火曜日の帰り道。別々の電車に乗って、一度帰宅する。制服から私服に着がえて、用意しておいたエプロンとお財布、そして事前に買っておいたラッピングの入ったカバンを肩から下げてアコの家へと向かった。
 ちょうどインターホンを鳴らそうと指をのばすと、後方から息を切らしたアコが走ってくる。
「みっちゃん、ごめん! 今から着がえるからリビングで待ってて」
「あ、ゆっくりでいいからね」
 帰り道はアコと先輩のデートの時間だ。こういうのって通学路デートっていうのかな? 名前はどうあれど付き合い始めたばかりの二人の貴重な時間ってことには変わりない。そんな大事な時間を邪魔するつもりなどない。……もうすでに少し邪魔しちゃっているかもしれないけど。
「お邪魔しま~す」
 アコの家はお父さんもお母さんも共働きで今の時間はアコだけ。二階の部屋に戻るアコを見送って、すでに何度と足を運んだリビングへと進む。すると机の上には今回使うのだろうホットケーキミックス、ココアパウダー、紅茶のパック、ケーキのカップがすでに用意されていた。おそらく冷蔵庫にはたまごと牛乳も買いそろえてあるのだろう。一緒に買いに行くつもりでお財布持ってきたのに、すでに準備済みだったようだ。後でお金いくらかかったか聞かなきゃ。
 お買い物の予定もなくなり、アコが着替えている間にカバンからエプロンを取り出す。背中でりぼん結びをするタイプではなく、ボタンをひっかけて頭からかぶれば大丈夫なタイプのもの。小学生の時から愛用しているこのエプロンはアコから誕生日プレゼントにもらったものだ。
『胸のところにあるアップリケのリスがみっちゃんによくにてるでしょ』
 改めてむなもとをじいっと眺めてみてもこの子と似ている自覚はない。けど毛色はわたしのちょっと明るめの茶色い髪の毛と似ているし、くりっとした目がかわいくて気に入っている。
「みっちゃん、お待たせ」
 そして急いでやってきたアコが身につけているのはその年のアコの誕生日にわたしが送ったうさぎのエプロンだ。円城先輩はアコのこと、チワワみたいって例えるけど、わたしから見たアコはうさぎさんだ。サラサラとした毛と小さくて守りたくなるところとかピッタリだ。ここだけは譲れない。
「じゃあ始めようっか」
「うん!」
 こうしてわたしたちはお互いに送り合ったエプロンを身につけて、カップケーキ作りを始めた――といってもアコが言った通り、そんなに難しいものではなかった。
 材料を計って、混ぜて、容器に流し込んで、焼くだけ。これならわたしも今度一人でも家で作れそうだ。ちなみにお料理の最重要ポイントともいえる計量はアコがやってくれた。後は焼き上がるのを待つだけだ。
 調理器具を洗い終え、アコにいれてもらった紅茶を飲みながらおしゃべりをする。するとあっという間に焼き上がりの時間は経過して、オーブンの焼き上がりの音が鳴る。
「出来た」
 ミトンをはめたアコがオーブンを開くと、部屋中にぶわっと甘い香りが広がっていく。
「おいしそう」
 今回作ったのはプレーン、ココア、紅茶の三種類だ。小さめのものを一種類ずつ先輩たちにラッピングしてわたす予定。三人に渡すから9個で足りるのだが少し多めに作った。だってこういうのは味見が大事だから。
「早速味見しなきゃ!」
「まだ熱いから少し冷まさないと」
 アコはまだダメと身体の前で手をクロスさせる。だから椅子に座って、形が悪そうなものに狙いを定める時間にすることにした。
「これはきれいにふくらんだから円城先輩の分だね」
「こっちはふくらみが悪いから食べちゃおっか」
「わたすやつは先によけとかなきゃ」
 そんなことを話しているうちに、カップケーキは食べ頃をむかえ、無事アコからGOサインが下される。今日食べちゃう用のものから紅茶味のケーキを選んで手に取る。
「いざ実食!」
 そしてぷっくりとふくらんだケーキを上からがぶりと頬張った。
「美味しい!」
「うん。上手くできたね」
 結果は大成功。
 アコのおかげだねなんて笑いあって、三人にわたすケーキのラッピングをしてしまう。ラッピングと言っても円城先輩のだけは特別だ。中身は同じだけど、円城先輩のはアコが選んだお花がらのラッピング。いかにも彼女からのプレゼントといった感じ。一方で佐伯先輩と河南先輩に渡す分はわたしが用意した青い水玉模様のもの。
二人には悪いが、一番出来のいいものは円城先輩のところに入れさせてもらった。だからごっちゃになってしまっては困るのだ。三人分のお菓子はアコの用意した紙袋にいれて、学校へ持って行くことになった。
 先輩たち、喜んでくれるかな?
 そわそわとした気持ちを胸に屋上に登ると、そこにいたのは円城先輩と河南先輩だけ。佐伯先輩の姿はなかった。どうやら進路のことで先生に呼ばれているらしかった。遅れてくるのかな? そう思って待っていたけれど、結局昼休みが終わる方が先だった。
「佐伯にわたしとくよ」
 河南先輩が佐伯先輩の分も預かってくれたけれど、結局日頃のお礼は告げられぬまま。だから今度、って思ったのに、その日を境に佐伯先輩が屋上に顔を見せないことが続いた。来てもすぐに帰ってしまうのだ。
 わたしの中で水曜日の5人での屋上ランチは週に一度の楽しみになっていた。だから一人でも欠けてしまうのがなんだかイヤで、その一人が佐伯先輩であることがたまらなくイヤだった。
「どうしたみっちゃん、手が止まってるぞ~」
 もやもやとした気持ちを押し込めるようにサンドイッチを頬張る。口の中は大好きなタマゴサンドで満たされているのに、ぜんぜん幸せにならない。量が足りないからかな、ってもっと口の中に入れていく。けれど人間の限界は思いの外、すぐにやってくるもので、のどはすぐに限界だよ~と根をあげる。モゴモゴと口を動かして、手元の水筒を探す。アコはわたしの状況に気づいて水筒の口を開いて「はい」とてわたそうとする。けれどそれよりも先に目の前にストローが差し出される。
「飲んで」
 降り注ぐ声に素直に従って、吸い込めばストローを通過してやってきた緑茶はわたしののどを潤してくれた。
「みっちゃん、大丈夫?」
「ありがとう、ございます」
 顔をあげれば救世主である、佐伯先輩と目があう。
 時刻はおひる休み終了10分前。結構ギリギリだ。
 もらった緑茶をゆっくりと飲んでいると、わたしの頭に佐伯先輩の手が乗った。
「まだちょっと時間あるからゆっくり飲みな」
 年は二個しか違わない。けどタマゴサンドでのどを詰まらせるのは子どもっぽいのだろう。こんな扱い、今さらなはずなのにそのことが妙に胸にチクリと突き刺さった。

 でもわたしにはこの感情の名前がよく分からなかった。