イロモノ戦隊レインボーレンジャー!!

 文健が立っている場所は、生き物はおろか植物すら見当たらない砂漠だった。広大な砂漠は地平線の彼方まで広がっているものの、うだるような暑さはなく、適度な気温と湿度が保たれている。

 靴の中に入り込んだ砂を取り除きながら、思考を巡らせた。これからどうすればいいのだろう。胡桃と美保は辿り着いているだろうか。そもそも、高士は無事なのだろうか。いやそれを言ってしまえば、自分自身が安全な状況にいるのかも危ういじゃないか。

 文健の心中を大きく占めているのは、漠然とした大きな不安だ。だが一人という状況は大いに不安材料ではあるものの、唯一の利点も存在している。文健は大きく息を吸った。

「マジどうすんだよ俺! 神様の国に来たとかどういうこと!? いつからこんなメルヘンな男になったんだよ! ビックリだよ! てか、無事に日本に帰れるのか!? 雰囲気に流されたんじゃないか!? なんで二十四にもなって、こんなことになるんだよお!」

 一人になったということは、思う存分弱音を吐けるということだ。胡桃や美保の前では男としてのプライドが少なからず顔を見せ、正直、格好つけていた部分もあった。

 日常生活では張り上げることのない大声で弱音を口に出し、少しだけ気分がすっきりしたところで勢いよく頬を叩いた。乾いた音の大きさと、ひりひりとした頬の痛みはしっかり比例していて、聴覚でも痛覚でも気合が入った気がした。

「ちくしょう高士! お前、主人公キャラに見せかけて実はヒロインだったとか、冗談じゃないぞ! お前にばかり美味しい役をやらせてたまるか!」

 高士に対して抱いていた、屈折した羨望を力に変えるときがきた。文健は周りを見渡し大きく息を吸って、地平線に向かって再び叫んだ。

「俺は変わるぞ! 生まれ変わるんだあああああ!」

「何に生まれ変わるっていうの?」

「うわあああ!」

 突然の声に驚き、決意の宣言より悲鳴の方が大きくなってしまった。いつの間に現れたのか、黒髪の美人が奇異の目で文健を見ながら隣に立っていた。

 女は細身で背が高く、文健は彼女を見るために視線を上げる必要があった。おそるおそる女のことを観察してみると、目鼻立ちのしっかりした彼女は、美しさと恐怖で人を従属させる不思議な力があった。

 ここは神の国だ。普段の生活では絶対に考えられないが、神様がいて当たり前なのだ。文健は緊張しながらも疑問を口にした。

「あなたは……神様なのでしょうか?」

「そう、私は勝利の女神よ。あんたたちはクロカワとかいう、くっだらないあだ名をつけているみたいだけどね」

「く、胡桃と美保に会ったんですか!?」

「それより質問に答えなさい。あんたは何に生まれ変わるっていうの?」

 恐怖。彼女と話して最初に文健が抱いた感情は、恐怖だった。下手をしたら殺されてしまいそうな、失敗が許されない緊迫した空気が砂漠中に充満している気がする。

 だがここでクロカワの圧力に屈して場を濁したり、媚びへつらったりしていては、今までと何も変わらない。

「俺……俺は、自分以外になりたいんです。臆病で、自己防衛のために言い訳ばかりしてきた俺や、世の中を馬鹿にして自分だけは才能があると自惚れてきた俺。それなのに、いざというときに女の子一人も守る度胸もなかった俺。……そんな嫌な俺を全部やめて……いや、たとえやめられなくても、弱さから目を背けない勇気は持っていたいんです。そこから新しい自分、理想の自分になるための努力はし続けていきたいと、そう思っているんです」

 勇気を振り絞って初めて口にした文健の決意の言葉を聞いたクロカワは、嫌悪感丸出しの表情を見せた。

「自己否定をする男って最悪ね。生死を司るのは私の仕事じゃないけど、殺してあげてもいいわよ。どうする? 死んでおく?」

「い、嫌です! 死にたくないです!」

 冷や汗を全身に浮かべて首をぶんぶんと横に振ると、クロカワはふっと一瞬だけ息を漏らした。

「死にたくない……か。ねえ、あんたは何か一つでも、私を認めさせるような技量は持っていないの? 二十四年も生きてきて何も誇れるものがないのなら、人生に意味はない。だったら今死んでも、何十年後かに死んでも同じことでしょう?」

「それは……人生に意味を求める傲慢が俺に認められるなら、の話ですよね? ……あ、あなたの言葉を聞いていると、俺は分不相応な評価を受けているように思いますが……」

「死神が連れてきた人間って、生意気な口を利くのが普通なのかしら? 誰があんたの言い分を聞きたいって言った?」

 クロカワを納得させる理由を説明できなければ、彼女は問答無用で文健を殺すだろう。たった数回のやりとりだが、文健は徐々に掴んできた。クロカワは理不尽で高圧的、自分の言ったことが絶対に正しいと思っていて、こちらの言い分には決して耳を傾けない。

 ――そう、文健が毎日対応している、クレーマーと同じ性質であると。

 慣れた状況下にいると思うことで、文健の頭の中は鮮明になっていった。これならホームで戦うようなものだ。高士や胡桃にからかわれ、弄られていたときの方が、よっぽど対応に困ったというものだ。

 腕っ節には自信がない。喧嘩なんか怖くてしたこともない。だけど。

 今日だけで何度目になるだろうか。文健は決意の深呼吸をした後、精一杯、申し訳なさそうな声でその言葉を口にした。

「誠に申し訳ございませんでした。あなたの仰る通りです」

 毎日毎日クレーム対応の仕事をしている文健には、悪態をついてくる客や何かと突っかかってくる客を宥める心得があった。まずはひたすら謝り相手の感情を一旦落ち着かせてから、プライドを傷つけないように持ち上げて、互いの主張を確認しながら妥協点を決めていくのだ。

 クロカワは文健の行動に驚いたのか、あるいは呆れ返って何も言う気にならなかったのか、似合わぬ沈黙を持たせたまま文健の下げた頭のつむじを見ているようだった。文健はクロカワの発言を待ち続けた。待つことは辛くとも、有効であることは経験上知っていたからだ。

「……面倒くさ」

 やがて我慢のできなくなったクロカワが声を漏らした。文健は来た、と思った。

「俺はあなたを納得させられるような技量もないし、人生で何かを残してきたわけでもありません。今の俺は現実世界で何の取り得もない、不満ばかり漏らしているただのサラリーマンです。……いや、現実どころか俺は、空想の世界でもパッとしない男です。妄想を書き散らした自作の小説ですら、面白味に欠けると言われました。……だからこそ俺は、これからの人生でたくさんの経験をして多くのことを学び、人生や小説の糧にしていきたいと思うのです。まだここで死ぬわけにはいきません」

 ここが勝負どころなのだ。文健の戦い方は社会人として上司に叱られ、職場の女には陰口を叩かれ、ストレスの中で生きてきた男のものだ。これだけは決して高士には真似できない戦法だ。

「ふうん。じゃあさ、そこまで言うなら、あんたの小説の能力とやらを見せてよ。あんたの小説に見込みがありそうなら生きる価値があって、見込みがなさそうなら死んでもいいってことでしょ? そうね……私の愛する死神をテーマに一作書いてもらおうかしら」

 生き長らえるための説得は上手くいったつもりだったが、予想もしなかった理論で返されてしまった。書いた小説がつまらなかったら死ぬという条件ならば、高士たちの感想を信じれば文健は十中八九死ぬことになる。

「か、紙とペンか、パソコンがないと……あと、時間はどれくらいいただけますか?」

 ただ、初めから「無理です」と言って断る選択肢は取らなかった。ここで逃げていては意味がないのだ。クロカワは面倒くさそうな顔を見せた後、何やら呪文のような言葉を口にした。

 次の瞬間、文健はうんざりする程見慣れた職場にいた。いつもと違うのは、派遣社員も同僚もクライアントもおらず、ひっきりなしに鳴る電話が一本も鳴らない、静かな環境下にあるということだ。

「ここなら、必要なモノがそこらじゅうにあるでしょ? 私は待つのが大嫌いだから、十分で書きなさい」

 クロカワの注文を聞いた文健は目眩を起こして倒れそうになった。彼女が理不尽なお客様から派遣会社の中では最も恐れられている存在、無理難題を強いるクライアントへとレベルアップしていたからである。

 文健は焦りながら急いでパソコンに電源を入れたが、起動の時間すら惜しくなりシャープペンシルを手に持った。プロットも組んでいないのに十分でA4用紙一枚に小説を書くなんて、文健の実力では不可能に等しい。文字を大きくしたりして、ある程度誤魔化すことも必要だろう。だが、それでいいのか? 普段応募している新人賞の応募要項に従った文字数で書かなくては、意味がない気がする。いや、文字数を細かく数えている暇すらない。早くネタを考えなくては――!

 いろいろなことを考えているうちに、すでに何分か経過していて愕然とした。落ち着け、冷静になれ。死神がテーマならば、普通だったら人の生死を書くことが必要不可欠な気がするが、読者であるクロカワはこの死神に恋をしているという。ということは、クロカワは人の死を扱った物語ではなく、単純に恋愛小説を読みたがっているのだろう。そしてもちろん、勝利の女神である彼女は恋愛でも敗北は認めない女に違いない。

 BLや百合や人外をテーマにした小説が世の中に溢れ返っている昨今だからこそ、新鮮さが重要になる。どうやって面白い話を作ればいいのだろうか。文健はシロヤマを思い浮かべた。突然現れ、文健たち四人を賭け事のために集めた、自分勝手で小柄な少女の容姿をした死神。しかし死神という名の持つ冷徹なイメージとは異なり、淡々としているものの情がないわけではなく、高士にもう一度会いたいと必死に訴えた文健たちを《プラマリア・センタ》へ渡航させるなど優しいところもあった。

 ーーふと、文健は一つの物語を思いついた。あの無気力で自己中心的な死神がどんな恋愛をするのかと想像したら、不思議と到着地点は一つしかなかった。推敲している時間などない。必死にペンを走らせ、殴り書きで余白を埋めていった。一心不乱に集中して物語を書いていると、『レインボーレンジャー!』を書き上げたときのように、アドレナリンが脳味噌から放出されているのがわかった。

 クロカワが「時間よ」と告げたのと同時に、文健はペンを置いた。

「さて、私を待たせた罪は重いわよ。評価に対してはシビアにいくから」

 文健が差し出したA4用紙を奪い取るようにして、クロカワは紙に目を落とした。

『死神が生きる世界

 死神はまだ、恋を知らない。
 死神が知っているのは、人間が死んでいくときの絶望的な表情と、死んだ後の動かない表情だけだった。

 ある日、白黒の毎日を送る死神の前に一人の神様が現れて「私の恋人になりなさい」と言った。美しいけれど強引なその神様に、死神は好意を持たなかった。だが、自分を好いてくれる誰かの存在が、死神の心に影響を与えたことは違いなかった。

 死神は少しだけ背筋を伸ばし、目を見開いて、今日も世界中を飛び回る。
 これから出会う、死を待つ人々の元へ。少しでも繋がりを大切にするために』

 小説を読み終わったクロカワは、紙をくしゃくしゃに丸めて床に放った。彼女が不機嫌そうな顔をしている原因はわかっていた。実力不足は当然のことだが、生き延びるためとはいえクロカワに媚びた小説を書かなかったことだ。

『レインボーレンジャー!』を書こうと決めたときのような、書きたいものを書く純粋で穢れのない興奮と集中、やる気。あの感覚を上書きして忘れてしまうことを恐れたのだ。

「まず、タイトルにまるでセンスが感じられないわね。内容は当然三文小説以下、誰にでも思いつく内容だし、何よりこの私が、死神が変化するきっかけに過ぎない女にされたのが許せない。あの子は私のものなのだから、私だけを見ていればいい。私は勝利の女神なのだから、私が正しいと言ったら絶対なのよ」

 シロヤマを物扱いするクロカワに、文健は衝動的に反論していた。

「……今、俺のクライアントであるあなたを満足させられなかったのは、俺の力不足です。申し訳ございません。……しかしお言葉ですが、あなたの考え方では……シロヤマさんの心を射止めることは、できないと思います」

 それはまさに神の如き速さだった。言い終わった瞬間、クロカワの右手の爪が文健の眼球、後一センチで突き刺さるところまで急接近していた。

「殺すわよ」

 彼女の冷酷な瞳からは殺意が見て取れた。

「……俺たちと話していたシロヤマさんは……つまらなそうな顔をしながらも、人間に可能性を持って接してくれていました。だからこそ、アイザワさんと賭けをしたのでしょう。シロヤマさんは誰かに縛られる生き方よりも、自由で面白い誰かと接する機会を求める方だと思うのです。だから……今のままでは、あなたの恋人にはならないでしょう」

「その見る目のない目玉をくり貫いて、死神にプレゼントしようかしら。……でも、そうね。土下座して私の靴を舐めるのなら、髪の毛を全部引っこ抜いてやる程度で許してあげてもいいわ。禿げ上がったあんたを見れば、死神も笑ってくれるでしょうし」

 怖い、嫌だ、死にたくないと胸中で叫びながらも、震える膝を必死に堪えて、文健はクロカワから目を逸らさなかった。

 これ程までに恐怖に怯えていても、口を閉ざすつもりはなかったからだ。土下座して楽になってしまいたいと、相変わらず逃げ腰になってしまっている今でも、変わりたいと思った決意をここで簡単に翻していては、高士はおろか自身の未来も救えないだろうと思ったのだ。

「……シ、シロヤマさんの心を射止めるのは……そう、高士の方が可能性は高いと思います。あいつは馬鹿なヤンキーで、借金もある屑みたいな男ですが……情に厚くて、腕っ節が強くて、格好いいんです! 俺は憧れましたよ! シロヤマさんも、高士と接しているときは興味深そうな顔をしていましたし!」

 目玉を抜かれる覚悟を決めて一気に捲くし立て、ぎゅっと目を瞑った。少し経って、まだ無事でいることが不思議でゆっくりと目を開くと、クロカワは文健から視線を逸らして顎に手を当てていた。

「……つまり、あんたは私がその高士とやらに負けると、そう言いたいのね?」

「……お、俺はそう思います」

 クロカワの威圧感と殺気で漏らしそうになっていた文健だったが、目を背けずにそう言い切ると、彼女は文健に突き出していた腕を引っ込めて笑った。

「その男がどんな奴か興味が出てきたわ。見つけて、私の力で負かす」

 恥ずかしくて誰にも言えなかった、文健の中にある高士への憧れをクロカワにぶつけたことによって、話はどうやら予想外の展開に転がりつつあるらしい。クロカワは不敵な笑みを浮かべ、消え去っていった。

「た、助かった……!」

 緊張の糸が切れた文健はその場に座り込んでしまった。いまいち決まらない文健だったが、今までとは違う自分になれたことが嬉しくてつい涙ぐんでしまった。ここにあの三人がいなくて良かったと、泣き笑いしながら心底思ったのだった。



 ようやく立ち上がることができた頃、誰もいなくなった職場にコール音が鳴り響いた。

 音の発信源を見ると電話機が一つ光っていた。警戒する気持ちもあったが、クロカワとの戦いを終えたばかりの文健は放心していて深く考えることができず、いつもの習慣でヘッドセットを頭に被って、通話ボタンを押していた。

「お電話ありがとうございます。△△お客様相談窓口、担当芳野でございます」

『屑の世界は何色に見える?』

 受話器越しに聞こえたのは、人とは思えない無機質な男の声だった。普段なら悪戯電話に対しては決まり文句で返す文健だが、このときは自然に答えを口にしていた。

「  」

 文健の答えを聞いた男は無言だったが、やがて文健の耳に「ツー、ツー」という機械音が届いた。どんな答えを期待されていたのかは知らないが、一方的に切られたようだ。

 ヘッドセットを外し机の上に置いた瞬間、文健の体はぐらりと傾いた。三半規管を直に触られてひっくり返されたような不快感だった。あまりの気持ち悪さに目を瞑ると、回路をぷっつりと切られてしまったかのように意識を失った。
 ルーシーの止血をした高士の手のひらは真っ赤に染まっていた。返り血なら幾度となく浴びてきた高士だが、誰かを治療したことで自分が血塗れになるなんて、久しぶりの体験だった。

 子どもの頃からやんちゃで目立つことが好きだった高士は、何かとからまれる機会が多かった。体の大きい年上の悪ガキたちに何度となく怪我を負わされ家に帰ってくる息子を心配した高士の両親は、自衛を目的に高士をボクシングジムに通わせることに決めた。

 物事を継続して行うことが苦手だった高士は、ジムに入会させられた当初は「行きたくない」「辞めたい」と両親に何度も懇願して嫌がった。しかし高士は、練習で殴られ、倒される度に辞めたいと口にする回数が減っていった。元々闘争心が強かった少年は相手に負けたくない一心で、少しずつ真面目に練習に取り組むようになっていったからだ。

 鍛える努力を覚えた高士は、すぐに天才と呼ばれるようになった。持って生まれた体のバネを生かした瞬発力、目の良さ、相手を恐れない度胸。才能がある人間が日々練習を怠らなかった結果、ボクシング界で名を馳せる存在になっていた。両親もボクシングジムのコーチも、周囲の人間は皆、高士の将来に期待していた。

 だが中学校一年生の夏休み直前、高士の人生は百八十度変わることになる。

 コーチから絶対にボクシングを喧嘩に利用するなと言われていたのにもかかわらず、生意気だという理由で上級生に呼び出しをくらったとき、煽られて頭に血が昇った高士は我を忘れて約束を破ってしまったのだ。からんで来た上級生はたった四人。最早全国レベルのボクサーとなっていた高士が数任せの腕力に縋る相手に負けるはずもなく、相手に大怪我を負わせてしまったのだ。

 この事件がきっかけで地元の不良たちに目をつけられた高士は、悪い付き合いが増えていくことになった。単純で周りに流されやすい高士はすぐに彼らに馴染み、悪名高い不良の一人になっていった。

 からまれることは少なくなったが、意味もなく人を殴ることも多くなった。ボクシングジムにはコーチの言いつけを破ってしまった決まりの悪さもあって足が遠のいていたが、中学二年生に進級した春、いつの間にか辞めさせられていたことを母親が涙ながらに語った。久々にまともに顔を見た母親との話の中で高士は、コーチはおろか両親からも見離されていたことを悟った。

 誰からも期待されない人生は、毎日好きなことだけをしていればいいから楽だった。高士は嗜好という範囲を超えて、未成年のうちから煙草に酒、そしてギャンブルに手を出し堕落の一途を辿った。なんとか高校は卒業できたものの、まともな職に就けるはずもなく、日払いのバイトをしながらギャンブルに金を費やした。負ける方が多いため、借金が増えていくのは当たり前だった。

 高士はルーシーのまだ温かさの残る胸をそっと触った。そんな生き方をしてきた高士だからこそ、自分を仮死状態に追い込んでまで《プラマリア・センタ》に来て、死に際の烏を助けようとする理由がわかっていた。

 これまでの人生で無意味に人を傷つけた分を、目の前で血を流しているのに助けられなかった仲間の分を、少しでも一緒に過ごしたルーシーを自らの手で救うことで、楽になりたいと思っているのだと。

「自分勝手な理由で悪いな。……つか、俺も血で真っ赤になっちまったけど、お前も相当なもんだな」

 止血のためにルーシーに巻いた服は血を吸い込み、真っ赤になっていた。止血帯を増やそうと再びシャツを引き裂いてルーシーの体に巻きつける。高士がルーシーを見つけてから今まで、ルーシーは痛みを感じているのだろうが鳴くこともせず、ただ高士にされるがままだった。大した怪我でもないくせに痛い痛いと喚く連中に比べれば、よっぽど好感が持てる。

「やるなあルーシー。お前が人間だったら、相当強い奴だったかもな。俺は烏でも、強い烏になる自信はあるけどな」

 笑いながらそう言うと、ルーシーは何か言いたかったのか、真っ黒な目玉で高士を見捉えていた。ルーシーの目玉に映る自分と目が合う。金色の髪の毛は社会への反発心からでも目立ちたいからでもなく、ただなんとなくの理由だ。この後東京に帰れるならば、気分転換に坊主にするかもしれない。

 東京という人が溢れている街で、昨日出会った三人を思い出した。彼らは高士の周りにはいないタイプの性格をしていたが、飽き性な高士が一緒にいて一瞬も退屈しなかった。

 ただ、文健のように地に足のついた生活も、胡桃のように望んだものが手に入りやすい恵まれた環境下にいる美貌も、美保のように未来への選択肢が多い年齢も、高士は興味もないし羨ましいとも思ってはいない。

 高士は誰かに影響を受けることで、人生について考え、悩むことはない。それらを考えられる思考回路を持っているならば、境高士は境高士ではなくなるからだ。

 高士が人生において悩む瞬間は、一つしかない。

 目の前の出来事に勝つか、負けるか。ただそれだけなのだ。

「……まあでも、面白い奴らだったよな。ルーシーもそう思うだろ?」

 ルーシーの瞳が一瞬、真っ白に変色したように見えた。高士は目を擦ってもう一度ルーシーの瞳を覗き込んでみたが、特に変わりはないようだ。なんだ気のせいかと、ポケットの中の残り僅かな煙草を取り出したときだった。

「――待たせたな、高士!」

 耳朶に届いた声に反射的に振り向くと、そこには着地に失敗したのか、見るからにアンバランスな格好で転がる文健、胡桃、美保の姿があった。

「ど、どいてください!」

「痛いってば! てか、なんで文健が女子二人の上にいるわけ?」

「し、仕方ないだろ! お、俺だって好んでこの体勢になったわけじゃないんだ!」

 胡桃と美保に怒られた文健が、必死に言い訳していた。

「…………お前ら、何やってんだ?」

 高士は決して安くない代償を払って《プラマリア・センタ》まで来たのだ。そう易々と来られる場所ではないはずなのに、どうして三人がここにいる? 高士には理由が皆目見当もつかなかった。

「決まっているじゃないですか! 高士さんを助けにきたんですよ!」

 首を傾げる高士の方がおかしいと言わんばかりに、美保が相変わらず訛りながらも胸を張って断言した。

「……ワケのわかんねえことを。どこの正義の味方だよ」

 なんと言っていいのかわからず、煙草に火を点けて目を逸らすことで逃げを打った高士を、胡桃は鼻で笑った。

「あんたこそ何言ってんのよ。正義の味方って、当たり前でしょ? わたしたちはそのための練習をしてきたんだから。今やらないで、いつやるっていうのよ」

 運命の女神を驚かすことを目的とした《デベロップメント・サプライジング》でやろうとしたのは、出会って一日の他人同士がオリジナルの劇を演じ、成功させることだった。一晩かけてみんなで必死に練習した劇を途中で投げ出したことへの気まずさから高士が口を閉じると、胡桃は高士の目を見つめて問いかけた。

「ところで、あんたにも訊きたいことがあるのよ。……ねえ高士、あんたはさ、屑の世界って何色に見えると思う?」

「……あ? 意味わかんねえよ」

 胡桃の質問は脈絡も正解もないような代物で答えようがないと思ったが、文健や美保まで高士の答えを期待するように、静かな視線を寄越してくる。

「……んだよ、わかったよ考えるよ……よくわかんねえけど、黄色じゃねえの? 屑とか言われる奴って、なんにも考えてなさそうだし」

 適当に回答した高士だったが、答えを聞いた三人は力が抜けたようにふっと笑った。

「なんだよお前ら。感じわりいな」

「そりゃ笑うに決まってるだろ。俺たちには馬鹿ってだけじゃなく、屑っていう共通点まであったんだからな」

「はあ? じゃあ文健は、何色だと思うんだよ?」

「……俺は、青って答えたよ。屑って、人間としてどうしようもない底辺を指す場合に使用する単語だと思ってきたけど……見方を変えれば、これから上がるしかないって意味を持つ言葉にも思えないか?」

 笑っている三人のテンションについていけない高士が眉を顰めていると、ルーシーに異変が起こった。弱い呼吸を繰り返すだけで羽一つ動かすことのできなかったルーシーが、最後の力を振り絞るかのようにして、大きく羽ばたき空高く舞い上がったのだ。

 呆気に取られた高士が見守る中、ルーシーが一際大きく「カアー!」と烏そのものの鳴き声を上げると、空に天使の梯子がかかった。そして、雲を切り裂いた光の中にシロヤマの姿を確認したルーシーは、再び地面に落下してそのまま動かなくなった。

「おい、ルーシー! 大丈夫かよ!?」

「大丈夫だ、こいつはまだ死ぬ時期ではないからな。それに……そういう運命だそうだ」

 落下地点に駆け寄る高士より先にルーシーに触れたシロヤマは、白魚のような指を赤く染めていた。主人であるシロヤマに抱かれているルーシーがどことなく嬉しそうに見えた高士は、ルーシーをシロヤマに託すことに決めた。

 やらなければならないことが、目の前に降ってきたからだ。

「そうだよ~! この子はここでは死なない運命なの~☆ それにしても、ご主人様を召喚するために力を振り絞って気を失うだなんて、ルーシーちゃんにしてはちょっと考えなしで意外だよね~! ビックリしちゃったよ~!」

 シロヤマの後ろからひょっこり、高士とは違って天然の美しい高貴な金髪を靡かせた、色の白い女が顔を出した。彼女の癪に障る口調とルーシーを嘲笑うような態度に、高士の神経が逆撫でされた。

「なんだお前、腹の立つ話し方しやがって。お前がルーシーに手を出した勝利の女神って奴なのか?」

「違うよお~。私はぁ、運命の女神っていうのぉ☆ 私のことはアイザワって呼んで~! よろしくね~☆ ねえねえ、君がタカシちゃん~? 勝利の女神クロちゃんはね~、そろそろ顔を出す運命だから、もう少しだけ待ってね~!」

「俺の名前はコウシだ。てめえ……俺が名前をそう間違われるのが嫌いだって、わかってて言ってんだろ?」

 アイザワは高士の感情を乱して楽しんでいるように見えた。見事に彼女の作戦――というより趣味に引っかかった高士は、ルーシーに手を出した犯人がそろそろ顔を出すという最重要事項を聞き逃す程に、頭に血が昇っていた。

「運命だろうが神だろうが女だろうが、どうでもいいんだよ。俺は売られた喧嘩は買う男だぞ」

「わー!? 落ち着いてください高士さん! アイザワさんはこういう方なんです! 冷静でいないと、あたしみたいにシロヤマさんに迷惑をかけてしまいます!」

「そうそう。この女はとっても性格悪いんだから、まともに相手しちゃダメ。それに、ルーシーに手を出したのは勝利の女神クロカワ。違う女だってちゃんと聞いてた?」

 美保が高士を抑えようと声をかけ、胡桃はわざとらしく挑発的にアイザワを見た。この二人とアイザワの間に何があったのかはわからないが、とりあえず目の前の女がルーシーを傷つけたわけではないらしい。一旦落ち着こうと、高士は息を吐いた。

「ひどーい! 私だってぇ、胡桃ちゃんに言いたいことはあるんだけどお~、でも、主役が来たから一旦退くね~☆」

 直後、竜巻に似た強風が吹いた。強風の中心にいる人影を捉えた高士は、もったいぶった演出をするような、嫌いな輩が出てくるであろう前触れに舌打ちをした。

「で、高士って男はどれ? 私が直々に声をかけているのよ。返事をしなさい」

 現れた女の高圧的な物言いは、高士を最高潮に不快にさせた。

「俺だ。お前がルーシーに手を出したのか? 言い訳を聞く前に一発殴ってやるから、早くこっちに来いよ」

「誰に向かって口を利いているの? 私は勝利の女神よ。私の前ではみんな負け犬なのだから、礼儀を弁えなさい」

「相手が誰だろうが関係ねえよ。ルーシーを傷つけたのがお前なら、迷わず同じ目に合わせてルーシーに詫びを入れさせる」

 やられたらやり返す。高士はこの生き方しか知らない。こめかみに青筋を立たせた高士がクロカワに一歩近づくと、美保が高士の腕を引っ張った。

「待ってください! あたしたちがなんのためにここまで来たと思ってるんですか!」

「俺を助けに来たとかなんとか言ってたな。だったら、俺があの女にルーシーの痛みをわからせてやるまで、そこで待ってろ」

「助けるっていうのは、ただ東京に連れ帰るだけが目的じゃない! お前の人生は暴力で埋め尽くされていたんだろ!? ここらで断ち切らないと、いつかまた死に近づくんだ! 俺たちはなあ、お前にも変わってほしいんだよ!」

 文健が高士を遮るように前へ出た。

「高士って、本当に馬鹿よね。わたしたちの気持ちになんて、全然気づかないもの」

 胡桃も呆れたように続けて、三人は高士を囲うように立った。結果的に、高士たち四人と神たちが対峙する格好になった。高士には他人の発言の意図を考えるなんて、とてもできない芸当だ。学生時代、高士の国語の成績はいつだって平均以下だった。

「とにかく、女とモヤシは引っ込んでろ。お前たちにできることなんかねえんだよ」

「違う。俺『たち』ができることなんて、どのみち一つしかないんだ」

 三人の視線が高士に集まった。戦力になるとも思えない貧相な連中が神を相手に太刀打ちできるとは考えられなかったが、胡桃が腰をくねらせ無駄に扇情的なポーズをとっているのを見て違和感を覚えた。よく見ると、文健は両手を高く上にあげ、美保は一昔前のアイドルみたいに手でピストルの形を作り、成功しないウインクを試みている。

 彼らのポージングに戸惑っていると、美保が片目を震わせながら言った。

「あたしたちは、変わりましたよ! 高士さんは、どうするんですか!?」
 ようやく、高士は三人の意図を理解した。

 ――ほんと、バッカじゃねえの。

 出会ってたったの二日だ。彼らの性格なんて全然知らないはずなのに、文健も胡桃も美保もどこか変わったように見えたのが不思議だった。昨日だったら、文健や美保は恥ずかしがってこんなことはやらなかっただろうし、そもそも、胡桃はリスクを負ってまで《プラマリア・センタ》には来ないだろう。

 文健にも胡桃にも美保にも何かきっかけがあって、各々が何かを思って変化したのだろう。それを高士にも伝えたいがためだけにこんな馬鹿なことをしたのだと思うと、堪え切れない笑いが込み上げてきた。

「……暴力で報復するなら、俺は今までと変わらねえもんな。お前らが言いてえのって、そういうことだろ?」

 高士が不敵に笑ったのを合図に、レインボーレンジャーたちは笑顔で頷いた。四人の心が一つにまとまった一体感を感じながら、戦隊ヒーローお決まりの台詞が彼らの口から発せられた。

「夢もなく適当にやって来たゆとりでも、男心の掌握ならお手のもの! 淫乱ピンク! 相葉胡桃!」

「悲観的で文句だらけ! 口だけの男だけど、将来はビックになるぞ! 自惚れブルー! 芳野文健!」

「田舎は馬鹿にされても、未来は馬鹿にさせない! カッペグリーン! 椎名美保! そして……!」

 高士は両肘を胸の前でクロスさせ、今にもビームを出しそうなヒーローっぽいポーズで決めてみせた。

「ギャンブル好きな暴力野郎、でも仲間に手出しはさせねえ! ろくでなしイエロー! 境高士! アンド!」

 高士はシロヤマの腕の中にいるルーシーを指差し、裏声を作った。

「敵かと思ったら実は味方! 隠れヒーロー、インテリブラック! ルーシー! 五人揃って、イロモノ戦隊レインボーレンジャーだ! 仲間のブラックを傷つけた奴は、俺たちが許さない!」

 事前に打ち合わせをした訳ではないのに、みんな脚本とは自己紹介が変わっていた。その内容は戦隊物では有り得ないのかもしれないが、悪くないなと思った。

 しばし沈黙が流れ、耳が痛くなるほどの本当の静寂に包まれた。

「……な、なんだそれは……? ぷっ……あはははは!」

 もしシロヤマが噴き出すのがあと数秒遅ければ、文健あたりはこの空気に耐えられなかったのではないかと思う。声を上げて笑っているシロヤマを見て、アイザワもクロカワも目を見開いて驚いていた。

「……シロちゃんがそんな風に声を出して笑うところって、初めて見たかも~!」

 気に入らない喋り方で、アイザワがどこか嬉しそうに言った。高士がアイザワを気に入らない理由は喋り方だけではなく、人間関係を面白がって観察する性格の悪さもあった。現に今、彼女はクロカワに挑発的な視線を送っている。視線の先にいるクロカワはアイザワには見向きもせず、全員氷漬けにできそうな程に冷たい目で、四人と一羽を観察していた。

「……成程。予想していたよりもはるかに、気に入らない連中ね。特に高士、あんたは容姿に品がないうえに言葉遣いも汚いし頭も悪そうで、まるで生きている価値がないわ」

「お前に言われたかねえな。俺、気の強そうな美人ってそそる方なんだけど、あんたじゃ勃たないし。さっさとルーシーの仇を取ることにするわ」

「あんたみたいな野蛮な男にどう思われてもいいわ。言ったでしょう? 私は勝利の女神よ。名前の通り勝利を司る神の私に、あんたたちが勝つということは有り得ない話。私に負けるということがここでの死を意味することくらい、馬鹿でもわかるわね?」

「そうでもねえよ? お前にも勝てないことはあるさ」

 高士の人生、プライドが高くて頭の固い女に縁がなかったわけじゃない。何も考えずに生きてきた高士だからこそ、出会った女も、別れた女も多かった。

 多くの経験を元に、高士はまだ笑いの余韻が残っているシロヤマに近寄っていった。

 そして周囲の見守る中――そのままシロヤマの体を引き寄せ、彼女の唇を奪った。

 あまりの速さと自然さに、見ていた者たちが止める暇なんて全くなかった。唇を離した高士の頬をシロヤマが張り、乾いた音がその場に響いたとき、やっと文健が声をあげた。

「こっ、ここ、高士、お前! 何やってんだよお!?」

「おー。人間じゃなくても、唇はあったかくて柔らけえんだな」

 呑気に感想を口にする高士に、クロカワが激昂した表情で詰め寄った。

「貴様……! よくも、よくもよくも私の女に手を出してくれたわね! 貴様は絶対にここで殺す! 死神も異論はないわよね!?」

「だから私はお前のモノではないと、何度も言っているだろう」

 シロヤマは唇を袖で拭きながら、不愉快そうに言った。

「んだよ、キス一つで大袈裟だな。神様って以外と純情なのか? ところでシロヤマ。俺のキス、クロカワと比べるとどうだ?」

「どうもこうもない。どちらも同じくらい不愉快だ」

 シロヤマがその言葉を発したとき、高士以外の誰もが「あ」と口にした。

「はっはー。これで証明できただろ? 人間だろうと神だろうと、勝ち負けが決めらんねえこともあるんだっての。特に、気持ちが関わってくるときはな」

 呆然とする一同の中で、最初に笑ったのは胡桃だった。

「……ちょっと高士。あんた今、文健並みに恥ずかしいこと言ったわよ」

「うわ、マジか。文健レベルなんて屈辱で死ねるわ」

「なんで俺を引き合いに出すんだよ!」

 憤る文健に美保も笑った。ヒーローショーは王道を貫いたとは言えない仕上がりだったものの、暴力に頼らず神たちの鼻を明かせたことに高士は満足していた。

 だが満足したからと言って、ここで終わりというわけにはいかない。

「家に帰るまでが遠足」とは、高士でも知っている有名な言葉だ。

「……ねえ~、どうするのぉクロちゃん? この子たち、このまま人間界に帰すつもり~?」

「……お前は本当に性格の悪い女ね。もちろん、このまま帰すわけがないわ」

 この場に再び緊張の糸が張り巡らされた。怯える美保を庇うように高士が一歩前に出ると、クロカワは短く溜息を吐いた。

「……って、そう思っていても、勝利の女神である私が勝負事に関して不正や言い訳ができるはずがないわ。……私はこの勝負に勝ってもいないし、負けてもいない。だからこいつらを手にかけることはできない。その代わり、あんたたちも私に何かを要求することができない。そういうことでしょ?」

 なんだかんだいっても、その名前を司る神様らしい。これまで散々好き勝手に動いて、ルーシーを傷つけ、四人やシロヤマを振り回してきたクロカワは、ここで初めて公平な判断を下した。

「いいとこあるじゃねえか、クロカワ!」

 高士が笑顔で話しかけると、クロカワは心底嫌そうな顔をした。

「調子に乗るのは早いわよ。あんたたち、これから生きていくうえで苦労するんだから」

「え? それって、どういうことですか?」

 心配性の文健がすぐに訊き返したが、これ以上余計なことは教えないと言わんばかりに、クロカワはそっぽを向いてしまった。

「つまり、お前たちは運命の女神の管理対象外となり、勝利の女神の恩恵を受けることもできなくなった。だからお前たち四人の人生はこれからどうなるのか、まったくもってわからないものになったということだ」

 シロヤマの言葉を受けて顔を見合わせた四人は、ほぼ同時に噴き出した。

「……この先神様のご加護が受けられないなんて、今までだったら不安で震えていたと思います。でも、今はなぜか、楽しみで仕方がないんです」

「不思議よね、わたしも。自分の前に決まったレールがないことがこんなにも胸が膨らむことだなんて、想像もしなかった」

 美保と胡桃が少しだけ目を潤ませながら笑った。

「朱に交われば、赤くなるってことか」

「どういう意味だ? レインボーレンジャーにレッドはいねえぞ?」

 一人納得した顔で言った文健に高士が突っ込むと、

「みんながレッドだったってことだ。俺たちは出会えてよかったんだよ。高士だってそう思うだろ?」

 文健は今更年上ぶってそう答えた。いつも通り文健をからかってやろうとも思ったが、出会えてよかったという言葉には同意した高士は、静かに頷くだけに留めておいた。

「はいは~い! 青春群像劇は一旦ここまでだよ~☆ うん、私も楽しませてもらったし、みんなを人間界に帰すことに文句はないよぉ~☆ ねえねえ、シロちゃんは何か言いたいこととかあるの~? もうここで四人とはお別れなんでしょ~? ちょっと寂しかったりするんじゃな~い?」

 シロヤマは小さく肩をすくめた後、誰とも目を合わせずに言った。

「私は死神だぞ。寂しいわけがあるか。……だが、お前らがこいつらを殺さなかったことには、感謝している。最後は公平にこいつらと向き合ったクロカワの性分や、アイザワの何事も楽しもうとする姿勢は、嫌いではない。……人間の死期を司るのは私の仕事だからな。一応、礼を述べておく」

 シロヤマがたどたどしくも言葉を紡ぎ終えた瞬間、高士は彼女が神たちから愛される理由がわかった気がした。

 黒服に身を包んだシロヤマはいつも無愛想で、仕草や話し方からはまるで可愛らしさが感じられない。だがその分、照れているときの破壊力が大きいのだと。現に、アイザワもクロカワもシロヤマに抱きつき、寵愛の言葉を競うように囁いては、鬱陶しがられていた。

 これはキスしておいて正解だったかもしれないと、高士は得した気分になった。
 新宿に戻ってきたとき、時刻は十九時を超えていた。

「うわあ!? た、大変です!」

《プラマリア・センタ》ではずっと圏外だった携帯電話を確認した美保が、悲鳴を上げた。

「両親からすごい量のメールが来ています……あたし、今日の昼前に帰るの遅くなるからってメール送ったっきり、連絡していませんでした……」

「それはまずいな。早く連絡しないと、捜索願いが出されて大事になると思うよ」

 文健の言葉に顔を青くした美保は、三人から少し離れて携帯電話を耳に当てた。遠くにいる高士のところまで、甲高い訛りのある大きな声が聞こえてきた。何を言われているのかはよくわからないが、相当怒られているようだ。

「ああ、もう! わかったすけ! 帰る! 帰っでがら聞ぐから! 一旦切っがら!」

 強引に電話を切って戻って来た美保が、恥ずかしそうに笑った。

「……訛ってましたか?」

「ホンヤクコンニャク食べてくれないと、何言ってんのかわかんねえわ」

 笑う高士に美保は頬を膨らませながらも、すっきりしたように言った。

「お母さん、あたしのことすごく心配していました。……あたしみたいな田舎の高校生って、地元には大学も就職先も少ないので、高校出たら大体は上京するんですよ。でもそうするとお父さんお母さんとは、後一年ちょっとしか一緒にいられないんです。……だからあたし、これから青森での毎日を大事にします。日常を馬鹿にするだけじゃなくて、家を出るまでの一年と数ヶ月を充実させたいと思います」

 田舎生まれ田舎育ちの十七歳が、少しだけ殻を破った貴重な瞬間に三人は立ち会ったのだった。

「……ところで高士さん、知っていますか? 滑って転んだときに手を使えないと危ないので、青森ではポケットに手を突っ込んじゃいけないっていう条例があるんです」

「へー! そうなん? 知らなかった! 夏の間ならいいのか?」

 高士が素直に訊き返すと、美保は白い歯を見せた。

「あ、今の話は嘘です。高士さんには優しくしてもらいましたけど、色々からかわれてもきたので……最後に仕返しです! あー、すっきりしました!」

「……嘘? 俺、騙されたってこと?」

「常識で考えればわかるじゃん、馬鹿」

 胡桃は笑いながら溜息を吐き、文健は高士を冷やかしながら美保に拍手を送った。高士にとって居心地の悪い空気の中、文健が少しだけ照れくさそうに咳払いをした。

「いや、でも……美保は素でいるときの方が可愛いと思うよ。毎日が充実したものになるよう、応援してる」

「ありがとうございます、文健さん。あたし、文健さんのこと誤解している部分があって、失礼な態度をたくさん取ってしまったと思います。いろいろと、ごめんなさい」

「誤解じゃないよ、俺はろくでもない奴だからさ。だけどこの二日間で変わりたいと足掻いたから、その結果が今の美保の言葉に繋がっているなら嬉しいけど」

 文健は息を吸って、ゆっくりと三人を見渡した。

「ちょっと聞いてほしいんだ。最後にさ、俺にも宣言させてくれ。俺は……才能はないのかもしれないけど、やっぱり小説家になりたい。今度は、現実からの逃げで言ってるんじゃないぞ? 仕事しながら書いて、いい本や映画を見て勉強して、また書いて。そうやって努力していきたい。自惚れたり逃げたりしないで、謙虚に努力していきたいと思っているんだ」

「なんだよ。小説家になりたいなんて、別に俺たちに宣言しなくても勝手になればいいじゃねえか」

「いや、お前らに聞いてほしかったんだ。なんか上手く言えないんだけど、みんなが俺の決意を知っていることで、頑張れる気がするからさ」

 晴れやかな顔から、文健の決意が伝わってきた。素直に応援するのが照れ臭い高士が文健を冷やかしていると、胡桃が小さく溜息を吐いた。

「……もー、何よこの雰囲気。やっぱ若者と夢追い人がいると、青臭い雰囲気になるの?」

 文健と美保がニヤニヤしながら胡桃を見ていた。胡桃は白い頬を少しだけ紅く染めながら、ぶっきら棒に口にした。

「わたしは……とりあえず、大学の履修登録を見直すわ。将来を現実や流行に流されて決めるだけじゃなくて、もう少し初心に返ってみる。それで、自分のなりたかった夢ややりたいことを、見つめ直したいと思う」

「やりたいことを見つめ直すのって、とても素敵だと思います! ちなみに、胡桃さんは大学に入ったとき、何になりたいと思っていたんですか?」

 美保の悪意なき純粋な質問に胡桃は一瞬たじろいだように見えたが、高校生の輝く瞳に耐え切れなくなったのか、自棄になったように答えた。

「……が、学校の先生」

 そのあまりの似合わなさにまず高士が噴き出し、つられて文健も笑った。そんな二人の弁慶の泣き所を、胡桃は勢いよく蹴飛ばした。言葉にならない痛みで声も出せない高士たちを他人事のように見ながら、胡桃は舌を出した。

「笑いたければ笑うがいいわ。ま、文健が小説家になるよりは簡単だと思うしね」

「う、うるさい! 今に見ていろ! 印税で胡桃の頬を叩く日も遠くないぞ!」

「文健さん! 今の発言すごいオヤジ臭いです!」

 三人のやり取りを笑いながら見ていた高士に、胡桃が視線を送った。

「で、あんたは?」

 胡桃は一旦言葉を区切り、睫毛の長い大きな瞳で高士を真正面から見つめた。

「ねえ、教えてよ。……高士は一体、これから何がしたいわけ?」

 高士は胡桃の視線を真っ直ぐに受け止め、

「……うーん、そうだなー……次に会うときまでに、考えておくわ」

「……わかった。楽しみにしてるから」

 逃げをあっさりと許した胡桃を、高士は少し見直した。

「お前、年取ったらイイ女になるかもな」

「今だって十分イイ女だと思うけど? 気づくのが遅いのよ、この馬鹿」

「じゃあそんなイイ女と、一発思い出を作っておきてえな」

「次に会うときあんたがイイ男になっていたら、考えてあげる」

 一体いつになるのやら。先のわからない条件に、高士は舌打ちをした。



 美保が青森行きの最終新幹線に乗るためには、そろそろ新宿を出なければならない。しかしそれはちょうどいいきっかけになった。解散のための明確な理由がなければ、みんなここを動くことはできなかっただろう。

 会話が途切れた一瞬、最年長である文健が今までよりも凜とした声で言った。

「……そろそろ、解散しようか」

「……あたし、青森に帰っても、みなさんのこと絶対忘れませんから! 受験勉強めちゃくちゃ頑張って、来年は絶対央田大学に入りますから!」

 美保は瞳を滲ませていた。

「また、こうして会えたらいいね。でも今度は春か秋がいいかな。冬は寒すぎて、外にいるのが辛いもの」

 胡桃は寂しそうに笑みを浮かべていた。

「レインボーレンジャーがそんな弱くてどうする。気候に負けるようじゃ、正義の味方とは言えないぞ? ……じゃあ高士、後は頼んだ」

「……は? 何を?」

「レインボーレンジャーのリーダーはお前だろ? 最後はまとめてくれよ」

 文健に振られたものの、別れ際の勝手なんてよくわからない高士は、頭を掻きながら唸った。

「あー……じゃあ、お前ら元気でな。…………解散!」

「適当だなお前!」

 気の利いたことなど言えるはずもない高士の挨拶だったが、らしい終幕に四人は笑いながらそれぞれの帰路を歩き始めた。

 誰も振り返ることはしなかった。昨日アイザワが降らせた雪が見る影もなくすっかり解けてしまった今、四人が通った跡には何も残らず、彼らの姿はあっという間に人ごみに消えていった。

 だけど、彼らの成長の軌跡は、確かにそこに残るのだ。

          ☆

 三人と解散した後、高士は自分の後を付けてきていた人物に声をかけた。

「安心しろ、逃げやしねえって。俺は金が関わらない約束は破らねえんだ」

 立ち止まりゆっくりと目を瞑った高士に、勢いよくそれは振り下ろされた。
 死神である私にも、人間としての生前があった。

 職業柄自分の死に様だけは記憶しているものの、今はもう生前の名前も、いつの時代に生きどんな人生を送っていたのかも、まるで思い出すことができない。

 だが別段興味があるわけではないため、気にしてはいない。それに、私の人間時代も含め下手に人間に関心を持ってしまうと、死を見届けるという仕事に余計な感情を抱いてしまって業務上よろしくないと、研修時代に教わっている。

 その教えはもっともだと思っているし、異を唱える気はさらさらない。

 しかしそれでも、この男には訊かずにはいられなかった。

「なあ、高士」

「おう、なんだよ。別れの挨拶に来るなんて、死神って意外とリツギなんだな」

「……律儀と言いたいのか? 勘違いするな、挨拶をしに来たわけではない。お前に訊きたいことがあるだけだ」

「そうかい。で? なんだよ訊きたいことって?」

 静かな道を高士と二人で歩きながら、私は平淡な声色で訊いた。

「どうしてあいつらに、お前が死んでしまうことを言わなかったんだ?」

「……あれ? バレてた?」

 高士はとぼけたように首を傾げ、私の視線から逃れてから笑った。

「私を誰だと思っている。大体、ルーシーが接触してきた時点で死期が近いことと同義だからな。私の仕事は見届けるだけで、実際に人間を死に誘うのはルーシーの仕事だ。最初からお前の死だけは決まっていたことだったんだよ」

 だがいくら死期が近い人間は第六感が鋭くなるとはいえ、高士がルーシーの正体を見破ったのは前代未聞のことで、ルーシーも私も非常に驚いた。

「おい、ちょっと待てよ。ルーシーと関わっちまうと死ぬなら、文健も胡桃も美保ちゃんも死ぬってことか?」

「いや、ルーシーが仕事のために関わったのはお前だけだ。あいつは一度も自分のことを『シロヤマ』だと名乗らなかっただろう? 煙草を恵んだのも、喋れない少女としてお前を新宿まで連れてきたのも、すべてルーシーの仕事だ。本来、お前は土曜の夕方に歌舞伎町でヤクザのいざこざに巻き込まれて死ぬ予定だった。死が決まっていたお前を基準に、私が独断で文健らタイプの違う馬鹿を集めた、それだけのことだ」

 私は今回の騒動の中で、胡桃、文健、美保には死神として接していない。私が三人に接触を図ったのはあくまで運命の女神――アイザワとの賭け事のためであって、彼らはまだ死ぬ運命になかったのだ。

「あー、そういうこと」

「お前たち四人を集めたのは、私の個人的な理由だからな。死神の仕事とは無関係だ」

「なら安心だわ。せっかく出会った面白い奴らがみんな死んじまうとか、そんなつまんねえ話は嫌だからな」

 そう言って笑う高士の胸中など私にはわかるはずもないが、こいつは馬鹿だが悪人ではないなと思った。

 高士が死ぬのは予定調和だったが、その過程には多少のイレギュラーがあった。

 怪我をしたことで予定時刻通りに高士の命を奪えなかったルーシーは、自分のことを心配して仇を取ろうとわざわざ《プラマリア・センタ》までやって来た高士に、たとえ力尽きたとしても使命を果たそうと、人間の命を刈る死神の鎌を振り下ろそうとした。

 そんなルーシーに高士は、

 ――わかったよ。ちゃんと死ぬから、お前の仇を取るまでちょっと待ってくれ。

 たった一言、そう言ったのだ。死ぬことへの拒否ではなく、裏切られたと非難し怒ることもなく、彼はただ数時間の延命を希望した。

 ルーシーが高士をはじめ、こんな馬鹿を助けようとした文健、胡桃、美保にも興味を引かれたのも今なら理解できる。人間である彼らと神である私たちは、決してわかりあうことも相対することもない。しかし彼らを見ていると、人間の持つ面白さをもっと知りたくなる欲求が湧くのも当然だと分析が可能だからだ。

 だから私は、ルーシーが《プラマリア・センタ》で高士の下に三人を集めた勝手な行為を見逃すことにしたのだ。私としても楽しませてもらったし、理屈ばかりこねて頭でっかちなルーシーがこれからどう変わっていくのか見ていくのも、私が死神として長く勤務していく中で良い暇つぶしになるだろう。

 しかし命を救われたとはいえ、神の使い魔が業務上で情けをかけることは許されない。目的を達成した高士の命を、ルーシーは容赦なく奪ったのだった。

「自分が死ぬ予兆くらいは、気づくべきだったのかもな。最期まで物事を深く考えられなかったってのは、何遍も同じことを言い続けた母ちゃんに悪い気がするわ」

 ヘラヘラと笑う高士が実に不可解だ。この男の脳味噌には、恐怖や不安という単語が刻まれていないのだろうか。

「神の目から見れば、文健も胡桃も美保もこの二日間で何かしらの変化があったことがわかる。だが、お前はどうなんだ? 私には変化がわからないが、何か自分の中で変わったことはあったのか?」

「さあ? 胡桃にも言ったけど、俺は別にやりたいこととかねえから、大きな変化とかはないかもな。でも俺だって、死ぬ前に今までとは違うことがやれたんだぜ?」

「今までと違うこと?」

「あいつらのおかげで、初めて暴力以外で仲間を守ることができた。超満足してるわ」

 私が腹を抱えて笑ったあの茶番劇が、高士のやりたかったことだというのか。実に不思議だが、”十人十色”という言葉を知っている私は、それ以上高士に口を出すことはしなかった。

 こいつが満足しているなら、それでいい。

 『扉』はもう、すぐ近くなのだから。

「……そうか。では、もう一つ教えてくれ。なぜお前は、また会おうという胡桃たちの提案を否定しなかった? お前はもう死ぬことがわかっていた。二度と会うことはないと言っておけば、期待もさせずに済むだろう?」

「ばーか、俺たちはみんなもう二度と会うことはないってわかっていて、別れ際に『またな』って言ったんだ。ま、こういうのは人間じゃねえとわかんねえだろうさ」

 高士の発言はやけに上から目線な挙句、説明されても理解できなかったが、人間でなければわからないという言葉には素直に「そういうものか」と納得した。

「だがお前らはそう考えていても、会う機会はあるかもしれないぞ。なんと言っても、アイザワに気に入られたからな」

「……あー。あの女なら、とんでもねえタイミングでやらかして来そうだな」

 高士はアイザワが苦手なのか、渋い顔をして頭を掻いた。対人関係の難しさは、ルーシーが興味を持って観察をしている分野の一つである。

 私と高士は、行き先の決まっている細い道を歩いていた。

 足を動かしていけば、やがて大きな扉の前に辿り着く。そして扉を開けば、死後の就職試験が待っているのだ。

 天国に行くのか、地獄に行くのか、転生するのか、あるいは狭き門だが神になるのか。天国や地獄行きなら何年滞在するのか、転生するならどの種族になるのか等、決めるべきことがたくさんある。

 さて。暴力事件を多数起こしている、借金持ち二十二歳のギャンブラー、境高士という男には一体、どんな審判が下されるのだろう。試験という単語とは無縁そうに見えるこの男の将来を、私は少しばかり憂いてみた。

「なあ。確か、死んだ後で神になると超好待遇なんだよな? だったら俺、死神になるわ! シロヤマともアイザワともクロカワとも顔馴染みになったことだし、就職試験は顔パスだろ?」

「……憂いてやった私に、就職の斡旋を希望してくるとはな。というかお前、私に辞職しろというのか? ……まあ、今回人間を四人も《プラマリア・センタ》へ連れてきた件で、私が首になる可能性もあるのか。だったら、一次面接くらいは通してやるように話しておくとしよう」

「お、話がわかるじゃねえか。俺が死神になったらお前を部下にして、こき使ってやるよ」

「死神に部下はいない。いるのは、実際に人を死に誘う使い魔だけだ。……ああ、その点で考えれば、ルーシーはお前を気に入っているから有利なんじゃないか?」

「俺を? 止血してやったからか?」

「それもあるが……なんだかんだいっても、ルーシーは烏だからな。安っぽくても、キラキラしているモノが好きなんだよ」

「よくわかんねえよ。俺はガラスじゃねえんだぞ?」

 気がつけば口元を緩めていた私が高士との会話を楽しんでいることを自覚したとき、ゴールが見えてきた。扉が視認できる位置まで近づいてもなお、高士は足を止めることも速度を緩めることもなかった。

「……高士、怖くはないのか?」

「何が?」

「何がって、これからのことだ。ろくでもない人生を送ったお前のことだ。相応の審判が下されることになるかもしれんぞ」

「別に。俺の人生をベットした賭けみたいなもんだろ? 金になるわけでもねえなら、どうでもいいよ」

 ――まったく。この男に関しては、いくら私が脳味噌を捻ったところで、到底理解はできないのだろうな。

 高士に合わせて私も頭を空にして、最後くらいこいつの好きそうな話で終焉を迎えさせてやるのも悪くないと思った。

「別れの挨拶代わりに、お前の好きなギャンブルでもしようか。もしお前が勝てば生き返り、私が勝てば、お前は問答無用で地獄行きにしてもらう……というのはどうだ?」

「お、なんだそれ。面白そうじゃねえか!」

 高士は少年のように顔を輝かせた。

「決まりだな。ゲームの内容は高士が決めていいぞ」

「そうだなー……ここには雀卓もねえし、ジャンケンでいいや」

「……それでいいのか? 随分あっさりしているな」

「金になるわけじゃねえんだろ? だったら、単純明快な方が面白い」

「金にはならないが生死が懸かっているのだぞ」と口にしたところで、高士には意味がないと学習していた私は何も言わなかった。

 高士はポケットから右手を取り出して、不敵な笑みを浮かべた。

「俺、パー出すから」

 成程、つまらん駆け引きだと思った。人間の、しかも単純馬鹿の分際で私に心理戦を挑むなど、百年どころか千年は足りない。

 だが、私の口元には意図しない笑みが浮かんでいた。さて、どうしてやろう。

 向かい合った私と高士の行く末を見守るように、重厚な扉がそびえ立っている。

「それじゃ、行くぞ。最初はグー、ジャンケン……」

 私は構え、右手を出したのだった。(了)
応募した部門 ③フリーテーマ

 借金まみれの境高士(サカイ コウシ)、現実主義者の大学生キャバ嬢・相葉胡桃(アイバ クルミ)、仕事に不満だらけの小説家志望サラリーマン・芳野文健(ヨシノ フミタケ)、東京に憧れる青森の女子高生・椎名美保(シイナ ミホ)。年齢も性格も全く違う四人を集めた死神のシロヤマは彼らに対して、人間の運命を操作している運命の女神の鼻を明かすために、彼女に予想外だと思わせる行動を起こして欲しいと依頼する。

 文健が書いた脚本でオリジナルの劇を披露することにした四人は、話し合いや練習の中で反発し合いながらも互いの生き方に刺激を受け、人生への向き合い方を考え直すようになり成長していく。

 目的は達成出来たものの、運命の女神の管理対象から外れてしまった四人はこの先、女神の加護を受けずに生きることになった。それでも不安より希望を胸に抱きながら、彼らはこれからもそれぞれの道を歩んでいく。

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