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 生徒会室は、特別教室が並ぶ棟のいちばん端にある。言い換えると、放課後には使われない場所のいちばん奥だ。
 ひとけのなくなった放課後の廊下は、当然というか、通行以外の方法で使われることになる。意中の人をこの廊下に呼び出すというのが、うちの学校の伝統的な告白スタイルだ。おれも生徒会室に向かう途中、呼び止められたことが何度かある。

 三月初めのことだ。おれは一人で卒業式関連の仕事をしていた。もうちょっとしたら、ほかの生徒会役員メンバーも来る予定だった。換気のために、窓だけじゃなく、廊下側の引き戸も半端に開けていた。
 足音が聞こえて、やっと誰か来たかと思ったら、違った。足音は、生徒会室より向こう側で止まった。

「き、来てくれて、ありがとな」
 男子の震える声がした。ああ、告白か。盗み聞きする趣味はないんだけど、この状況じゃ、どうしようもないな。
 知らない声だった。しっかり声変わりしているから一年生ではないだろうなと、おれは当てずっぽうなことを考えた。

「お、おれがこれから言うこと、わかってると思うし、おれはおれで、どんな答えが返ってくるか、わかってる。だけど、おれ、もうすぐ大事な試合があって、今のモヤモヤのままでいたくないから……す、好きです。チナミちゃんのこと、ずっと、好きでした」

 チナミ? 幼なじみと同じ名前に、ドキリとした。まさか本当に、あのチナミちゃんのことなのか?
 ペンを動かす手を止めたおれの耳に、聞き慣れた声が飛び込んできた。心臓をギュッとつかまれた気分になる。

「ありがとうございます、先輩。でも、ごめんなさいっ」
 チナミちゃんだった。おれは糸に引かれるように立ち上がって、足音を殺して、ドアのそばに潜んだ。

 先輩と呼ばれた人は、遠目に顔を見たことがある。おれと同じ学年のサッカー部の人だ。チナミちゃんと同じ体育委員。球技大会や体育祭の準備期間中、二人が仲良くしゃべる様子を何度も目撃した。

「いや、おれのほうこそ、気持ちを押し付けて、ごめんな」
「謝らないでください。あたしみたいにガサツな女の子を好きになってくれて、ありがとうございます」
「ガサツじゃないさ。元気で頑張り屋で、おれ、初めて話したときから、ほんと……でも、チナミちゃんには剣持兄弟がいるもんな。かなわないって、わかってた」

「剣持兄弟って、やだな、幼なじみってだけのつもりなんだけど。何か、みんなにそう言われるんですよね」
「だって、チナミちゃんと剣持兄弟の三人でいたら、そこだけすげぇキラキラしてるもんな」

 キラキラ、か。他人の目には、おれたち三人はキラキラに見えているのか。おれは、ざわつく胸を押さえた。
 光景を見ていられない。本当は耳をふさいでしまいたい。でも、聞きたい。光景の中に飛び込んでいって、ぶち壊しにしてしまいたい。

 少し黙ったチナミちゃんが、彼の言葉に応えた。
「あの二人だけですよ、キラキラしてるの。ハルタもユリくんも昔から知ってますけど、このごろ、あたしじゃ手が届かないくらいキラキラしてますもん」

「チナミちゃんも十分、輝いてるけどな。あのさ、ぶっちゃけついでに、失礼なこと訊いていい?」
「何ですか?」
「噂なんだけどさ、チナミちゃんが好きな相手、剣持兄弟の兄のほう?」

 息ができなくなった。うなずいてくれと、すがるような気持ちで願った。
 沈黙。
 それから、チナミちゃんは告げた。

「あたしもその噂、聞きました。でも、違います。ユリくんのほうが条件はいいって思うし、顔もきれいだけど、あたしが好きなのは、ハルタのほうなんです。ずーっと昔から、ハルタなんです」

 おれは、うぬぼれていたかもしれない。チナミちゃんは、いつもおれに「すごいね」と言ってくれる。チナミちゃんが選ぶのはケンカ相手のハルタじゃなく、一目置いているおれのほうだと勝手に思っていた。
 ああ、でも、わかっていたかもしれない。学校の行き帰り、おれたちとチナミちゃんが一緒になるときは、並び方が決まっている。左側がハルタで右側がチナミちゃん、おれが一人で後ろを歩く。ハルタとチナミちゃんが言い合うのを、おれは笑って聞いている。

 チナミちゃんと二人で歩いたこと、最近あったっけ? おれはなくて、ハルタはたまにある。帰りに偶然会ったからってハルタは言うけど、本当は違うんだろう。チナミちゃんはハルタだけを待っていたんだ。

 おれは力が抜けて、そろそろと座り込んだ。チナミちゃんとサッカー部の彼の会話は、声が聞こえているのに意味がわからない。
 バカみたいだ。チナミちゃんがハルタを選ぶのを聞いた瞬間に、自分の想いをハッキリと知った。おれはチナミちゃんが好きだったんだ。

 ハルタにはチナミちゃんを取られたくないと思っていた。頼れる優等生のユリトでいれば、チナミちゃんはおれを好きでいてくれると勘違いしていた。
 痛いな。おれはまたハルタに負けた。おれは精いっぱい頑張っているのに、頑張りが通用しない負け方で、ハルタに奪われた。

 胸に穴が開いたようで、傷口に風が吹き抜けていくみたいで、痛くて寒い。次にチナミちゃんに会ったら、どんな顔をすればいい? 今晩、ハルタの前で普通にしていられる?

 ぶちぶちと音をたてて、おれの中で、おれを支える糸が切れる。こんなにいっぱいあったんだ。チナミちゃんの前でカッコつけようと、ポーズを取っていた部分。
 だけど、全部じゃない。全部だったらピュアなのに、おれは計算高い。頼れる優等生だねと誉めてくれるなら、チナミちゃんじゃなくてもいいらしい。剣持ユリトという操り人形を吊るす糸は、まだまだこんなにたくさん、切れずに残っている。

「最悪だ……」
 つぶやいたとき、廊下から二人はいなくなっていた。おれは頭を抱えてうずくまったまま、動けずにいた。