長椅子の上に、赤い丸座布団が敷かれているボックス席。

 安倍とは向かい合う形で反対側に座った子供は、俺の服を握り、ぐいぐいと引っ張る。隣に座れと訴えているらしい。

 一応、席に案内したが、同席するのはまずい。仮にも俺は勤務中だ。
「ちょ……、俺、仕事中だから――」

 なんとか断ろうとしたが、横槍が入る。

「かまわないよ。お客人が良しとするなら、狐もここにいるといい」

 目を細め、口元をわずかにつり上げた安倍だった。
 笑っているように見えるが――その目は全く笑っておらず、品定めでもするような視線をじっと注いでいた。
 なぜか、俺に。

(……おい待て、なぜ俺だ)

 不審がるのは、子供の頼み事の方だろう。

 友達が消えたなんて相談事をここに持ち込んだ事もそうだが、両親がいないという事もひっかかる。

 頼れる大人が誰もいない状況で、この子はどうしてこの店を選んだのだろうか?

「縁だよ、狐」
「……え?」
「全ては縁によって繋がる。求めるものがあり、乞う思いが強ければ、縁を辿ってここに来るのさ」

 頬杖をついた安倍は、人の心を見透かすような眼差しをしながら、意味の分からない事を滔々(とうとう)と語った。
 ぽかんとした俺の顔が面白かったのか、安倍はひとしきり語り終えた後で吹き出す。

「訳が分からないという顔だ。単純な事だろう。ここは、そういう店なのさ。……君があの日、この店に来たのと同じ事だ」

 やっぱり、分からない。
 俺がこの店を訪れたのは、偶然だ。
 ぶらぶら散歩していて――たまたま目に入ったのが、この店だった。

 特別な理由なんて無い。
 ただ、それだけの事なのに、さも何かあるような言い方をされると、答えの無い謎かけを向けられたような気分になり、俺は思わず顔をしかめてしまう。

 けれど、安倍はその反応は想定内だというように、静かに笑っただけだ。

「お待たせしました。ほうじ茶ラテでございます」

 丁度良いタイミングで、店長が飲み物を運んできた。

「あっ、すみません店長……! 俺が――」
「大丈夫ですよ。稲成くんは、その子についていてあげて下さい」

 腰を浮かしかけた俺の手を、がっちりと握っているぷくぷくとした小さな手。横に視線を動かせば、相も変わらずの涙目が、どこにも行くなと訴えかけてくる。

「……兄ちゃん……」
「――うっ……!」

 俺を縋(すが)るように見ている子供。この子から、今不用意に離れたりしたら、今度こそ大泣きしそうだ。諦めて俺が座り直すと、子供は安心したように、息を吐いた。

「えっと……これ、のんでええのか?」
「はい。どうぞ。熱いから、気をつけて」
「……あ、でも……おれ、あんまりお金、もっとらん……」
 
 しゅんとした子供に、店長は笑顔で首を振った。

「大丈夫。相談事にいらしたお客様には、サービスです」

 その一言に、子供は嬉しそうな声を上げる。

「ありがとうのう、じいちゃん!」
「いいえ。稲成くんも、気にしないで飲みなさい。……それでは、ごゆっくり」
「俺の分まで、申し訳ないです……」

 恐縮する俺にも笑顔で首を横に振った店長は、一礼してカウンターの中へ戻っていく。

 ほうじ茶ラテからは、あたたかい湯気が立ち上り、それにのって香ばしい匂いがふわりと広がる。

「いい匂いじゃな~」
「熱いから、気をつけろよ」
「おう!」

 ふーふーとカップに息を吹きかけた子供は、こくりと一口飲む。
 安倍を前にしてからは、ずっとビクビクしていた子供から、ようやく力が抜けた。ほんのりと舌に残るハチミツの甘さが、子供の緊張をほぐす事に一役かってくれたらしい。

「うまいか?」
「うん!」
「そっか」

 どこかほのぼのとした空気が漂い始めた途端、ごほんとこれ見よがしな咳払いが聞こえた。
 ひとりだけ、紅茶を飲んでいる安倍だ。

「そろそろ本題に入ろうか、お客人」

 緩みかけた空気が引き締まる。
 子供の背筋も、しゃんと伸びた。

「何を求めて、ここに来た?」
「……あのな、おれの、だいじな友だちが、消えてしもうたんじゃ」
「ふぅん」

 気のない相槌に、横で聞いていた俺の方が慌ててしまい、つい口を挟む。

「いや、なんで、そんなにあっさりしてるんです? 子供が消えたなんて、大事件じゃないですか、早く警察に――」
「おいおい狐、君はお客人の話を聞いていたのかい? ……一体、いつ子供が消えたなんて言った?」

 いつ?
 そう言われて、隣に視線を落とす。

 安倍の、指摘通りだ。
 この子はただ、「自分の友達が消えた」としか言っていない。

 だが、子供の友達と言えば子供と決まっているわけで、なんらおかしくないだろう。
 それなのに、安倍は呆れたと肩をすくめた。

「お客人、消えた君の友人とやらの特徴を、僕達に教えてもらおうか」
「……背は、高くて……」
「どれくらい?」
「ひっ」

 安倍の追求に怯えたように身を竦ませた子供が、俺の腕にしがみつく。

(……嫌われすぎだろう、安倍)

「今、君がしがみついている、その狐くらいかい?」
 俺くらいとなると、少なくとも百七十五センチ程度だ。
 いくらなんでも、それは無いだろう。子供だし。

 そう思っていた俺だったが、横から出てきた答えはとんでもなかった。

「この兄ちゃんよりは、もっとずっと大きいんじゃ」
「成長期、仕事しすぎだろ!?」
「うるさいぞ狐、黙れ。……では年は? そこの狐より上か、下か?」
「うんと……ものすごく、長生きしとる」
「まさかの年上疑惑……!」

 これは……あれか? 大きいお友達とかいうやつなのか?

 ふたりの話についていけずに、視線を安倍と子供の間で何度も行き来させる俺は、よっぽど不可解そうな面をしていたのだろう。安倍に鼻で笑われた。

「探し人が子供だなんて、彼は一言も言っていない。固定観念にとらわれるのは、やめたまえよ」
「……大きいお友達案件なら、もっとやばくないですかね?」

 一応声を潜めて安倍に伝えたのだが、奴はまたしても鼻先で俺を嘲笑った。

「どうやら君の頭は、思っていたよりもずっとガチガチの石頭だったようだ。――店主、この駄目店員を借りるぞ」
「はあ? なんなんですか、いきなり……!」
「困ったことに、このお客人は君を頼りにしているようだからな。……依頼人に怯えられて話も出来ないよりは、ガチガチの石頭で固定観念に凝り固まった面倒狐でも、場を和ませる存在がいた方がいい」
「……何言ってんですか、アンタ?」

 立ち上がった安倍は、ふんっと笑うと髪をかき上げた。

「感謝したまえ、狐。今日から君に、〈探し屋〉の手伝いをさせてやろう」
「……ああ?」

 柄の悪い声が出たが、安倍は全く気にしない。そして、俺の隣に座る子供も、気にしていない。
 無邪気に「兄ちゃん、ついてきてくれるのか」と笑うと、両手でカップを持ち、コクコクとほうじ茶ラテを飲んでいる。平和だ。

「……申し訳ないですけど、俺は……」
「構いませんよ」
「店長!?」

 俺がしっかりと断るより先に、店長が柔和な笑顔で交渉を成立させてしまった。

「しっかりと、お仕事を頑張ってきて下さい、稲成くん」

 ここは大丈夫ですから、なんて優しい口調で言う店長。
 だったら、どうして俺を雇ったんですかと聞けなかったのは――安倍の奴に首根っこを掴まれ、ずるずる引きずられたから。

「では早速行こう! 善は急げというからね!」

(この野郎、少しでいいから他人の話に聞く耳を持てよ!)

 傍若無人な安倍の手を払いのけ、自由を取り戻した俺は、内心辟易しながらも店の出入り口に向かう。

 からからと戸を横に滑らせ、店先にかけてある暖簾を手で押し上げれば、昨日の夜の雨が嘘のように、からりと晴れた空が視界に広がった。

 店内ではどこまでも広がっていきそうなほどによく聞こえた鈴の音は、微かに聞こえただけ。
 それだけで、店の中と外には、まるで見えない線でもあるような気分になる。

 もっとも、そんな事はありえないから、全ては俺の馬鹿げた思い込みなんだけど。

「……で? どこに行こうっていうんですか?」

 外に出て、舌打ち混じりに振り返る。
 着替える暇も無く出てきたから、俺の格好は店の制服のままだ。
 今日はもう水被って1着駄目にしたから、予備もない。

 どこで何をさせる気だと悠々と出てきた安倍を睨めば、奴はまったく堪えた様子なく、決まっているだろうと胸を張った。

「さぁ、お客人。僕達を、〝何時もの場所〟へ連れて行ってもらおうか!」
「えっ!?」

 子供は飛び上がらんばかりに驚いて、またしても俺の足にしがみついた。

「なっ、なっ、なして……!?」
「なして? …………ああ、どうしてかと問うているのか。愚問だ。……決まっているだろう。それが一番、手っ取り早い探し方だからだ」

 きらりと、安倍の色素の薄い目が日差しを受けてきらめいた。
 すると、子供は蛇に睨まれた蛙のように固まってしまい、全く動けない。

 人当たりの良い笑顔を向けたと思ったら、今みたいに刺すような視線を向ける。なるほど、これでは子供に好かれるのは、到底無理かも知れない。

「……おい。子供をいじめんな」

 嫌な沈黙を打破したかった俺は、さりげなく子供を俺の後ろにかばい、大人げない安倍をとがめた。
 ぞんざいな口調が気に入らなかったのか、安倍の片眉が跳ね上がる。

「全く。店主といい、狐といい、心外な事を言う。僕は誰もいじめてなどいないのに」
「何言ってんですか、怖い目で人を凝視しておいて」
「……え」

 顔が整っているだけに、真顔は怖い。
 俺だって、こいつに凝視されると居心地が悪いことこの上ないのだから、子供の負担は相当だろう。

 そう言ってやると、安倍は霧の中から抜け出た人のような顔で、ぱちぱちと瞬きをした。

「……そんな事、初めて言われた」

 呟いた安倍は、それきり黙りこくる。

「だろうな。アンタみたいな美形を捕まえてそんな文句をつけたら、たちまち袋だたきに遭いそうです」

 目に浮かぶと言ってやれば、安倍は首を左右に振った。それから、俺を見て子供を見る。
 なんだとふたりで身構えると、安倍はその場で爆笑した。腹を抱えて、目尻に涙まで浮かべるほどの、ガチの爆笑。

 美形の馬鹿笑いを目の当たりにした俺と子供は、今度は揃って顔を見合わせ首をかしげる。

「……狐は、ガチガチに固い石頭な挙げ句に固定観念でぐるぐる巻きなクセに、面白い事を言うね」
「俺には、何がそんなに面白いのかサッパリです」
「僕にそんな事を言ってきたのは、君が初めてだ」
「ああ、そうですか。それなら、数秒前に、聞いてます。ボケましたか?」
「……僕に、面と向かってそんな事を言ったのは、君が初めてだと言ったんだ」

 ふと声が沈んだ気がした。
 安倍はもう、俺達を見ていない。じっとアスファルトを見下ろしている。
 何を熱心に見つめていると思って、視線を辿っても、そこには何も無い。
 けれども安倍は、なにかを見ていた。

「僕には、誰も本心を語らないからね」

 嫌味で傍若無人で……とにかく気に入らない男だが、吐き出された声はそんな普段の安倍とはかけ離れた、寂しそうなものだった。
 なんと声をかけたものかと、俺が迷うほどに。

「まあ、僕も有象無象の事なんて、いちいち振り返ってなどいられないから、煩わしくなくて丁度良いんだが」
「……おい」

 人が心配したのに、安倍は顔を上げると、けろっとした様子で言った。
 本心からそう思っていそうな口ぶりに、こめかみの辺りが痛むのは、絶対に気のせいでは無い。

「その辺の凡庸な連中が僕を理解出来ないのは、摂理。僕が有象無象の塵芥共を振り返らないのも、また摂理であると思えば仕方がない事だ」
「ああ、そうですか。それはよかったですね」

 コイツはもう、放っておこう。
 真面目に取り合うだけ無駄だった。

 ようやく悟った俺は、おかしなものでも見るような目つきで安倍を見上げている子供に声をかける。

「坊や、その……大きいお友達とは、いつもどこで会ってたんだ? いつもの待ち合わせ場所に、急に来なくなったって事なんだよな?」
「う、うん」
「家の住所は分からないのか?」
「じゅうしょ……? ううん、おれ、分かんね……」

 でも、待ち合わせ場所には案内できると、子供は言う。

「じゃあ、そこに案内してくれるか? ……そしたらきっと、馬鹿笑いしていたこっちのお兄さんが、お友達を見つけてくれるからさ」
「…………」

 おずおずと安倍を見上げた子供。俺は、安倍を片肘で突く。

「ここまでお膳立てしてやったんだから、少しは子供に好かれるように笑ってくださいよ……!」
「だから、僕が有象無象に……」
「それ以上言ったら、一回本気で殴りますから」
「…………」

 睨み付ければ、安倍は本気を感じ取ったのか押し黙った。
 それから、ごほんと咳払いして、にこりと笑う。
「ああ、もちろんさ。〈探し屋〉として、必ず僕達が見つけよう!」
「ぴゃっ!!」

 爽やか三割増しの笑顔だが、子供は目の当たりにするなり悲鳴を上げて、またしても俺の後ろに隠れた。
 白けた目が、安倍から俺に向けられる。

「おい。全然駄目じゃないか、狐」
「……俺も人のこと言えないけど、アンタ……本当に子供に好かれない人種なんですね」

 俺にしても、ここまで子供に友好的というか――べったり頼られたのは初めてだ。
 だけどそれは、俺以上に子供に好かれない奴がいたからだろう。
 綺麗に整った顔が浮かべる笑顔は、老若男女問わず、全人類に有効だと思っていたから、少し意外だった。

「ふん。そんな哀れみのこもった目で見るのはやめてもらおうか。……僕は哀れまれるのが、吐き気がするほど嫌いなんだ」
「そうですか、すみませんね。……という訳だから、坊や。安心していいから」
「依頼に関しては、同感だ。僕達が見つけるさ」
「ああ、その通りだ。僕達が…………えっ……なんで僕達……?」

 なぜ複数系なのだと、俺は安倍を見た。勝ち誇ったように笑った男は、また繰り返す。

「僕と、狐。ほら、どこからどうみても、僕達という言葉が相応しいだろう?」
「ふ、ふざけるな、俺は……!!」
「わぁ~、兄ちゃんも手伝ってくれるんか? おれ、うれしい! ありがとうな!」
「だ、そうだが?」
「…………」

 安倍の視線は、このキラキラした目を裏切れるのかと問いかけてきていた。
 ああ、もう、クソ!

「……そうだな、手伝うよ。……俺達は、一体どこへ向かったら良いのかな?」

 子供は笑顔で元気よく答えた。
「おう、墓場じゃ!!」
「そっか、墓……墓場ぁ!?」