クルマはあっという間に目的地に到着した。カイリさんとスバルさんの家は、さっき聞いたとおり、二人で住むにはずいぶんと大きい。昔は大型漁船の乗組員の家族が、合計三十人近く住んでいたらしい。
瓦屋根が特徴的な、和風なところのある洋館だった。玄関で靴を脱ぎながら、二階まで吹き抜けのホールを見渡して、ほう、と息をつく。
「カッコいい建物ですね」
「だろ? ぼくも一目惚れでね。龍ノ里島に住むことになって、いくつか空き家を紹介されたんだけど、もうここ以外は目に入らなかった。エアコンが付いてなかったり、何かと設備が古いのが玉にキズかな」
「でも、暑くないですね」
先に家に上がったカイリさんが、ふわふわ舞う白いレースのカーテンを紐でくくった。
「潮風。龍ノ里は、いつでも風が吹いてるから」
窓を開けておいたら風が抜ける造りになっているんだろう。外出中も窓は閉めないものらしい。玄関の鍵も掛けてある様子はなかった。
一階には、スバルさんの部屋と台所と食堂、風呂場やトイレがある。おれとハルタの部屋は、二階に用意してもらっていた。
昔はそこで一家族が生活していたというだけあって、一部屋で十分に広い。ベッドが二つ置かれた区画と、ダイニングテーブルが置かれた区画に分かれている。
「すっげえ! 二段ベッドじゃないベッドって新鮮だな。兄貴、窓際と奥のほう、どっちがいい?」
「どっちでもいいよ。おまえが選べ」
「よっしゃ、そんじゃ、おれが窓のほう!」
荷物を放り出したハルタは、勢いよくベッドにダイブした。
ちょうどのタイミングで、カイリさんがタオルを抱えて部屋に入ってきた。カイリさんは、うつ伏せのままベッドで跳ねているハルタに、チラッと笑みをのぞかせる。
「おもしろいやつ」
カイリさんは、たぶんあまり笑うほうじゃない。口数が少ないのも、人見知りというより、もとからそういうタイプなんだろう。
おれはよそ行きの笑顔を作ってみせた。
「そのタオル、お借りしていいんですか?」
「適当に使って。一階に洗濯機があるから、洗濯は自分たちでやってもらえると助かる」
「洗濯の件は了解しました。ちゃんとぼくたちでやります。この部屋、いいですね。自然の風が抜けて涼しいって最高です。エアコンの風は疲れるというか、ぼくはちょっと苦手なんですよ」
「そう。足りないものがあったら呼んで。わたし、隣の部屋だから」
カイリさんは、おれのベッドがくっ付いているほうの壁を指差した。つまり、この壁の向こう側がカイリさんの部屋なんだ。
ドキッとしてしまった。壁、ちゃんと厚いんだろうか?
木目が鮮やかな壁に隙間や穴がないかと、一瞬、おれは目を凝らした。バカだなと、すぐに思い返す。去年の夏くらいから、おれはときどき凄まじくバカになる瞬間がある。変な目で女子を見てしまって、自己嫌悪する。自分で自分が気持ち悪い。
ベッドの上でバタ足をしながら、ハルタがカイリさんを振り返った。
「なあ、カイリ、この家って、ほかにもたくさん部屋あるだろ? そこは使ってねぇのか?」
「使ってない。家具も置いてない。掃除だけはしてあるけど」
「ふぅん。もったいねぇな。誰か住みゃいいのに」
「ハルタが住む?」
「こんな広い家なら大歓迎!」
「でも、もうすぐこの島、何もなくなるよ」
ハルタがベッドの上に体を起こした。たった今まで笑っていた顔が、難しげに眉をひそめている。こんな顔をすると、ハルタもおれと似ているんだなと気付く。鏡に映るおれは、今のハルタみたいに、いつでも疑問を抱えた顔をしている。
「何もなくなるってマジか? 話は聞いてるけど、実感が湧かない。この島、人口少ないけど人は住んでるし、電気もガスもあるっぽいし、電話線でネットもつながってるらしいし、フェリーには新聞とか郵便とか食べ物とか積んであったし」
カイリさんは、まっすぐな目でハルタを見つめた。
「島も、人間と同じ。眠りに就くときが来る。それだけのこと」
風がふわりとカイリさんの髪を揺らした。カイリさんのきれいな横顔は淡々として、だからこそひどく寂しげに見えた。
龍ノ里島では今、三十人ほどが生活している。お年寄りがほとんどらしい。でも、それもこの八月が終わるまでのことだ。夏が行くとともに、彼らは全員、島から離れることになる。発電施設も全部、別の島に移設されるらしい。
ハルタが、ニカッと笑った。
「最後だってんなら、なおさら、思いっ切り楽しまないとな。海水浴して、魚釣りして、虫捕りして、夜は花火! 兄貴もカイリも付き合えよ!」
小学生気分が抜け切っていないやつだ。いや、そこらへんの小学生より、よっぽど子どもっぽい。ため息をつくおれと、カイリさんの目が合った。カイリさんはチラッと肩をすくめて、頬に小さなえくぼを作った。
まただ。また、ハルタがカイリさんを笑顔にした。おれじゃなくて、ハルタなんだ。
瓦屋根が特徴的な、和風なところのある洋館だった。玄関で靴を脱ぎながら、二階まで吹き抜けのホールを見渡して、ほう、と息をつく。
「カッコいい建物ですね」
「だろ? ぼくも一目惚れでね。龍ノ里島に住むことになって、いくつか空き家を紹介されたんだけど、もうここ以外は目に入らなかった。エアコンが付いてなかったり、何かと設備が古いのが玉にキズかな」
「でも、暑くないですね」
先に家に上がったカイリさんが、ふわふわ舞う白いレースのカーテンを紐でくくった。
「潮風。龍ノ里は、いつでも風が吹いてるから」
窓を開けておいたら風が抜ける造りになっているんだろう。外出中も窓は閉めないものらしい。玄関の鍵も掛けてある様子はなかった。
一階には、スバルさんの部屋と台所と食堂、風呂場やトイレがある。おれとハルタの部屋は、二階に用意してもらっていた。
昔はそこで一家族が生活していたというだけあって、一部屋で十分に広い。ベッドが二つ置かれた区画と、ダイニングテーブルが置かれた区画に分かれている。
「すっげえ! 二段ベッドじゃないベッドって新鮮だな。兄貴、窓際と奥のほう、どっちがいい?」
「どっちでもいいよ。おまえが選べ」
「よっしゃ、そんじゃ、おれが窓のほう!」
荷物を放り出したハルタは、勢いよくベッドにダイブした。
ちょうどのタイミングで、カイリさんがタオルを抱えて部屋に入ってきた。カイリさんは、うつ伏せのままベッドで跳ねているハルタに、チラッと笑みをのぞかせる。
「おもしろいやつ」
カイリさんは、たぶんあまり笑うほうじゃない。口数が少ないのも、人見知りというより、もとからそういうタイプなんだろう。
おれはよそ行きの笑顔を作ってみせた。
「そのタオル、お借りしていいんですか?」
「適当に使って。一階に洗濯機があるから、洗濯は自分たちでやってもらえると助かる」
「洗濯の件は了解しました。ちゃんとぼくたちでやります。この部屋、いいですね。自然の風が抜けて涼しいって最高です。エアコンの風は疲れるというか、ぼくはちょっと苦手なんですよ」
「そう。足りないものがあったら呼んで。わたし、隣の部屋だから」
カイリさんは、おれのベッドがくっ付いているほうの壁を指差した。つまり、この壁の向こう側がカイリさんの部屋なんだ。
ドキッとしてしまった。壁、ちゃんと厚いんだろうか?
木目が鮮やかな壁に隙間や穴がないかと、一瞬、おれは目を凝らした。バカだなと、すぐに思い返す。去年の夏くらいから、おれはときどき凄まじくバカになる瞬間がある。変な目で女子を見てしまって、自己嫌悪する。自分で自分が気持ち悪い。
ベッドの上でバタ足をしながら、ハルタがカイリさんを振り返った。
「なあ、カイリ、この家って、ほかにもたくさん部屋あるだろ? そこは使ってねぇのか?」
「使ってない。家具も置いてない。掃除だけはしてあるけど」
「ふぅん。もったいねぇな。誰か住みゃいいのに」
「ハルタが住む?」
「こんな広い家なら大歓迎!」
「でも、もうすぐこの島、何もなくなるよ」
ハルタがベッドの上に体を起こした。たった今まで笑っていた顔が、難しげに眉をひそめている。こんな顔をすると、ハルタもおれと似ているんだなと気付く。鏡に映るおれは、今のハルタみたいに、いつでも疑問を抱えた顔をしている。
「何もなくなるってマジか? 話は聞いてるけど、実感が湧かない。この島、人口少ないけど人は住んでるし、電気もガスもあるっぽいし、電話線でネットもつながってるらしいし、フェリーには新聞とか郵便とか食べ物とか積んであったし」
カイリさんは、まっすぐな目でハルタを見つめた。
「島も、人間と同じ。眠りに就くときが来る。それだけのこと」
風がふわりとカイリさんの髪を揺らした。カイリさんのきれいな横顔は淡々として、だからこそひどく寂しげに見えた。
龍ノ里島では今、三十人ほどが生活している。お年寄りがほとんどらしい。でも、それもこの八月が終わるまでのことだ。夏が行くとともに、彼らは全員、島から離れることになる。発電施設も全部、別の島に移設されるらしい。
ハルタが、ニカッと笑った。
「最後だってんなら、なおさら、思いっ切り楽しまないとな。海水浴して、魚釣りして、虫捕りして、夜は花火! 兄貴もカイリも付き合えよ!」
小学生気分が抜け切っていないやつだ。いや、そこらへんの小学生より、よっぽど子どもっぽい。ため息をつくおれと、カイリさんの目が合った。カイリさんはチラッと肩をすくめて、頬に小さなえくぼを作った。
まただ。また、ハルタがカイリさんを笑顔にした。おれじゃなくて、ハルタなんだ。