を鳴らした。

 映見かと思ってすぐにチェックすれば、例の警告メールを送ってきたフリーアドレスからだった。

覚悟してそれを開く。


 ――映見は明日の朝9時に、Hホテルのロビーに現れる。その時を狙え。映見はお前には気がつかない。お前も先入観を捨てて映見を探せ。これでお前が写真を撮れば勝ちだ。それを撮ったらもう二度と映見にかかわるな。


 送り主は誰だかわからないが、文面から僕と映見のゲームのルールを知っている。僕が映見から離れないから、確実にそうできるようにチャンスを与えてきたのだろうか。この送り主も敵に塩を送る事が解決だと悟ったのかもしれない。

 だが、僕の心境は複雑だった。

 でも僕はその誘いに乗る。卑怯な手なのかもしれない。それでもそうするのが一番いいと思ってしまった。


 指定されたホテルのロビー。オープンスペースのカフェエリアもあり、誰もが自由に出入りできる場所。

 思った以上に人が集まり、人が思い思いに行き交っていた。怪しまれないように僕も堂々と中に入り、わざとらしく腕時計を見て待ち合わせをしているフリをする。

 僕はまだ映見に連絡を入れていないから、僕がこのホテルに来ていることは知らないはずだ。あの見知らぬメールの送り主が映見をここへ呼びつけたに違いない。僕に写真を撮らせるために。

 僕はできる限り柱に寄り添ってあたりを見回していた。映見はどこに居るのだろう。短い髪の女の子を探していたが、どこぞの歌劇団の男役にでもなれるくらいの短さだから、すぐ目に付くと思っていた。

 時計を確かめれば九時を過ぎたところだ。呼び出されて待ち合わせをしているのなら、映見は遅れて来るような人じゃない。でも見つからないのはなぜだろう。僕はスマホを取り出し、もう一度メールの内容を確認した。そしてメールの一文に僕はハッとする。


『お前も先入観を捨てて映見を探せ』


 映見はまたいつもと違う格好をしているのかもしれない。

 化粧をしていたり、ウィッグを被っていたり、普段と違う姿になってる可能性がある。

 もしかしたらすでに映見に僕の存在がばれてしまったのだろうか。

 その時、二階に続く階段から髪の長い少女が降りてきた。裾が短い黒のワンピースにハイヒールを履いて、足がすらっと長く見える。表情がきつく、唇の赤いルージュが妙に際立っている。大人になろうと無理をしている陰で少女のようなあどけなさがアンバランスだ。

 そしてそれが映見だと気がつくのには時間がかからなかった。

 僕は身を潜め、映見の足取りを追う。映見は澄ました顔で、ゆっくりと階段を下りると、周りに気にも留めずにオープンカフェへと向かった。空いている席に座り、すぐさまウエイトレスがやってきて水とメニューを置いていた。

 映見の座ったテーブルの隣にはロビーと隔てるために柵が立ててあり、さらに観葉植物が間隔をあけて置いてあった。

 映見はメニューに集中し人が映見の側を通っても映見は気にかけることもなかった。

 僕は慎重に近づき、ジャケットのポケットに忍ばせていたカメラに手をかけた。

見れば見るほど、普段の映見の雰囲気からかけ離れている。世間を冷めてみているような、冷酷さを感じた。

 なぜそんな格好をしてここに来てるのだろう。

 僕はチャンスがあってもそんな映見の写真を撮りたくなくなった。いくら僕に気がつかなくても、それが映見の素の姿に見えなかったからだ。

 かなり近くまで僕が来ても、映見は一向に気がつかない。近くで見ると益々映見に見えなくなってくる。

 映見はこんな暗い表情をするような子じゃない。

 その時僕は何を思ったか、手を伸ばし映見の髪を引っ張った。

「痛い!」

 映見はやっと僕に振り返る。それは敵意を持って僕を睥睨していた。

「なんで写真撮らないのよ」

「君は一体誰だ。映見じゃないな」

「へぇ、見破るなんて結構やるじゃん」

 赤い唇が皮肉っぽく冷めた笑いに歪んでいた。

「そこに突っ立ってないで、こっちに座れば」

 ふてぶてしく笑い、僕を誘う。

 僕は映見に良く似た少女と対面した


 ウエイトレスが僕に水を運んできた時、映見が、いや、映見に似た少女がクリームソーダーを頼んだ。僕はコーヒーを注文する。

「ガキの癖にコーヒーって、無理しちゃって」

「別にいいだろ。砂糖とクリームたっぷり入れて飲むのが好きなんだから。家ではコンデンスミルク入れてる」

「どうでもいいわよ、そんな事」

 映見に似た顔でフンと首を横に振った。

「それで君は映見の妹だな。そして警告メールを送ってきたのも君だ」

「君、君、なんてえらっそうにいわないで。私の名前は感想の想の子って書いて想子よ」

「アイコ?」

 そういえば映見がそんな名前を口に出していた。

「映見とは双子の姉妹。でも性格の違いから顔は同じでも違って見えるってよく言われる。まさか初めてあったあんたにも違って見えるなんて思わなかった」

「姉妹なら映見のスマホを盗み見るのも容易いってことか」

「そうよ、映見は危機感ってものがないのよ。だから死神と噂されるような男でも平気で仲良くなるんだから」

「僕の噂は結構広がってるんだな」

「私が勝手にあなたの事を調べたの。今、映見は大切な時なのにあなたが邪魔するから、どんな奴かって思ったの。十連休の時だって家族で海外旅行に行く予定だったのに、あなたとの約束のせいでいけないとか言い出してさ、それで仕方なく一泊二日ならいいってことで近場の温泉旅行に行ったの。こっちはテスト前だし、教科書持って行ったんだから。全然ゆっくりできなかったわよ」

 警告メールが始めて届いたのは連休が終わる日だった。その頃僕の事を想子は調べて、腹立たしさもあって送ってきたということか。映見が週末の土日に朝早くと夜遅くを指定したのもやっぱり一泊旅行だったからだった。その旅行から帰って来た夜遅くに届いた警告メールも腹いせだったのか。

「そっか、それは悪かった」

「ちょっと、何を軽々しく謝罪しているのよ。これはそういう問題じゃないでしょ!」

 想子がいきなり怒り出す。

 僕が面食らっていると、それを見ていたのかウエイトレスが気まずい雰囲気で飲み物を運んできた。ひとつひとつそれぞれの前に置く。その後は「ど、どうぞごゆっくり」と平常心を装って退いていった。

 想子はまずはストローを取り出し、緑の炭酸がしゅわしゅわしているソーダに突っ込み一気に飲みだした。

 僕もカップに砂糖とクリームを入れ、かき回しながら相手の出方を窺っていた。

 想子がスプーンでアイスクリームをすくい、一口食べたところで、大きなため息を吐いた。そしてぎょろりと僕に睨みを突きつける。

「映見はなぜあんな馬鹿げたゲームをあんたとしていると思う?」

「それは僕が訊きたい。僕はただ放ってほしかっただけだ。それなのに映見が勝手に条件を出して、それに乗せられただけだ」

「そうあなたはそれを受け入れた。でもそんなゲームを真に受けなくても、ただ無視すればよかっただけじゃない」

 そんなの分かっていた。でも映見がしつこくて受けざるを得なかった。

 事情も分からない想子に責められる筋合いはない。僕も腹が立ってくるけど、落ち着くためにカップに手を掛けて口元に持っていく。

「私が言いたいのは、映見はあなたに救いを求めたの。皮肉にも死神と呼ばれるあなたにね」

「救い? なんのことだ」

 口元に持って行き損ねたコーヒーカップが中途半端に宙に浮く。

「映見は明日から入院するの」

「入院?」

 僕はコーヒーカップをぶつけるようにソーサーに強く置いた。僕が目を見開くと、想子は逃れるように伏目がちにし、手持ちぶたさにスプーンでアイスクリームをつついていた。

「あのね、映見の頭には腫瘍があるの。それを取り除く手術をするの」

「ちょっと、待ってくれ、嘘だろ」

「嘘だったらどんなにいいか。だけど本当のことなの。だから映見は前もって自分で髪をどんどん短く切っていたの。その手術の準備をするために」

 僕の鼓動が早鐘を打ち、呼吸がしづらくなった。

「明るい性格の映見でも、やはり手術は怖かった。それは五分五分の成功確率なの。だけどそれを取り除かなければ映見は死んでしまう」

「無理に手術しなくても、他に手立てはないのか」

「そんなのとっくにやってるわよ。腫瘍が見つかった時、それが大きくならないようにとできるだけの事をしてきた。過去に放射線治療だってやってるの。そのせいで髪は全て抜けて丸坊主のときもあったわ」

 僕の息が荒くなってくる。

「だけどね、手術をしなければならないと分かった時、あなたの事を知ったのよ。あなたを見たとたんにドキッとして気になったんだって。映見の友達もあなたがいい奴だとか言って煽るから、益々気になってしまったのよ」

 映見の友達って神野のことだろうか。

「あなたといると手術の怖さを忘れるって。いつも笑ってられるって、それであんな馬鹿なゲームを思いついたってわけ。でもあなたの事を調べたら死神って呼ばれてるじゃない。しかも、あなたと仲良くなった女の子は死んでるって聞いて驚いた」

 僕は歯を食いしばって聞いていた。

「映見にそれを言っても全然信じてくれなくて、それよりもあなたといる方が楽しくて仕方がないって言うの。あなたを映見から遠ざけようとしても無駄だった。もし万が一映見にもしもの事があったら、あなたのせいだからね」

 想子は僕をどんな風に見ていたのだろう。僕は顔を上げ、目の前にいる想子をただ目に映しただけだった。

「お願い、映見を死なせないで」

 想子の目が赤くなり、涙がじわりと染み出していた。

 僕はやっぱり死神なのだろうか。僕だって映見を死なせたくないに決まってる。

 一体どうすれば映見を救えるのだろう。このままでは呪いが発動してしまいそうで自分自身震えてしまった。だめだ、悪いほうに考えるな。そう思いこもうとしても、死神という言葉が僕を縛り付ける。

「これ、映見に返してほしい」

 僕は『写ルンです』のカメラを想子に渡す。

 想子はそれを手に取りカウンターの数字を読み上げる。

「一」

「そう、今日がその最後の日。この二十六日間、僕はずっと映見を撮り続けてきた。何枚かは変なものが写ってるけど、そこには映見の笑顔がいっぱい入っている。もし、最後の一枚を撮らずにいて僕が姿を消したら、もしかしたらまだ間に合うんじゃないだろうか」

 僕にもそんなことわからない。だけど僕が映見から接点をなくせば映見は助かるのではないだろうか。安易にそう考えてしまう。藁をもつかむ思いだった。

「私だって、あなたが死神だなんて信じたくはないわよ。だけど、こんな状況だからあなたの噂がとても縁起悪いの」

 誰だってそう思って当たり前だ。僕は想子に誓う。

「映見は絶対に死なせない。命に代えても」

「絶対よ、絶対だよ」

 想子が僕に何度も願うその手前で、クリームソーダーに乗っていたアイスクリームが溶け始めてソーダが白くにごっていた。

 僕の心もぐちゃぐちゃとして自分を見失っていく。こんな忌まわしい存在の僕なんか生きていたってしかたがない。映見が助かるのなら僕は死んだっていい――。


 想子と別れた後、僕は思いつめながら家路についていた。

 映見の手術が成功してほしい。

 映見が助かってほしい。

 ホームで電車を待っている時、ふと体がホームへと近づいていった。電車が入る知らせのベルが鳴る。まるで僕にこの時を逃すなと言っているようだ。

 電車が近づいてくるのが視界にはいってくる。

 そうだ僕がこの世から消えればいいのじゃないだろうか。

 死神がいなければ映見も助かる。

 僕はその時頭の中が真っ白になっていた。体も白いもやに包まれたようにふわりと浮いて、そのあと落ちていく。

 僕の意識が次第に遠のいていった。