「よっしゃあ! 来たぜ! リーチ!」

「ロン」

 リーチ一発を狙っていた高士を嘲笑うかのように、対面に座る男は冷静に死刑宣告を告げた。

「えーと……今回はでかいぞ。四暗刻、役満だ」

「……はあ!? 嘘だろ!?」

 白煙で曇る雀荘内で卓を囲う男の一人、境高士は声を荒げた。

「お前ホント麻雀下手くそだな。頭使えねえし、向いてねえよ」

 笑いながら煙草に火を点けた対面の男に、高士は点棒を叩き付けた。対面の男とは一時間程前に出会ったばかりだが、人数調整で一緒の卓を囲った結果、高士の金は次々と彼に吸い上げられているのだった。

「うっせえ! もう一回だ!」

「カモられてんだよ。止めとけって」

 友人の忠告を完全に無視して、高士は再び全自動卓のボタンを押した。


 二十二歳にもなって、金色に染められている高士の髪の毛が夜空に目立つ十二月。街も高士の懐も、凍死寸前の状態だった。

 すっからかんにされて雀荘を出た高士は、愛する赤マルを吸いながら、対面の男の勝ち誇った表情が頭から離れずに苛々していた。次は絶対泡を噴かせてやると復讐を誓いつつ、ジーンズのポケットに入っていた携帯電話を取り出した。

『……何よ? お金なら貸さないわよ』

 八コール目で出た機嫌の悪そうな女は、昔からつるんでいる友人の一人だ。

「そんなこと言うなよ、これで絶対最後にするから! な! 頼む、三万貸してくれ! 一ヵ月後に倍にして返すから!」

『……ふーん。で? 貸してもいいけど、どうやって倍にするつもり?』

「決まってんだろ? 麻雀だよ!」

 耳に『ツー、ツー』という無機質な音が届けられた。

 適当なアルバイトをして稼いだ金は、すぐにギャンブルにつぎ込むろくでもない男。それが境高士だった。

 アルバイト先から給料を貰ってまだ一週間だが、すでに一文無しになってしまった高士は今月残り三週間をどうやって生活していくか考える必要があった。だがそんな風に考えることが出来る脳味噌を持っていたなら、今日のように後先考えずに全財産を使い切ることはないため、それは永遠に解決出来ない彼の課題の一つになっていた。

 根元まで吸った煙草を捨て、次の煙草に火を点けようと思ったが、箱の中は空であった。高士が吐いた白い溜息が薄っすらと夜空に消えていく。溜息を吐いたところで、財布の中身が増えることはない。

「……これじゃあ、煙草一箱も買えやしねえな」

「煙草が吸いたいのか?」

 突然、一人の女が高士に声をかけてきた。

「あ? 吸いてえよそりゃ。俺、そんなに顔に出てんのか?」

「出ているよ。仕方ない、これをあげよう」

 女は手に持っていたセブンスターの箱を高士に差し出した。細身の体に白いコートを羽織っている女は背が高く、暗くてよく見えない部分もあるが切れ長の瞳が印象的で、有り体に言って美人と呼べる容姿をしていた。

「見ず知らずの女に貰う義理はねえけど」

「たった今禁煙しようと思っただけだ。気にするな」

「そうか? じゃあ貰おうかな」

 高士は軽く礼を言って箱ごと煙草を受け取り、上着に入れていた百円ライターで火を点けた。

「君は単純な男だと言われないか?」

「よくわかったな。親からはもっと考えて行動しろって、いつも言われてたよ」

 女は笑いながら高士の手から煙草を一本抜き取り、ジッポで火を点けた。

「おい、禁煙するんじゃなかったのか?」

「これで最後だよ……ところで、君は金に困っているんじゃないのか? 私が助けてやろうか?」

 白い煙を吐きながらそう言った女に、高士は苦笑いで答えた。

「いや、確かに煙草を買う金もねえくらい金に困っているけどさ、いくら馬鹿な俺でも疑うだろフツー。助けるって何だよ。俺に臓器でも売らせるつもりか?」

「とんでもない。ただ私の言う通りに動いて欲しいだけさ」

 女は大袈裟に目を丸くして否定した。

「いやいや、ただ動くだけって言っても、どうせチャカとかヤクの運び屋だろ? やんねえって」

「そんなわけないさ。まあ、聞いておくれよ。十二月二十日に地下鉄半蔵門線に乗って東京駅に行き、東京駅からは中央線に乗り換えて、新宿駅に行って欲しいんだ」

「……は? それだけでいいのか? それだけで金を渡すって言ってんのか? ……それで、いくら払ってくれるんだよ?」

「少なくとも一千万」

 拍子抜けしたところに即答されたことで、高士の心は一気に揺さぶられた。

「……待て待て。冗談だろ?」

「本当さ。私は嘘を吐くくらいなら、大嫌いなブロッコリーをマヨネーズも付けずに食べるよ。まあ、最終的に信じる信じないは君次第だけどね」

 心臓が早鐘を打ちつつも、元々根拠のない楽観思考の持ち主である高士の気持ちはすでに固まっていた。

「信じるぜ。やる!」

 考えた時間はおよそ三秒程度だが、少しでも考えただけ大人になったと言える。

「君はやっぱり、単純なんだな」

 女は楽しそうに笑った。


 普段半蔵門線は使わないため勝手がよくわからなかったが、駅員に聞いたところ東京駅には停まらないことを知った。大手町から歩くか、丸の内線に乗り換えなければならないらしい。女が何故乗り換えなしで到着できる路線を指定しなかったのかは謎であったが、多少の面倒は一千万の前では仕方がないのかもしれないと思い込んだ。

 電車内で幸運にも端席に座れた高士は大手町まで寝ようと目を瞑ったが、圧迫感を覚えてすぐに目を開いた。かなりの近距離で、目の前に女子中学生が立っていた。車内は大して混んでいないようだし、こんな不自然に接近される理由はわからない。だが被害を被ったわけではないし、少女は歳相応の瑞々しい肌をしていて顔も可愛らしく、高士としては別段悪い気はしなかったため、そのまま放置して再び目を瞑った。

 だが、事件というのはいつだって予測不可能なところで発生するものだ。

「水天宮前、水天宮前。お出口右側です」

 電車が駅に着きドアが開いたとき、ここでの降車予定はなかった高士も降りるはめになったのだ。

「……おい。なんだよお前?」

 一駅前で、高士は前に立っていた少女に起こされてメモ用紙を渡された。怪訝に思いながらそれを開くと、

『次の駅で降りないと、私死にます』

 可愛らしい少女の可愛らしいメモ用紙には、とても物騒な単語が書かれていたのだった。

「聞いてる? 俺の質問に答えてくれないかなあ?」

 少女はA4ノートを取り出し、ボールペンを走らせた。

『私は聞くことは出来ても、話すことが出来ません。なので、このように筆記でやり取りさせて下さい』

「……え? マジで?」

 少女はすらすらとノートに文字を書いていく。

『声を盗まれてしまったんです』

 信憑性が急降下していった。なんだそりゃ? 盗まれた? 誰に? どうやって?

『声を取り戻したいのです。協力してくれませんか?』

「……そんなさあ、人魚姫じゃあるまいし、突然声が出なくなるってことがあるかよ。魔女に願いでも叶えて貰ったのか?」

『魔女はいませんよ。神様ならたくさんいますけどね』

「……まあ、いっか。旅は道連れ、世は博士……だっけ? 俺の一千万を得る過程の思い出の一つにしてやるよ。声うんぬんはどうにも出来ねえけど、とりあえず新宿までだったら付き合うぜ」

 少女は目を輝かせて嬉しそうに頷いた。

「で、お前の名前は?」

『ルーシーです』

 これもまた信憑性に欠ける名前だと思ったが、最近の子どもの名前は想像を遥かに超えるキラキラネームが多いと、合コンで保育士が言っていたのを思い出した。深く考えないことにした高士は、少女を連れて再び歩き出した。

『高士さんは、何のお仕事をされてるんですか?』

 女子中学生の歩幅を考えずに歩いていた高士に、しっかりとついて来た逞しいルーシーがノートに質問を綴った。

「ああ、俺はギャンブラーだよ。適当にバイトして稼いだ金を、何倍にもする仕事だ」

『すごいですね! 才能がある人しか出来ないことだと思います!』

 こんなに素直な返事をされたのは初めてだった高士は、面を食らった。

「……まあな。たとえ負けてもくじけない精神力も必要になる、過酷な職業だ」

『格好いいですね! どんな風に戦っているのですか?』

 気を良くした高士は、少しだけゆっくり歩いてあげることにした。


 東京駅に着いた高士は駅構内を見て回ることはせずに、すぐに女の指示通り中央線に乗り換えて新宿へ向かった。ルーシーは高士の意図不明の乗り換えに愚痴も零さず質問もせず、当たり前のように後をついてきた。しかし高士の行動に口出しはしないものの、歩いていても電車の中でも、高士自身に対する質問は止まらなかった。

『何歳ですか?』『趣味は何ですか?』『お風呂に入ったらどこから洗いますか?』

 中身のない質問に高士は適当に答えつつ、ようやく二人は新宿駅に到着した。煙草が吸いたくなった高士は人で溢れかえる駅前から少し歩き、裏通りに出てから火を点けた。珍しく人に言われたことを最後までやり遂げたという達成感も大きかったが、ルーシーというイレギュラーが介入してきたために、予想以上に疲れてしまった。ルーシーと別れ、さっさとあの女を見つけて金を貰って遊びに行こうと思った。

「おい、ここで解散しようぜ。早く話せるようになるといいな」

 ルーシーに適当な別れの言葉を告げて片手を上げると、ルーシーはノートにペンを走らせて高士に見せつけた。

『ここまでご一緒してくれて、ありがとうございました。最後に質問をさせて下さい。高士さん、あなたは死ぬことについてどう思いますか?』

「死ぬこと? んー、あんま考えたことねえけど、そりゃあ嫌なことなんじゃねえの?」

 最後まで適当に答えた高士に微笑んだルーシーは、スカートの中に隠していたリボルバー式の拳銃を、目にも止まらぬ速さで突きつけた。

「……マジか?」

 母親に小さいころから耳にタコが出来るくらいに言われた言葉を今更になって思い出したが、どうも遅すぎたようだった。

 高士はルーシーの唇が「さよなら」の形に動いたのを視認した。