カイリが、また違うことをおれに尋ねた。
「ユリトは、クルマ、好き?」
その「好き」という響きがくすぐったくて、一瞬だけ戸惑う。呑みかけた息とともに、答えを吐き出す。
「好きだよ。クルマは好きだ」
「ほかにも、好きなものがある?」
問われるままに思い描けば、素直な言葉が口からあふれる。
「クルマだけに絞れない。機械が好きだ。流線型のボディで風を味方にする、そういうデザインや機構が好き。この手で作り上げたマシンを走らせる、マシンに走ってもらう、その感覚が好き。機械に命が宿る瞬間を感じるのが好き」
レーサーは一人じゃマシンを走らせられない。マシンを設計するエンジニアがいて、レースの現場でピットインをする整備士がいて、チームをまとめるリーダーがいる。おれが憧れるのは、レーサーとマシンを支えるピットインチームのほうだ。
だけど、その憧れは本物なんだろうかと、何度も何度も自分に問い掛けている。レーサーになる才能がないから、自分にできそうな仕事を仕方なく選んで、それを憧れという言葉にすり替えているんじゃないか?
「好きなものを仕事にしたい?」
「それができたら最高だと思う。でも、どうなんだろ? できるのかな?」
「自信ないの?」
「自信ないよ。本当はいつだってそうだ。自分の計算高さというか、卑怯さを知ってる。自分で自分を疑ってる。でも……弱音吐いて、ごめん」
「謝らなくていい。話していいよ」
どうしてカイリは、おれの言葉を簡単に引き出してしまうんだろう? 複雑なやり方で封印しておいたはずの本音が、あっさりとこぼれていく。
「やってみたいことも好きなことも、できるとわかってからじゃなきゃ、口に出せない。おれはいつも兄貴役で、学校では優等生役で、できないとか自信がないとか言えない。おれには、口に出しちゃいけないことがいっぱいある」
「苦しいんだね」
夜の色に染まったカイリの目は、星の光をいくつも宿して、キラキラしている。
誰かの目を正面から見つめたことは、この島に来るまで、最近なかったかもしれない。カイリと目を合わせていると息ができなくなるのに、カイリの目はあまりにもきれいだから視線をそらしたくない。
「おれは、プラモートが大好きだから実車のレースに興味を持って、風をつかんで走るマシンに憧れて、自分でも作ってみたいと思ってた。子どもっぽい夢で、誰にも言えなかった」
「ユリトらしい夢だね」
「でも、おれはもっと別のものを目指すべきだって、学校や親は期待してるよ。いい大学に行って、いい会社に就職したり官僚になったりして、いい生活をする。そういうレールの上を走るべきだって」
いい大学、いい会社なんて言い方をされると、おれの大好きなサイエンスの世界さえ一気に色あせる。興ざめだ。でも、鈍感な大人たちはそれに気付かない。
だけど、何だかんだ言って、器用なおれはレールの上にいる。嫌が応にも時間は過ぎていく。このままじゃ、おれも鈍感な大人になってしまう。大人に近付くにつれて、自分が嫌いになっていく。
ユリト、と、歌うように澄んだ声がおれの名前を呼んだ。カイリが、ほんの少し、微笑んでいる。
「わたしは、学校でのユリトを知らない。ユリトがちょっとずつ自分のことを話してくれて、ハルタからたくさんユリトのことを聞いて、それだけしか知らない。わたしはただ、シュトラールに命を与えた、風が好きなユリトだけを知ってる」
おれの手に、カイリの手から生まれた熱の記憶がよみがえった。命あるものに奇跡が訪れると告げて、カイリはシュトラールの割れたシャーシを直した。奇跡? 魔法? カイリにはどうしてそんなことができる?
疑問を蒸し返さなかった自分に、今さらながら違和感を覚えた。いや、疑問に思うことへの違和感、だろうか。
龍ノ里島の景色のひとつひとつに、命の躍動を感じる。一瞬一瞬が奇跡みたいにキラキラして、なまなましい。命の形に手で触れることができる気がする。どんな奇跡も起こっておかしくないんじゃないか。
でも。だけど。
「カイリは、どうしてここにいるんだ?」
直感的に口を突いて出た問いは、自分でも思いがけない形をしていた。カイリが、ふわりと笑った。
「わたしがここにいる理由? そうだね。ただの気まぐれ。ちょっと見てみたくなっただけ。ありふれた夢を、最後に一つ」
「夢? 眠ってるときに見る夢のこと? それとも、目を開けて見る夢?」
「さあ? わたしにもわからない」
カイリは星空を仰いだ。きれいな横顔。長いまつげ。細い首筋。急に、カイリに触れてみたくなった。抱き寄せたら柔らかいことを、おれの体は覚えている。
ダメだ。触れたらきっと止まらなくなる。自分でもろくに知らない、体の奥のドロドロと熱いものが、一瞬でおれを支配してしまう。そんなのは汚い。吐き気をもよおすくらい醜いおれを、出会ったばかりのカイリには見せられない。
「カイリは……カイリが好きなものは、何? おれのシュトラールみたいな何かが、カイリにもある?」
「何だろう? たくさんある。でも、たくさんあったら、一つもないのと同じかもね。ああ、そういえば、歌がある」
「歌?」
「歌うことは好き。体で感じるもの全部を歌にする」
「聴いてみたい」
うなずいたカイリは、少し照れているように見えた。
しおさいさわぐ つきよのかげに
ほしをあおげば みちるなみだの
ゆめじをたずね まようはだれぞ
いのちあるもの たゆたいゆけば
いつかねむりに おちるときまで
みみをすませて ちしおのながれ
かぜのかなたに さやかにひかる
きみのゆくえは とわずがたりの
せつなにであい わかれはとわに
ねむりねむれば いつかはあわん
かたるにたりぬ ゆめまぼろしよ
いのちあるもの きみにさちあれ
「ユリトは、クルマ、好き?」
その「好き」という響きがくすぐったくて、一瞬だけ戸惑う。呑みかけた息とともに、答えを吐き出す。
「好きだよ。クルマは好きだ」
「ほかにも、好きなものがある?」
問われるままに思い描けば、素直な言葉が口からあふれる。
「クルマだけに絞れない。機械が好きだ。流線型のボディで風を味方にする、そういうデザインや機構が好き。この手で作り上げたマシンを走らせる、マシンに走ってもらう、その感覚が好き。機械に命が宿る瞬間を感じるのが好き」
レーサーは一人じゃマシンを走らせられない。マシンを設計するエンジニアがいて、レースの現場でピットインをする整備士がいて、チームをまとめるリーダーがいる。おれが憧れるのは、レーサーとマシンを支えるピットインチームのほうだ。
だけど、その憧れは本物なんだろうかと、何度も何度も自分に問い掛けている。レーサーになる才能がないから、自分にできそうな仕事を仕方なく選んで、それを憧れという言葉にすり替えているんじゃないか?
「好きなものを仕事にしたい?」
「それができたら最高だと思う。でも、どうなんだろ? できるのかな?」
「自信ないの?」
「自信ないよ。本当はいつだってそうだ。自分の計算高さというか、卑怯さを知ってる。自分で自分を疑ってる。でも……弱音吐いて、ごめん」
「謝らなくていい。話していいよ」
どうしてカイリは、おれの言葉を簡単に引き出してしまうんだろう? 複雑なやり方で封印しておいたはずの本音が、あっさりとこぼれていく。
「やってみたいことも好きなことも、できるとわかってからじゃなきゃ、口に出せない。おれはいつも兄貴役で、学校では優等生役で、できないとか自信がないとか言えない。おれには、口に出しちゃいけないことがいっぱいある」
「苦しいんだね」
夜の色に染まったカイリの目は、星の光をいくつも宿して、キラキラしている。
誰かの目を正面から見つめたことは、この島に来るまで、最近なかったかもしれない。カイリと目を合わせていると息ができなくなるのに、カイリの目はあまりにもきれいだから視線をそらしたくない。
「おれは、プラモートが大好きだから実車のレースに興味を持って、風をつかんで走るマシンに憧れて、自分でも作ってみたいと思ってた。子どもっぽい夢で、誰にも言えなかった」
「ユリトらしい夢だね」
「でも、おれはもっと別のものを目指すべきだって、学校や親は期待してるよ。いい大学に行って、いい会社に就職したり官僚になったりして、いい生活をする。そういうレールの上を走るべきだって」
いい大学、いい会社なんて言い方をされると、おれの大好きなサイエンスの世界さえ一気に色あせる。興ざめだ。でも、鈍感な大人たちはそれに気付かない。
だけど、何だかんだ言って、器用なおれはレールの上にいる。嫌が応にも時間は過ぎていく。このままじゃ、おれも鈍感な大人になってしまう。大人に近付くにつれて、自分が嫌いになっていく。
ユリト、と、歌うように澄んだ声がおれの名前を呼んだ。カイリが、ほんの少し、微笑んでいる。
「わたしは、学校でのユリトを知らない。ユリトがちょっとずつ自分のことを話してくれて、ハルタからたくさんユリトのことを聞いて、それだけしか知らない。わたしはただ、シュトラールに命を与えた、風が好きなユリトだけを知ってる」
おれの手に、カイリの手から生まれた熱の記憶がよみがえった。命あるものに奇跡が訪れると告げて、カイリはシュトラールの割れたシャーシを直した。奇跡? 魔法? カイリにはどうしてそんなことができる?
疑問を蒸し返さなかった自分に、今さらながら違和感を覚えた。いや、疑問に思うことへの違和感、だろうか。
龍ノ里島の景色のひとつひとつに、命の躍動を感じる。一瞬一瞬が奇跡みたいにキラキラして、なまなましい。命の形に手で触れることができる気がする。どんな奇跡も起こっておかしくないんじゃないか。
でも。だけど。
「カイリは、どうしてここにいるんだ?」
直感的に口を突いて出た問いは、自分でも思いがけない形をしていた。カイリが、ふわりと笑った。
「わたしがここにいる理由? そうだね。ただの気まぐれ。ちょっと見てみたくなっただけ。ありふれた夢を、最後に一つ」
「夢? 眠ってるときに見る夢のこと? それとも、目を開けて見る夢?」
「さあ? わたしにもわからない」
カイリは星空を仰いだ。きれいな横顔。長いまつげ。細い首筋。急に、カイリに触れてみたくなった。抱き寄せたら柔らかいことを、おれの体は覚えている。
ダメだ。触れたらきっと止まらなくなる。自分でもろくに知らない、体の奥のドロドロと熱いものが、一瞬でおれを支配してしまう。そんなのは汚い。吐き気をもよおすくらい醜いおれを、出会ったばかりのカイリには見せられない。
「カイリは……カイリが好きなものは、何? おれのシュトラールみたいな何かが、カイリにもある?」
「何だろう? たくさんある。でも、たくさんあったら、一つもないのと同じかもね。ああ、そういえば、歌がある」
「歌?」
「歌うことは好き。体で感じるもの全部を歌にする」
「聴いてみたい」
うなずいたカイリは、少し照れているように見えた。
しおさいさわぐ つきよのかげに
ほしをあおげば みちるなみだの
ゆめじをたずね まようはだれぞ
いのちあるもの たゆたいゆけば
いつかねむりに おちるときまで
みみをすませて ちしおのながれ
かぜのかなたに さやかにひかる
きみのゆくえは とわずがたりの
せつなにであい わかれはとわに
ねむりねむれば いつかはあわん
かたるにたりぬ ゆめまぼろしよ
いのちあるもの きみにさちあれ