自分は特別な人間だと思いたかった。凡人に価値などないと思っていたから。











 彼女をはじめて見たのは去年の10月。あたしが所属するアイドルグループ「檸檬女学園」の1期生最終オーディション会場で、彼女は異質だった。運動部みたいなショートカットに、焼けた肌。クリップで前髪を留めた生えっぱなし眉丸出しのノーメイク。

 およそあたしたちの仲間になるとは思えないそんな見た目で、その上、ダンスも歌も可愛らしさとはまるで無縁で。最初は、なにしに来たんだろう、なんて不格好なんだろうと思った。

 それなのになぜか目が離せなかった。番号ごとに固められた1ダースの群舞の中、手足をぶんぶんと振り回し踊る彼女は、ある意味ではとても目立ってた。でもあたしが目を離せなかったのは、そんな理由じゃなかった。

 オーディションは、その場で全員同じ振り付けを与えられて同時に踊る。そんな中で彼女は、他の子たちよりコンマワンテンポ早く次の動きに移ってた。躊躇なくジャストのタイミング。それはつまり、振り付けを完全に記憶してる証拠。彼女が踊ってるあいだじゅう、曲も、他の子も、会場の空気さえも、まるで全部を率いるみたいで、なにもかもが彼女の後ろにあるように見えた。決してダンスが上手いわけでもなく、まして彼女は後ろの列だったのに。

 まるで、命そのものがヒトの形をして躍ってるみたいだった。生を、こんなに見せつけられる踊りを、あたしは見たことがなくて、息をするのを忘れるほどに見続けた。喉がカラカラに乾いて、なんだか変な汗をかいていたのを憶えてる。彼女からほとばしる汗が全部止まってみえた。それほどまでに彼女だけが――







 ぐしゃりと丸められた真新しい楽譜が、勢いよく鏡に向かって飛んだ。とつ、と情けない音で鏡に当たったそれは、鏡を傷つけることも出来ずにぽてりと床に転がった。

「なんで!? 最終オーディションは正式デビュー前の宣伝だって言ってたよね!?」
「だよね! だから歳の若い子とか1、2人拾って話題集めに使うだけだ、って言ってたのになんで?」
「由衣、愛、玲、の3人センターで他もグループごとに推してくって」
「そのための振り付けでデビュー曲練習してたよねあたしたち」

 信じられない信じられない信じられない!

 レッスンが終わって楽屋に集まったメンバーはみんなあたしとおんなじ気持ちだった。運営に騙されたとしか思えない。あたしたちのこの1年間はなんだったの?

「まさか、中学生にセンターふんだくられて、おまけにその子のために新曲書きおろしなんて」
「絶対にありえない。許せないよね」
「てかどの子だろうね……由衣たちより可愛い子なんかいたっけ?」
「いないでしょ、間違いなく3人が檸檬の顔面センターだよ? 歌ならあたし負ける気しないけど、3人の画面映えヤバいもん」
「はーい! 顔だけで人生イージーモードでぇーす(はぁと)」
「玲……。あんたくらいメンタル強いと逆に清々しいよねホント」
「うん、だから安心してセンター任せられる」

 21人いる現1期生はこの1年、掴み合いのケンカになるくらいの揉め事だって起こしてきたけど、みんなそれぞれの得意を認め合って、ポジションを築き上げてきた仲間。
 全員が認めるセンターの3人は、ずば抜けて踊りが上手いわけでも、歌が上手いわけでもないけど、平均点の高さと顔、スタイル、仕草、トーク……そんな様々においてみんなが一目置く存在。それに加えてデビュー曲になるはずだった曲では、センターだけじゃなくって他のあたしたちにも見せ場がそれぞれ用意されてた。それなのに。

「さっきの振り付け……どう思うよ?」
「どう思うも何も。あんなの、まるであたしたち全員バックダンサーじゃんか」

 みんな、汗を拭くのも、水分補給するのも忘れて、レッスンを振り返る。新曲はひどく攻撃的で、挑発的。アイドルソングというよりはミュージカルのワンシーンみたいだった。

 新しい王と、その誕生を讃える民の踊り、そんな振り付け。あたしたちは全員、王を讃える民の役だった。民意ではない決定によって突然据えられた王を心から讃えることなど出来るはずもなく、当然のように手も足も鎧を着たようにぎくしゃくして散々だった。

「かといって今更ボイコットってわけにも、ねぇ?」
「いいと思うよ、ボイコット。運営にあたしたちとその子、どっちが大事なのかハッキリ決めてもらおうよ」
「さすがにそれは……」
「じゃカナエは1人でバックダンサーやったらいいよ」
「言い方」
「……ごめん。でも頭にくるじゃん、カナエは平気なの?」
「あたしだって頭きてるよ、でも運営がそれでうちらを選ばなかったら?」
「つかもう既に選ばれてないよね、捨てられてるよね、こんなの」
「はぁーっ! もうイライラする!」

 平気なの? と訊かれたら平気じゃない。逆らう勇気があたしにはない、それだけだ。これから1か月、王様不在のままで続く民の踊りのレッスンを思うと、あたしだって楽譜を丸めて投げ捨てたくもなる。だけど、それをしたら捨てるのは楽譜じゃない。この1年の努力と掴んだチャンスを捨てるなんて、あたしにはできなかった。







 翌日、センターの3人と、昨日ボイコットすると言っていた数名はレッスン場に顔を見せなかった。

「君たちが考えてることはわかるけど、私は切り捨てていいと任されているからね。大切なものがなんなのか、よく考えて。1年で先輩面するようなみっともないプライドなんかこの世界じゃ邪魔なだけよ、そういう世界なの」

 振付師の高梨さんが呆れた顔であたしたちに宣言した。ハッキリ、「切り捨てる」と。レッスン前でまだひとつも動いてないのに、それを聞いたみんなが顔を真っ赤にして汗をかいてる。あたしも、嫌な汗で首筋がべとつくのを感じた。

「蹴落とされたら地を這ってでも、泥の中に埋まっても、這いあがるチャンスを狙って踏ん張るのよ。……ったくもう。こんなの親切に教えてくれる人なんて誰もいないんだからね。でも私も同じような思いしてきたから、君たちを応援したい。新しく入った子はきっと君たちをこの世界の頂点まで導いてくれる。会ったら絶対に納得する。だから今は歯を食いしばって」

 高梨さんは、言葉よりうんと優しかった。あたしたちは当然まだ納得なんて出来なかったけど、その気持ちに応えようと一斉に声の限り「ハイ!」と叫んだ。

 それから数日後のこと。

「マズいよ、由衣たちがボイコットしてること、もうSNSで回ってる」
「いくら何でも早すぎじゃない? 誰かが流してるってこと?」
「……違う。見てこれ」

 SNSに、週刊誌の記事が載ってた。『異例の緊急大抜擢! 檸檬デビュー曲のセンターは中学生!』。それを見た瞬間、心臓が爆発しそうなほどに激しく鼓動して、耳の下がずきずき痛みだした。

「クソマスゴミ! どっから嗅ぎつけんだよっ!」
「まあこれだって身内から流れたことかもしんなくない?」
「むしろ運営が宣伝になるって魂胆でやってるのかもよ」
「あー、もう何も信じられない!」

 ふいに、高梨さんが言った「そういう世界なの」って言葉を思い出した。あたしたちが飛び込んだ世界は、こういう世界なんだ……。







 再会は最悪の形で訪れた。切り捨てるとは言いながらも元センターの3人は運営に呼び戻されて、彼女たちがボイコットしたことを謝罪すると共に、新しいセンターのお披露目のための記者会見を行うらしい。

 謝罪。なんて重い言葉だろう。由衣たちは、そんなに悪いことをしたの? 理不尽な仕打ちに小さく抵抗しただけじゃないの? もちろん、まずすべきは直談判だったかもしれないけど、何の相談もなしに約束を破った運営に何か言いに行ったところで何かが変わったとも思えない。

「三田 薫子さんはいりまーす!」

 ホテルの控室で待機していたあたしたちの沈黙を破ったのはスタッフだった。新センターになる子の名を告げながら入ってくる。あたしたちのほうが先にいて、あとから新人が来る、この時点でもうあり得ない屈辱。序列があからさますぎて、咳をするみたいに乾いた笑いがあちこちで起こった。

 スタッフに続いて扉の向こうからやってきたのは、日焼けのあの子だった。オーディションの時より少し垢抜けていて一瞬わからなかったけど、間違いない。

「初めまして。三田 薫子と申します。まだまだわからないことばかりですが、先輩がたに早く追いつけるように頑張りますのでどうぞよろしくお願いします」

 追いつく以前にセンターじゃん。心の中でそう毒づきながら、無言で会釈。みんなも同じような感じだったから、心の中もだいたい同じだと思う。そこで記者会見の段取りを聞いて、「元」センターだった3人とこの薫子とかいう新しいセンターさんが手を取り合う画をいただきますと言われて、あたしたちは互いに顔を見合わせた。

「手を取り合うってより、靴でも舐めた方がいい画が撮れるんじゃないですか」
「玲、やめなって」
「だって愛、こんなのってないよ……」
「……よろしくお願いします」

 スタッフに嫌味で当たる玲、覚悟したのか険しい表情の愛、作り笑顔を浮かべた唇をかみしめる由衣。あたしたちは元々ひと山いくらの存在だったけど、彼女たちは違う。センターという王座を奪った相手と仲良く手を取るなんて、死んでもしたくないんじゃないかと思う。

 会見時間は謝罪1分薫子10分。眩しい祝福のストロボは、全部が薫子に注がれた。結局、あたしたちはとても弱い立場なんだということを、嫌というほどに思い知らされただけだった。

 その夜、玲が死んだ。







 玲の死は、遺書もなく状況から事故と判断された。そのあたりからのことをあたしはよく覚えてない。マスコミはやれ「抗議の自殺」だとか、「プロデューサーと体で交わした契約を反故にされた」なんて、面白おかしく書かれてたような気はするけど、それよりも記憶にあるのは、「あたしたちは、玲の愛した檸檬をシーンのトップにするのが弔いだと思ってます」なんて、誰が言ったかわからないけど反吐が出るようなこの台詞が書かれた記事。

 その言葉は檸檬のキャッチフレーズにでもなったかのように日本じゅうを駆け巡り、追い風になってあたしたちのところに戻ってきた。玲の死を枕絡みにしたくないってファンの気持ちも大きくて、SNSでも玲を悼む声が美談を掲げて積み重なる。消化しきれないあたしの気持ちを置き去りにして、どんどん明るい未来に向かって上書きされてく。あたしたちは大事な仲間の命さえ踏み台にしていくんだな、なんてことをあんまり働きたがらない頭でぼんやりと考えたりもしたけど、それが正しいことなのか間違ってるのかなんてことは、考えるだけ無駄だった。

 PV撮影が間近に迫って衣装が完成した頃、ようやくレッスン場に薫子が現れた。意外なことに、衣装はあたしたちと全く同じものだった。薫子はこっちに小さく会釈して、居心地悪そうにバーレッスンを始めた。相変わらずカカシみたいで、だけどその長い手足が鼻についた。

「色違いにでもしてくるかと思ってた」
「あたしも、同じこと考えてたよ」

 愛が耳打ちしてきた。

「でもあの子にアレ、付けてほしくないな……」

 その横で由衣が呟いた。玲が好きだった色、青いワッペンのことだ。左胸で校章のように輝く金糸のワッペンの台座は、元々はグループ名にちなんだ黄色だった。玲のことがあってこうなったけど、それを薫子にも、というのはやっぱり憤るものがある。きっとどこまで行っても彼女のことを許せる気がしない。悪いのは彼女ではなく運営なんだけど。

「はい、衣装で練習するのは今日だけだからね、気合入れてよ!」

 不穏な空気を散らすように高梨さんが手を叩いて声を上げた。あたしたちは反射的に最初のポジションにつく。イントロが流れる。初動のために握った拳に力を込め、静かに息を吐く。

 12小節目、ユニゾンでの歌い出しで薫子を除く全員が拳を上に高く勢いよく挙げる。そのまま3小節歌ったところで16小節目、ひと塊になったあたしたちを砕いて割くようにして彼女が歌い始める。そういう段取りだ。あたしはいちばん奥にいるから、歌い出すところを見ることになる。

 音源に合わせて小さく口ずさみながら、あたしはその瞬間が来るのを伺っていた。心の準備を万端にして。それなのに。

 すっ、と、彼女が位置についた途端、空気が変わったのに気がついた。彼女の周りだけ、まるで別の空間みたいに、ひんやりとした、だけどものすごいエネルギーが膨張して、巻き込まれるような、そういう空気。曲も、みんなの声どころか口ずさんでる自分の声さえも、その膨張した空気の外側に行ってしまったみたいで、自分のか彼女のか分からない心臓の音と、彼女の深い息づかいだけが迫ってくる。

 彼女に腕を払われるのが道を開ける合図だった。それなのに彼女があたしに手を伸ばして触れる寸前、あたしは崩れて跪いてしまった。電撃を浴びたみたいだった。同時に、息苦しいほどに膨張した空気がはじけて、折り重なった音がスコールのように激しく、鮮やかに降って来た。毎日聴いてる音なのに全然違う音みたいで、多重な音の全部がひとつも逃さず体の奥まで届く感じがした。そのあとは、ただただ彼女の目、彼女の指、彼女のつま先の見えないタクトに操られるみたいに踊り続けた。

 オーディションで見た粗削りなダンスから目が離せなかった理由が、わかってしまった。あたしたちとは別のカリキュラムで既存曲を覚えたり、ダンスレッスンを重ねていたというのは知ってる。だけど1か月やそこらであたしたちに簡単に追いつけるわけないと思ってた。なのに彼女は、そのラインなんかとっくに飛び越えて、遥か先まで進んでしまってた。そういう次元の子だったんだと、どうしようもなく今、わかってしまった。

 簡単な、俗な言い方をしてしまえばそれはオーラ。でもそんな曖昧な感覚なんかじゃなくて。いっしょに踊ったことで、耳が、肌が、直にそれを受けてしまった。全身の細胞が、痺れていうことを聞いてくれない。すごくすごく悔しいのに、カラダは歓びで震えてる。だって、こんな風に踊ったことなんかなかった。いままで生きてきた中で、いちばん楽しかった。こんなにも歌うこと、踊ることが快感だなんて、あたしは知らなかった。

 曲が鳴り終わったあとも、あたしたちは最後の場所で固まったままだった。みんなの息がいつも以上に荒い。胸を、肩を、大きく上下させて、全員がその場にいた。
 『会ったら絶対に納得する』……。きっとみんな、同じ快感の中にいるんだ。

 認めたくはなかった。だけど、認めるしかなかった。薫子が、紛れもなくあたしたちの王だってことを。







 あたしたちのデビューはセンセーショナルな話題に事欠かず、特にネットでのトレンドは独占状態だった。話題性のあるなしは知名度、売り上げに直結してデビューシングルはチャートのトップを飾った。

 注目されればされるほど、世間にいろんなことを言われた。初めのうちは「中学生センター、カオ【三田薫子】の策略」とか、それと玲のことが話の中心だった。けどだんだん、それがあたしたちの確執、なんて話にすり替わってきて、雲行きが怪しくなってきた。
 あたしや、末席のメンバーをモブだと言い出す人が現れだして、目をそむけたくなるような書き込みが増えていった。

「さすがに凹むね」
「それでも頻繁に名前が出るだけカナエはまだいいのかもよ。私なんて殆ど何も書かれないもん」
「カオはずっとこんな思いしてきたんだよね、なんか、ほんとゴメン」
「えっ、謝んないで?」
「だって悪いのは勝手に決めた運営じゃん。それを外からやいのやいの言われて、内じゃあたしたちの負の感情をひとりで全部受け止めてたなんて、今になって申し訳ないやら恥ずかしいやら……」
「カナありがと。愛してる」
「あたしも、もうカオがいなきゃ生きていけない!」
「私も! カオのいない檸檬なんてもう考えられない」

 初めて合わせたあの日に感じたカオ……薫子への思いは、すぐには表に出せなかった。悔しさと照れ臭さが混じったような甘酸っぱい感情を引きずって、あたしたちはデビューした。
 だけどあまりにも忙しくて、あまりにもキラキラしてる、そんな毎日を文字通り寝食共にしているうち、次第に打ち解けあってた。

 あたしたち檸檬は、そういえば彼女が来る前の1年にだって、いろいろあったんだ。それを乗り越えてひとつになった。だから彼女とこうなれたのも、ごく自然なことだった。

 それ以前に何より、あたしたちはそこらのファンに負けないくらい、カオを愛してしまってる。カオと歌い踊るこの空間に、カオの醸し出す世界観に、これ以上ないくらい魅了されてしまっているんだ。

 だけど、だからこそ。今、すごく辛い。

 あたしはアイドルってすごく特別なものだと思ってて、特別な人しかなれないものだと思ってた。勉強もスポーツもそれほど得意ではなくて、けど容姿は少しだけ自信があった。友達とコスメやメイクの話をするときはあたしを参考にしてくれる子も多かったし、男子から告白されることも少なくなかったりしたから。要するに、自分はちょっと特別だと思ってた。

 実際オーディションに合格して檸檬に入れたくらいなんだから、特別なんだ、選ばれたんだ、って思った。でもそんなの、幻想だってすぐにわかった。ここでは可愛くて当たり前だったから。

 センターだった3人は特に群抜きで可愛いくて、その横、後ろに連なってた子たちもうちの学校にはいないってくらい可愛いかった。そんな中で、あたしは埋もれてた。自分の特別だと思ってた部分に価値がないことを知って、他になにがあるか考えた。

 だけど、歌もダンスも、すごく上手な子がいて、あたしがどんなに頑張ったところで、敵わないって分かるまでに時間はかからなかった。それでも仲間が応援してくれるから、頑張ってこれた。

 でも……、カオを知ってしまったあたしは、自分が本当に何者でもないんだなということを嫌というほどに悟ってしまった。しかもあんなにカリスマなのに、レッスン場に誰よりも早く来て練習してるんだ。今まで最初にレッスン場に入るのはあたしだった。彼女はいつも、あたしが着く頃にはTシャツが透けるほどの汗をかいてる。天才が誰よりも努力をしてたら、そりゃ誰もかなうわけない。嫌味でもなんでもなく、そういうところを尊敬する。でもあたしは同じだけの練習をしても、あそこまで行けない。特別な人っていうのは、カオみたいな人の事なんだ。それが分かってしまって、足がすくむ。あたしに、アイドルの資格なんかないんじゃないかって。

『あたし、凡人なんだなぁ』

 誰かに慰めて欲しかったのかもしれない。そんなことない、特別だよって、否定してほしかったんだなと、あとになって思う。でも指がそう呟いたのは、無意識に近かった。それほど、自分が追い詰められていたってことなのかもしれないけど。

『カナエは普通なのがいいんだよ』
『そこが可愛い』
『クラスにいそう感がイイ』
『カナエ普通に可愛いけど集合写真だとカオ以外みんな同じ顔に見えるからなんとも』
『まあ普通に今時っぽい子だよね』

 SNSに連なる言葉は、そのほとんどが向こうにしてみたら応援の意味だということは見てとれた。でも、そのどれもが、揃ってあたしを凡人だと認めていたことに、あたしは深く深く、落ち込んだ。

 普通がいいなんて、意味がわからなかった。普通なら、アイドルでいる意味なんかなくて、ただただ学校で、会社で、って、ちやほやされる女子でいればいいだけ。

 書き込まなきゃよかった……。中でも区別がつかないなんて言われたのは本当にショックだった。

 自分の中で消化できないこの気持ちを、あたしはこれ以上誰にも吐き出すことも出来ずに、誰とも会いたくなくて、部屋に閉じこもった。SNSはもう見ない。あたしはどうせ普通だ。凡人だ。価値なんかない。これ以上、わかりきった同じことを言われるのを見るなんて、ごめんだ。鏡に映る顔はどこにでもいそうな女子高生で、あたしにはそれがもう、自分の顔なのかどうかさえ、わからなくなってた。







 何日かが経った。昨日までは頭がベタベタして、背中も痒かった。でもお風呂に入りたい気分になれなくて、そうしたらなんだか今日あたりにはどうでもよくなった。それでもトイレにはかろうじて行く。食欲はぜんぜんなくて、だけど時々お腹が鳴るから買い置きのスナックでそれを満たす。床に散らばる空の袋に足が当たって、残りカスがこぼれた。あたし、このお菓子がなくなったら死ぬのかな。そんな考えがふと、頭をよぎった。でもどうでも良かった。死んだら死んだでいいや。そうしたらあたしはもう苦しくないし、あたしの代わりならいくらでもいる。なんせみんな同じ顔に見えるんだから。

 ガタン

 玄関ドアの郵便受けが大きな音をたてた。え? 今、何時だろう……。曜日とか時間の感覚もハッキリしない。窓に目をやると、カーテンの隙間からほんの少し見えた空は真っ暗だった。

 少し不審に思いながら郵便受けを開けると、中にはA4くらいの大きな封筒が入ってた。封筒は封がされてなくて、固くて大きめの紙が入ってるのが触った感じでわかった。

「あ……、色紙……?」

 何日かぶりに口から声が出た。風邪をひいてるわけでもないのに、喉を使っていなかったせいか掠れて、変な声。封筒を逆さにしたら、色紙と1通の手紙がすとんと落ちた。

「みんなから……」

 色紙には、メンバーからの励ましの言葉が書かれてた。そこに書かれてたことで驚いたのは、今までの揉め事のわだかまりを解くきっかけのようなものになってたのがあたしだったらしい、ということ。あたしは全然そんなの意識してなかった。

『あたしと玲がセンター取り合って揉めたあと誰も触れてくれなかったとき最初に声かけてくれたのがカナエだったんだよ。カナエがいなかったらずっとギスギスしてたと思う。だから今度は頼ってね! 待ってるから! 由衣』

『一発で振り付け覚えられないのに何がセンターだよってみんなにハブられてた時、朝早く練習しよって誘ってくれたカナエにホント救われたの。今はゆっくり休んで、帰ってきてね。 愛』

『最初に話しかけてくれたの、カナだから。カナのいない檸檬なんて檸檬じゃない。お願いだから側にいて。 薫子』

 手紙は運営からで、要約すると理由は作っとくからゆっくり休めってことだった。

 途中、視界がぼやけて何度も涙を拭った。あたし、いていいんだ。胸がじんわり熱くて、カチコチの氷みたいに固まってた心が溶けていく感じがした。

 スマホの電源を入れたら、ILNEの通知がすごいことになってて、あたしは慌ててメンバーに返信。即レスで返ってきたみんなからのあったかい言葉が全部、キラキラ輝いて見えた。

 そのあと、Twistaも覗いてみた。トレンドに『#普通がいい』ってあって、なんだろってタップしてみたら、『普通』がどれほど価値があるものか、って感じのタグで、あたしに宛てた呟きもたくさんあった。

『特別なのが良きゃカオ、俺は #普通がいい からカナエ。そこに需要がある限り、普通は不滅』

『俺らから見て普通に見えるカナエは、見えないとこが実はスゴイのかもしれんよな』

『僕は自分を凡庸で無価値だと思っていたから、カナエちゃんが頑張ってると自分も頑張ろうって思える。世の中が選ばれた、特別な人間だけに門を開くなら、僕は生きていても意味がない。カナエちゃんが輝ける世界は、希望なんだ』

 あたしが……、希望……。

 当然そんな風には自分では思わないけど、メンバーの言葉と合わさって、あたしを優しい何かが包み込んだような気がした。窓に向かって歩いて、ずっと締め切ってたカーテンを開いて、窓を開けた。夏の終わりの心地よい冷気と、かすかな虫の声、少し湿った土のにおいがした。

 ああ、お腹が減ったなぁ。でもその前に、シャワーを浴びよう。

 鏡に、ひどくやつれてボサボサ頭の女子高生が映ってた。あーあ、これじゃ、アイドルやってますなんてとても言えないや。ねぇ、カナエさん?

 あたしは鏡に向かって舌を出したり、いーっ、をして、それから。

 思いっきり、笑った。

 鏡に映ったあたしの後ろで、青色のカーテンが風にそよいだ。