新宿に戻ってきたとき、時刻は十九時を超えていた。

「うわあ!? た、大変です!」

《プラマリア・センタ》ではずっと圏外だった携帯電話を確認した美保が、悲鳴を上げた。

「両親からすごい量のメールが来ています……あたし、今日の昼前に帰るの遅くなるからってメール送ったっきり、連絡していませんでした……」

「それはまずいな。早く連絡しないと、捜索願いが出されて大事になると思うよ」

 文健の言葉に顔を青くした美保は、三人から少し離れて携帯電話を耳に当てた。遠くにいる高士のところまで、甲高い訛りのある大きな声が聞こえてきた。何を言われているのかはよくわからないが、相当怒られているようだ。

「ああ、もう! わかったすけ! 帰る! 帰っでがら聞ぐから! 一旦切っがら!」

 強引に電話を切って戻って来た美保が、恥ずかしそうに笑った。

「……訛ってましたか?」

「ホンヤクコンニャク食べてくれないと、何言ってんのかわかんねえわ」

 笑う高士に美保は頬を膨らませながらも、すっきりしたように言った。

「お母さん、あたしのことすごく心配していました。……あたしみたいな田舎の高校生って、地元には大学も就職先も少ないので、高校出たら大体は上京するんですよ。でもそうするとお父さんお母さんとは、後一年ちょっとしか一緒にいられないんです。……だからあたし、これから青森での毎日を大事にします。日常を馬鹿にするだけじゃなくて、家を出るまでの一年と数ヶ月を充実させたいと思います」

 田舎生まれ田舎育ちの十七歳が、少しだけ殻を破った貴重な瞬間に三人は立ち会ったのだった。

「……ところで高士さん、知っていますか? 滑って転んだときに手を使えないと危ないので、青森ではポケットに手を突っ込んじゃいけないっていう条例があるんです」

「へー! マジかよ知らなかった! 夏の間ならいいのか?」

 高士が素直に訊き返すと、美保は白い歯を見せた。

「あ、今の話は嘘です。高士さんには優しくして貰いましたけど、色々からかわれてもきたので……最後に仕返しです! あー、すっきりしました!」

「……嘘? 俺、騙されたってこと? マジかよ!」

「常識で考えればわかるじゃん、馬鹿」

 胡桃は笑いながら溜息を吐き、文健は高士を冷やかしながら美保に拍手を送った。高士にとって居心地の悪い空気の中、文健が少しだけ照れくさそうに咳払いをした。

「いや、でも……美保は素でいるときの方が可愛いと思うよ。毎日が充実したものになるよう、応援してる」

「ありがとうございます、文健さん。あたし、文健さんのこと誤解している部分があって、失礼な態度をたくさん取ってしまったと思います。色々、ごめんなさい」

「誤解じゃないさ、俺はろくでもない奴だったと思う。だけどこの二日間で変わりたいと足掻いたから、その結果が今の美保の言葉に繋がっているなら、嬉しいけど」

 文健は息を吸って、ゆっくりと三人を見渡した。

「ちょっと聞いて欲しいんだ。最後にさ、俺にも宣言させてくれ。俺は……才能はないのかもしれないけど、やっぱり小説家になりたい。今度は、現実からの逃げで言ってるんじゃないぞ? 仕事しながら書いて、いい本や映画を見て勉強して、また書いて。そうやって努力していきたい。自惚れたり逃げたりしないで、謙虚に努力していきたいと思っているんだ」

「なんだよ。小説家になりたいなんて、別に俺たちに宣言しなくても勝手になればいいじゃねえか」

「いや、お前らに聞いて欲しかったんだ。なんか上手く言えないんだけど、みんなが俺の決意を知っていることで、頑張れる気がするからさ」

 晴れやかな顔から、文健の決意が伝わってきた。素直に応援するのが照れ臭い高士がひやかしながら文健のふくらはぎを蹴っていると、胡桃が小さく溜息を吐いた。

「……もー、何よこの雰囲気。やっぱ若者と夢追い人がいると、青臭い雰囲気になるの?」

 文健と美保がにやにやしながら胡桃を見ていた。胡桃は白い頬を少しだけ紅く染めながら、ぶっきら棒に口にした。

「わたしは……とりあえず、大学の履修登録を見直すわ。将来を現実や流行に流されて決めるだけじゃなくて、もう少し初心に返ってみる。それで、自分のなりたかった夢ややりたいことを、見つめ直したいと思う」

「やりたいことを見つめ直すのって、とても素敵だと思います! ちなみに、胡桃さんは大学に入ったとき、何になりたいと思っていたんですか?」

 美保の悪意なき純粋な質問に胡桃は一瞬たじろいだように見えたが、高校生の輝く瞳に耐え切れなくなったのか、自棄になったように答えた。

「……が、学校の先生」

 そのあまりの似合わなさにまず高士が噴き出し、つられて文健も笑った。そんな二人の弁慶の泣き所を、胡桃は勢いよく蹴飛ばした。言葉にならない痛みで声も出せない高士たちを他人事のように見ながら、胡桃は舌を出した。

「笑いたければ笑うがいいわ。ま、文健が小説家になるよりは簡単だと思うしね」

「う、うるさい! 今に見ていろ! 印税で胡桃の頬を叩く日も遠くないぞ!」

「文健さん! 今の発言すごいオヤジ臭いです!」

 三人のやり取りを笑いながら見ていた高士に、胡桃が視線を送った。

「で、あんたは?」

 胡桃は一旦言葉を区切り、睫毛の長い大きな瞳で高士を真正面から見つめた。

「ねえ、教えてよ。……高士は一体、これから何がしたいわけ?」

 高士は胡桃の視線を真っ直ぐに受け止め、

「……うーん、そうだなー……次に会うときまでに、考えておくわ」

「……わかった。楽しみにしてるから」

 逃げをあっさりと許した胡桃を、高士は少し見直した。

「お前、年取ったらイイ女になるかもな」

「今だって十分イイ女だと思うけど? 気づくのが遅いのよ、この馬鹿」

「じゃあそんなイイ女と、一発思い出を作っておきてえな」

「次に会うときあんたがイイ男になっていたら、考えてあげる」

 一体いつになるのやら。先のわからない条件に、高士は舌打ちをした。


 美保が青森行きの最終新幹線に乗るためには、そろそろ新宿を出なければならない。しかしそれはちょうどいいきっかけになった。解散のための明確な理由がなければ、みんなここを動くことは出来なかっただろう。

 会話が途切れた一瞬、最年長である文健が今までよりも凛とした声で言った。

「……そろそろ、解散しようか」

「……あたし、青森に帰っても、みなさんのこと絶対忘れませんから! 受験勉強めちゃくちゃ頑張って、来年は絶対央田大学に入りますから!」

 美保は瞳を滲ませていた。

「また、こうして会えたらいいね。でも今度は春か秋がいいかな。冬は寒すぎて、外にいるのが辛いもの」

 胡桃は寂しそうに笑みを浮かべていた。

「レインボーレンジャーがそんな弱くてどうする。気候に負けるようじゃ、正義の味方とは言えないぞ? ……じゃあ高士、後は頼んだ」

「……は? 何を?」

「レインボーレンジャーのリーダーはお前だろ? 最後はまとめてくれよ」

 文健に振られたものの、別れ際の勝手なんてよくわからない高士は、頭を掻きながら唸った。

「あー……じゃあ、お前ら元気でな。…………解散!」

「適当だなお前!」

 気の利いたことなど言えるはずもない高士の挨拶だったが、らしい終幕に四人は笑いながらそれぞれの帰路を歩き始めた。

 誰も振り返ることはしなかった。昨日アイザワが降らせた雪が見る影もなくすっかり解けてしまった今、四人が通った跡には何も残らず、彼らの姿はあっという間に人ごみに消えていった。

 だけど、彼らの成長の軌跡は、確かにそこに残るのだ。


 三人と解散した後、高士は自分の後を付けてきていた人物に声をかけた。

「安心しろ、逃げやしねえって。俺は金が関わらない約束は破らねえんだ」

 立ち止まりゆっくりと目を瞑った高士に、勢いよくそれは振り下ろされた。