「すいません、ごめんください」


なぜ呼び鈴が壊れてるのに直さないんだろう、と切実に思う。
コンコン、と扉をノックするのに、中からは何の反応もない。

これは、きっとあれだ。
やっぱり勉強しろってことなんだ。
僕はふう、と嘆息し、目を閉じる。


「やめよ。また今度にしよ」

「何がだ?」
「べあっ!?」

振り返るや(いな)や現れた巨人な男性に、僕の体はばんっと伊野さん家の扉にぶち当たった。
何なんだ、気配なんか微塵も感じなかったのにいつの間に!

ばくばくばく、と口から心臓が飛び出そうになっている僕を見て、高そうなスーツに身を包んだ大男は、軽く眉をひそめる。

「人の顔見て奇声をあげるとは失礼な奴だな」
「あっ…いや、すいません…」

いけない、このひと怒らせると怖そう。
反射的にへこ、と頭を下げる道中、視線が男のスーツのラベルピンを捉えた。

バッジには、金色のひまわりの花弁の中央に銀色の天秤が彫られている。

…え、これって。

まさか弁護士バッジじゃないのか、と顔を上げた時には、その男性は家のドアノブに手をかけていた。

「え!?」
「え?」
「あっいや…べ、弁護士さん?」
「…いかにもそうだが」
「弁護士さんが…何の用で」
「いや、あんたもここの人間に用事があるんじゃないのか?」

おれは届け物届けに。そう言うと紙袋を掲げて、躊躇いなく扉を開いた。

(いや、鍵)

かかってないんかい。


「壊れてるらしいから用事あんだったら勝手に入ればいいと思うぞ」

言われるがままに後ろに続くと、僕の部屋と同じ間取り目一杯に、銀杏の葉が敷き詰められた六畳一間。

そこに突っ伏す一人の男性がいた。

銀杏並木の公園をそのまま持ち帰ったような幻想的な風景に、一瞬、目を奪われた。
秋がある、と惚けてから、しかし横倒しで微動だにしない人間にはっとする。

ちょっと、これ。

「え、ちょっとしっかりして下さ」
「起きろ、伊野」

僕がすかさず駆けよろうとした彼の横っ面に向かって、弁護士さんは容赦なくがす、と一発の蹴りを入れた。
弁護士ってこんなことして良かったっけ、と素朴な疑問が脳裏を(よぎ)る。

まさか本気で餓死でもしてやいないだろうなと僕が心配するのも束の間、寝そべっていた彼、伊野さんはのそりと顔を此方に向けた。

そのスピードたるや、まるでかたつむりの歩行だ。


「…おぉ、どしたの」


「客、そして差し入れ」

寝転んだ伊野さんの眼前に紙袋を置くと、弁護士さんは辺りを見回す。

「ニコルは?」
「散歩行ってる。最近銀杏の葉を集めて俺にくれるのよあの子」
「ああ、それでこの部屋(ザマ)

たまに毛虫とか付いててびっくりー。
まるでびっくりしていない棒読み加減に、僕はぱちくりと瞬きを繰り返す。