文健の要望に応え、高士、胡桃、美保の三人は外に出た。

 すでに時刻は二十時半を回っている。二十四時まで時間が欲しいと言った文健の言いつけを守ると、十七歳の美保は外にいては補導される時間になってしまう。そこで美保は少しでも大人っぽく見せるため胡桃に化粧を施してもらったのだが、自分でやったときとは比較にならない程の変化に、大人の階段を昇った気がして気分が高揚していた。

(さすが胡桃さんだべ! こんなに綺麗にしてもらえるなんて感激だあ~! 記念に撮って貰った写真、早くケイコに送りてぇ~!)

 三人は今、明日の公演場所を探していた。目立つためには人が多い場所が良いだろうと考え文健の家の最寄り駅から新宿へ再び移動したのはいいものの、この時間でも人がごった返している新宿駅前では、とても劇なんてやれない気がしていた。

「ヒーローショーって動き回るものなの? どれくらいのスペースが必要になるのかしら……美保? 聞いてる?」

「あ、はい! き、聞いてます! ええと、人が多く集まる場所で、適度に歩き回れるくらいのスペースは考えておくのが無難だと思います!」

 人が多すぎて無理かもなんて思っていたくせに、そんなありきたりな意見しか言えない自分が恥ずかしかった。

「みんなが見そうな目立つ場所って考えると、あそことかいいんじゃね?」

 高士が指したのは『新宿ステーションステージア』だった。よく芸能人の告知だったり新商品のイベントで使用されている場所である。

「ああいう公共のスペースを借りるのって、高いんじゃない?」

「小さいから大したことないんじゃね? 一日五万くらいか? 一人一万五千出せばいけるって!」

「……あんたコンビニ入るとき財布に千円しかないって言っていたけど、口座にはお金入っているの?」

「俺は、ほら。文健先生っていうスポンサーがいるから」

「文健に頼るんじゃないわよ。それに、美保のことも考えなさいよ。高校生よ? っていうか、こんな新宿の一等地、そんなに安く借りられないと思うけど」

 胡桃は携帯電話に視線を落とし、細い指を動かした。

「えーっと……新宿ステーションステージアは……平日使用料金五十五万円、土日祝使用料金、八十万円! 予約は原則一年前からだってさ」

「話になんねえ! やめだやめだ!」

 流石新宿の一等地だ。美保は苦笑いを浮かべた。

「それにしてもリーマンが多いな。こんな時間まで働くとか大変だねえ。そこまでして働く意味ってあんのかね?」

「何言ってんの、立派でしょうが。高士はなりたくてもなれないわよ」

 なかなか辛辣な意見だと思ったが、高士は別段怒った様子もなく平然としていた。美保は最初高士が怖い人だと思っていたが、勝手な思い込みだったと反省している。むしろ、接し方に困る対象が高士ではなく文健になるとは思っていなかった。文健は良い大人なのにすぐに逃げ出すし、弱気なのにプライドが高くて、気をつけてはいるのだがつい冷徹な眼差しを向けてしまう。文健も美保にとやかく言われたくはないだろうし、お互いに干渉しないのがベストなのかもしれない。

 路上で煙草を吸おうとした高士を胡桃が叱り、喫煙所へ行くよう命令した。必然的に胡桃と美保は、寒い中外で高士を待つはめとなった。

「ほんっと、自己中な男よね。美保、煙草が我慢できない男とイビキが煩い男は付き合わない方がいいわよ。絶対に嫌気が差すから」

 白い息を吐きながら胡桃が恨めしそうに呟いた。苦笑いで答えつつも、胡桃に訊きたいことがあった美保は千載一遇のチャンスだと思って、前のめりになった。

「あの、胡桃さんも大学進学を機に上京されているんですよね? やっぱり、大学も東京も楽しいですか?」

「そうね。大学は今までと違って自由が多くて面白いわよ。うん、遊ぶところは多いし、美味しいお店も多いし、わたしは地元よりも東京の方が好きかな」

 美保のテンションが上がった。絶対に央田大学に受かってやる、そんな気持ちが湧き上がってくる。だが水を差すように、胡桃は「でもね」と続けた。

「東京ってさ、楽しいけど良いことばかりじゃないよ。楽しくなるかどうかは自分次第ってよくいうけど、それなりに自己判断ができる頭の良さも必要になる。……わたしみたいに流されやすい馬鹿は、特に注意が必要だった。美保は見たくないものを見ないようにしているみたいだから、少し冷静になった方がいいかもね。もちろん、勉強に対するやる気はなくさない程度にね」

 ――お前は周りが見えていない。そう忠告を受けた気がした美保は、高士や文健ではなく憧れの胡桃から言われたことで、少なからずショックを受けた。だけど、胡桃の言うことなら素直に受け入れられる部分もある。美保は今まで見ようとしていなかった部分を視界に収めようと、目玉と神経を外に向かせた。

 東京の夜は眩しく騒がしく、目が眩んだ。こんなにたくさんの人がいるのに、ほぼ他人というのも嘘みたいな確率だ。地元なら、休日のショッピングモールに行けば誰か一人は知り合いに会うというのに。

 酔っ払ったおじさんに群がる若者や、水商売のお姉さんたちが黒い服を着た男に声をかけられている光景を目にした。大声でたむろする人間もいれば、人と目を合わさずに足早に歩く人間もいた。視点を少しだけ変えてみると、あんなに憧れていた東京にいるにもかかわらず、ふと田舎を恋しく思う気持ちになった。

「……胡桃さんが流されやすいとか、馬鹿とか言われても全然信じられません。年上の高士さんや文健さんより、ずっとしっかりしているのに」

 だが、胸に生まれた新しい感情をまだ否定したい気持ちもある。美保は胡桃の言葉に異を唱えることで、一旦その気持ちと距離を置こうとした。

「うーん……高士はともかく、文健は文句ばっかり言っているけど芯が固まっているからね。多分、わたしよりも全然しっかりしているわよ」

「そうなんでしょうか? あたしにはわかりませんけど……」

 美保が小首を傾げたタイミングで、高士が喫煙所から出てこちらに向かってくるのが見えた。胡桃は高士の元へ歩を進めつつ笑って、

「まあ、とりあえずは文健が作った脚本を見てから判断しようか。あいつの中にある何かがわかるかもしれないし」

 美保はさっき読んだ文健の小説を思い出し、ますます首を傾げざるを得なかった。