その翌日の午後三時頃、神野に案内されて駅前のスーパーを裏口から訪れた。
「しかし、透もこんなこと思いつくなんて大胆だね」
「だって、神野はこの間のイベントでこの町の復興係のお偉いさんと知り合ってるから、コネで一日だけスーパーで雇ってもらえるかと思ったんだ」
「学校の宿題で社会勉強のためにボランティアをしないといけないって事で頼んでみたけどさ、ひとりだとおかしいから俺まで一緒に付き合う羽目になってしまったじゃないか」
「感謝してるよ」
僕は両手を合わせて神野に拝んだ。神野は崇められるのを嫌がり、軽く僕の手をはたいていた。
段ボール箱がいっぱい積み上げられた場所で僕たちは説明を受ける。お客に失礼のないように、ボランティアでも責任もってくれと念を押されたあと、スーパーのロゴが入ったエプロンを支給された。ポケットが前についていたので、そこにカメラを入れておく。
早速店長から指示を出される。まずは倉庫の整理を頼まれた。トラックで運送されてきた重たい箱を持ち上げたり積み上げたりするのは結構重労働だ。僕も神野も黙々と働く。
暫くそれをした後はチェック表を渡され、店内の缶詰の棚の補充を任された。缶詰が入った重い箱を抱えて棚の前に立つ。
「お客様の迷惑にならないようにね。あと商品もきっちりきれいに並んでいるか確認してね」
心配そうな顔を向けながら店長が去っていった後、僕はすぐ映見が居ないか周りを確認する。まだ来てない様子だ。
「神野も気をつけて見ていてくれよ。これが目的なんだから」
「分かってるけどさ、まどろっこしいことしないで、もう諦めて普通に付き合えばいいじゃないか。この間も失敗したとこだろ」
神野は缶詰を手にしながら呆れていた。
この間と言うのはウサギの着ぐるみの事を意味しているのだろうけど、はっきり言って毎日失敗している。
「だから一緒にいたらダメなんだって。僕は呪われてるんだ」
「それは考えすぎだって言ってるだろ。透が勝手に思いこんでるだけだ」
こんな事を聞いたら誰もがまずは否定するだろう。だけど僕はずっと死神といわれ続けてきた。もうこれ以上犠牲者を出したくないんだ。
「でも、だって……」
「あのな、いい加減にしろ」
神野はしゃがみ、うんざりして下の棚の缶詰を揃えていた。僕はその隣で突っ立ってため息をついていた。
「あの、すみませんが、カニ缶ってあります?」
後ろで結構年老いた、くしゃっと皺のあるおばあちゃんがやや体を丸めながら僕たちに訊いてきた。
「ほら、透、手伝ってやれ」
神野に言われ、僕はおばあちゃんに向き合った。
「ええと、カニ缶ですね」
ずらっとある棚を指で差しながら端から端、上から下へと順々に見ていく。どの缶詰も同じに見えてしまう。
「ちょっと見当たりませんね。すみません」
「そうかい、しょうがないね。だったらカニかまぼこにしておくわ」
おばあちゃんはかまぼこを探しに去っていった。
クレーマーな客じゃなくて助かったと思って前を見たとき、カニの絵が視界に入った。
「あっ、こんなところにカニ缶が……」
探しているときは見つからなかったのに、不意に目に入ってくるのは何かが意図的に隠しているのかさえ疑ってしまう。
実際は緊張して上手く脳が機能せずに、見えているのに判別できなかっただけだが、今見れば赤いカニの絵があざ笑っているかのように僕を見ていた。
それを手にして、僕はおばあちゃんを追いかけた。
「すみません、おばあちゃん、カニ缶ありました」
カニかまぼこを手にして振り返ったおばあちゃんにカニ缶を突き出して見せた。
「わざわざありがとうね。で、これいくらだい?」
「えっと、値段を見てなかったです。ちょっと待ってて下さい」
買うとならば値段を気にするのは当たり前だ。どうしてこういう細かいことを見落とすのだろう。自分の不器用さが苛立たしい。
また缶詰セクションに戻って棚の値段を確認すれば、六百八十円となっていた。小さめの缶詰なのに割と高くて買わない僕がびっくりした。
値段を口で繰り返しながら、おばあちゃんの元に行って伝えれば、軽く「おっ」と感嘆していた。僕と同じように高いと思ったようだ。
どうするのか僕は固唾を飲んで暫く動かないでいると、おばあちゃんはむずむずと口元を動かしてどうしようか迷っていた。
カニ缶を持っていた僕に配慮して断るのを逡巡しているようだ。僕もなんだか背中がむずむずとして居心地悪くなっていた。
「あ、その、えっと、カニ缶は小さいですし、そっちのカニかまぼこの方が安くて量もたっぷりですよね。僕ならたくさん食べられるほうがいいかな、へへへ」
「そう? それじゃ、カニかまぼこにしておく。折角持ってきてくれたけど、ごめんね。でもありがとうね、お兄ちゃん」
「いえ、こちらこそ、上手く対応できずにすみませんでした」
僕はカニ缶をぎゅっと握り締め、深く頭を下げた。
おばあちゃんは僕の接客が気に入ったのか、目じりにさらなる皺を寄せた笑顔を見せてくれた。
なんだかこっちが照れくさくなってヘラヘラと笑っているときだった。おばあちゃんの肩越しに見えた入り口から映見が入ってくるではないか。僕はどきりとして海老のように後ろに跳ね上がって近くのショーケースに身を低くして咄嗟に隠れた。
入り口付近の野菜売り場でかごを持った映見が辺りをキョロキョロしている。その後映見は僕に気づくことなく近づいてくる。平台に積み上げられていたセール商品を手に取ってそれをかごに入れた後、また回りを確認していた。その度に僕は忍者にでもなったかのように頭を低くする。
このままこのショーケースの影に隠れていたら、映見は側を通る。一歩、二歩とどんどん距離が縮まってくる。またドキドキが止まらない。
ポケットからカメラを取り出そうとしたとき、利き手にはすでにカニ缶を持っていた。それを左手に持ち替えて、右手でカメラを取り出そうとすれば焦って指が上手く動かず、ポケットからこぼれ落としそうになり、咄嗟にカニ缶を持ってる手で押さえたら、代わりにカニ缶が落ちてころころと運悪く、美しいラインを描いて転がってしまった。
「ああ」
慌てて拾おうとして前のめりになると勢いがつきすぎてつんのめり、そのまま近くの棚に激突。そこにあった商品が僕の衝撃でばらばらと落ちてしまった。
「あー」
一斉に周りから見られ、映見も当然僕に気がついたことだろう。
カメラのシャッターボタンに手を掛けていた僕は、驚いた拍子に指が勝手に押してしまった。一体何を撮ったのだろう。カメラのフィルムを一枚無駄にしてしまった。これで残りあと十七枚。
いや、冷静に残りの数を数えている場合ではない。辺りは商品が床に散らばってお客さんの視線を一斉に浴びるとその失態に僕の顔がどんどん青ざめていった。
「すみません、すみません」
周りのお客に謝りながら、僕は必死に棚に落ちた商品を戻していた。
誰かの手伝ってくれる手が僕の隣で見えた。振り返れば映見だった。
「また無茶なことして。まさか店員さんにばけるなんて」
くすっと笑って、僕にカニ缶を差し出した。
「これも転がってきたけど、どこにおけばいい?」
僕はそれを虚しく受け取った。相変わらず僕をあざ笑っているかのようなカニの絵だ。僕はこの先カニ缶を許さないだろう。でも僕の不器用さが一番悪い。
「あららら、西守君、何やってんの」
顔を引きつらせた店長が現れると、僕は一層恐縮し、謝り倒した。
映見は僕のその姿に同情し、僕を庇おうと嘘をつく。
「私が急に声を掛けたからびっくりさせてしまって、私が悪いんです」
「いやいや、まあ、見たところ商品に被害はないし、大丈夫ですから」
お客に謝られると、店長も笑顔を作って対応するしかない。しかも映見のような美少女が目を潤わせると、却って店長を焦らせ、後は僕に任せたといって逃げるように奥に引っ込んでいった。
それを見届けると映見は僕に微笑んだ。
「んもう、無茶するんだから」
「そっちこそ、悪くないのになんで罪を被るんだよ」
「だけど、結局は私のせいでしょ?」
よく考えればそうではあるけれど、なんだか僕も分からなくなっていく。ふと気が緩んだとき、神野がお客に混じって見ていたことに気がついた。僕と目が合うとにやりと笑い、親指を立てて称賛してくれた。
却って馬鹿にされたようで、思わずアホかと唇が動いていた。
「しかし、透もこんなこと思いつくなんて大胆だね」
「だって、神野はこの間のイベントでこの町の復興係のお偉いさんと知り合ってるから、コネで一日だけスーパーで雇ってもらえるかと思ったんだ」
「学校の宿題で社会勉強のためにボランティアをしないといけないって事で頼んでみたけどさ、ひとりだとおかしいから俺まで一緒に付き合う羽目になってしまったじゃないか」
「感謝してるよ」
僕は両手を合わせて神野に拝んだ。神野は崇められるのを嫌がり、軽く僕の手をはたいていた。
段ボール箱がいっぱい積み上げられた場所で僕たちは説明を受ける。お客に失礼のないように、ボランティアでも責任もってくれと念を押されたあと、スーパーのロゴが入ったエプロンを支給された。ポケットが前についていたので、そこにカメラを入れておく。
早速店長から指示を出される。まずは倉庫の整理を頼まれた。トラックで運送されてきた重たい箱を持ち上げたり積み上げたりするのは結構重労働だ。僕も神野も黙々と働く。
暫くそれをした後はチェック表を渡され、店内の缶詰の棚の補充を任された。缶詰が入った重い箱を抱えて棚の前に立つ。
「お客様の迷惑にならないようにね。あと商品もきっちりきれいに並んでいるか確認してね」
心配そうな顔を向けながら店長が去っていった後、僕はすぐ映見が居ないか周りを確認する。まだ来てない様子だ。
「神野も気をつけて見ていてくれよ。これが目的なんだから」
「分かってるけどさ、まどろっこしいことしないで、もう諦めて普通に付き合えばいいじゃないか。この間も失敗したとこだろ」
神野は缶詰を手にしながら呆れていた。
この間と言うのはウサギの着ぐるみの事を意味しているのだろうけど、はっきり言って毎日失敗している。
「だから一緒にいたらダメなんだって。僕は呪われてるんだ」
「それは考えすぎだって言ってるだろ。透が勝手に思いこんでるだけだ」
こんな事を聞いたら誰もがまずは否定するだろう。だけど僕はずっと死神といわれ続けてきた。もうこれ以上犠牲者を出したくないんだ。
「でも、だって……」
「あのな、いい加減にしろ」
神野はしゃがみ、うんざりして下の棚の缶詰を揃えていた。僕はその隣で突っ立ってため息をついていた。
「あの、すみませんが、カニ缶ってあります?」
後ろで結構年老いた、くしゃっと皺のあるおばあちゃんがやや体を丸めながら僕たちに訊いてきた。
「ほら、透、手伝ってやれ」
神野に言われ、僕はおばあちゃんに向き合った。
「ええと、カニ缶ですね」
ずらっとある棚を指で差しながら端から端、上から下へと順々に見ていく。どの缶詰も同じに見えてしまう。
「ちょっと見当たりませんね。すみません」
「そうかい、しょうがないね。だったらカニかまぼこにしておくわ」
おばあちゃんはかまぼこを探しに去っていった。
クレーマーな客じゃなくて助かったと思って前を見たとき、カニの絵が視界に入った。
「あっ、こんなところにカニ缶が……」
探しているときは見つからなかったのに、不意に目に入ってくるのは何かが意図的に隠しているのかさえ疑ってしまう。
実際は緊張して上手く脳が機能せずに、見えているのに判別できなかっただけだが、今見れば赤いカニの絵があざ笑っているかのように僕を見ていた。
それを手にして、僕はおばあちゃんを追いかけた。
「すみません、おばあちゃん、カニ缶ありました」
カニかまぼこを手にして振り返ったおばあちゃんにカニ缶を突き出して見せた。
「わざわざありがとうね。で、これいくらだい?」
「えっと、値段を見てなかったです。ちょっと待ってて下さい」
買うとならば値段を気にするのは当たり前だ。どうしてこういう細かいことを見落とすのだろう。自分の不器用さが苛立たしい。
また缶詰セクションに戻って棚の値段を確認すれば、六百八十円となっていた。小さめの缶詰なのに割と高くて買わない僕がびっくりした。
値段を口で繰り返しながら、おばあちゃんの元に行って伝えれば、軽く「おっ」と感嘆していた。僕と同じように高いと思ったようだ。
どうするのか僕は固唾を飲んで暫く動かないでいると、おばあちゃんはむずむずと口元を動かしてどうしようか迷っていた。
カニ缶を持っていた僕に配慮して断るのを逡巡しているようだ。僕もなんだか背中がむずむずとして居心地悪くなっていた。
「あ、その、えっと、カニ缶は小さいですし、そっちのカニかまぼこの方が安くて量もたっぷりですよね。僕ならたくさん食べられるほうがいいかな、へへへ」
「そう? それじゃ、カニかまぼこにしておく。折角持ってきてくれたけど、ごめんね。でもありがとうね、お兄ちゃん」
「いえ、こちらこそ、上手く対応できずにすみませんでした」
僕はカニ缶をぎゅっと握り締め、深く頭を下げた。
おばあちゃんは僕の接客が気に入ったのか、目じりにさらなる皺を寄せた笑顔を見せてくれた。
なんだかこっちが照れくさくなってヘラヘラと笑っているときだった。おばあちゃんの肩越しに見えた入り口から映見が入ってくるではないか。僕はどきりとして海老のように後ろに跳ね上がって近くのショーケースに身を低くして咄嗟に隠れた。
入り口付近の野菜売り場でかごを持った映見が辺りをキョロキョロしている。その後映見は僕に気づくことなく近づいてくる。平台に積み上げられていたセール商品を手に取ってそれをかごに入れた後、また回りを確認していた。その度に僕は忍者にでもなったかのように頭を低くする。
このままこのショーケースの影に隠れていたら、映見は側を通る。一歩、二歩とどんどん距離が縮まってくる。またドキドキが止まらない。
ポケットからカメラを取り出そうとしたとき、利き手にはすでにカニ缶を持っていた。それを左手に持ち替えて、右手でカメラを取り出そうとすれば焦って指が上手く動かず、ポケットからこぼれ落としそうになり、咄嗟にカニ缶を持ってる手で押さえたら、代わりにカニ缶が落ちてころころと運悪く、美しいラインを描いて転がってしまった。
「ああ」
慌てて拾おうとして前のめりになると勢いがつきすぎてつんのめり、そのまま近くの棚に激突。そこにあった商品が僕の衝撃でばらばらと落ちてしまった。
「あー」
一斉に周りから見られ、映見も当然僕に気がついたことだろう。
カメラのシャッターボタンに手を掛けていた僕は、驚いた拍子に指が勝手に押してしまった。一体何を撮ったのだろう。カメラのフィルムを一枚無駄にしてしまった。これで残りあと十七枚。
いや、冷静に残りの数を数えている場合ではない。辺りは商品が床に散らばってお客さんの視線を一斉に浴びるとその失態に僕の顔がどんどん青ざめていった。
「すみません、すみません」
周りのお客に謝りながら、僕は必死に棚に落ちた商品を戻していた。
誰かの手伝ってくれる手が僕の隣で見えた。振り返れば映見だった。
「また無茶なことして。まさか店員さんにばけるなんて」
くすっと笑って、僕にカニ缶を差し出した。
「これも転がってきたけど、どこにおけばいい?」
僕はそれを虚しく受け取った。相変わらず僕をあざ笑っているかのようなカニの絵だ。僕はこの先カニ缶を許さないだろう。でも僕の不器用さが一番悪い。
「あららら、西守君、何やってんの」
顔を引きつらせた店長が現れると、僕は一層恐縮し、謝り倒した。
映見は僕のその姿に同情し、僕を庇おうと嘘をつく。
「私が急に声を掛けたからびっくりさせてしまって、私が悪いんです」
「いやいや、まあ、見たところ商品に被害はないし、大丈夫ですから」
お客に謝られると、店長も笑顔を作って対応するしかない。しかも映見のような美少女が目を潤わせると、却って店長を焦らせ、後は僕に任せたといって逃げるように奥に引っ込んでいった。
それを見届けると映見は僕に微笑んだ。
「んもう、無茶するんだから」
「そっちこそ、悪くないのになんで罪を被るんだよ」
「だけど、結局は私のせいでしょ?」
よく考えればそうではあるけれど、なんだか僕も分からなくなっていく。ふと気が緩んだとき、神野がお客に混じって見ていたことに気がついた。僕と目が合うとにやりと笑い、親指を立てて称賛してくれた。
却って馬鹿にされたようで、思わずアホかと唇が動いていた。