見る限りではあるが青空に雲は一つもなく、春の日差しが暖かく気持ち良いこともあって、カフェのテラス席に座って女子だけで談笑していた。けどその会話はこの春の陽気に全くもって似つかわしくなく、自分のほうが相手より立場が弱いからと、決して本人には口にできない、下らないただの陰口だった。
「今日の立花さー、ほんとうざかったよね」
 このグループの中心人物と思われる酒井がそんなことを言うと、それが引き金になって周囲も賛同し、琴音への罵倒が繰り広げられていく。私と琴音が友達であることを知らないグループといるとたまにあることで、私はなんだこいつらと思いながらも、笑みを作って愛想よく受け流していく。そして不信に思われないよう、ある程度は肯定してやる。もっとほかに話すことないのかよと言ってしまわないよう、必死に心を閉ざして。それはずるがしこく生きるために必要なことだから、仕方のないことなんだ。時計を見遣るともう時間で、私は会話の切りが良いところで席を立ち、周囲の視線がこっちを向いたときに口を開いた。
「ごめん、これから用あるから。ばいばい」
 笑顔で手を振り、私は酒井たちのグループから去っていく。彼女らの姿が見えなくなってから、夏に近づこうとする眩しい日差しを受けながら、浅く息を吐いて、凝り固まった体をぐいぐいと伸ばした。
 さっきまで私は酒井たちと学食にいた。だから琴音とはいっしょにいなかった。でもべつに喧嘩したわけではなく、そういう日もあるというだけだ。私はたまに酒井たちとランチしたり遊んだりする。酒井たち限りではなく、それなりに交流のある人とはだいたいそうだ。そうしていると困ったときに助けてくれて便利だし、なにより顔が広いという好印象を持たれ、コミュニケーション能力が優れていると思われて、勝手に地位が高くなっていく。ただ色んな人とうわべで関わっているだけなのに。琴音には悪いと思うけど、ずるがしこくいるためには仕方ない。琴音には付き合いがあるからと言って、頷いてもらっている。
 利益のためとはいえ、とりかごのように窮屈で、どっと疲れるのに変わりない。私のやっていることは女優みたいなもので、自分ではない他人を演じるのだから当たり前だ。けど今日はもう解放された。これから待っているのは、琴音といっしょにイラストを描く時間だけだ。私は最近ハマっているジェイポップの曲を鼻歌し、スキップでもしそうな軽やかな足取りでイチョウ並木へ進む。朱門で待ち合わせしていて、辿り着くと琴音はこっちに気づき、大げさにぶんぶんと手を振っていた。私はつい小さく笑みを浮かべてしまいながら、控えめに手を振った。
 私たちが向かったのは四丁目公園という、子どもが使うような遊具しかない極一般的な公園。でもその前に、その向かいにあるコンビニに寄った。コンビニの小賢しい策略に乗り、ドリンクコーナーで緑茶を買ってから、まんまとお菓子コーナーに引き付けられていた。ドリンクコーナーは一番奥にあって、ぜったい目につくからしょうがない。とくに琴音は毎度のように誘惑に負けていた。琴音はしゃがんで頭を悩ませていて、『どちらにしようかな』でようやく極細ポッキーに決まり、私たちは公園に入った。
 ちょうど三人くらい座れるベンチが開いていたからそこに腰掛けた。絵を描く準備を終えて、極細ポッキーを一本咥えて、ポリポリとかじりながらペンを走らせる。
 学校終わりの時間もあって、小学生ぐらいの子どもたちが遊んでいた。眺めていると、あのころは純粋だったなと、ふと感傷に浸っていた。最近の子どもは外で遊ばなくなってきているというけれど、とうぜん全員がその限りではない。それに思ったけど、大人にもその要因は大いにある。そもそも公園が詰まらないのが悪い。遊具は年々減ってきていて、なにかと危ないからといって行動を制限してくる。そんなの窮屈でしかなく、外に出る気も失せる。なにも対策しようとしないで、口だけは達者な大人たち。私は公園の光景を、日本の闇だと感じていた。彼らにとって、子どもは人形ごっこの道具なのかもしれない、そんなふうに考えてみた。
 おおかた描き終え、一息つき緑茶の爽やかな苦みで喉を潤す。すると横から手が伸びて、振り向くと琴音は唇を口内に丸めていた。
「口があまあまだよ」
 その手にはミルクティーがあり、そりゃそうだと私は肩を縮ませてしまった。緑茶を渡し、琴音は一口飲んでやんわりと笑みになって、伝染して私も笑顔にさせてくれる。
「今どんな感じ?」
 琴音は頬をすり寄せながら覗いてきて、餅みたいに柔らかかった。羨ましくてぎゅうぎゅうと四方八方にこね回していると、琴音からメイク落としで擦ったみたいに表情が抜けていく。
「琴音?」
 思案顔で首を傾げると、琴音は顔を一瞬こわばらせて、またすぐに笑みに戻った。
「凛ちゃん、どんどんうまくなってくね」
 琴音はいつも通り笑みを浮かべていて、私も笑みを返す。だけど、私は自然に笑えなくて、ぎこちなくなかったか少し心配だった。今の笑みはなんだか、機械仕掛けみたいだった気がした。まあたぶん、過去の作家魂が出ただけだろう。私は話題を変えようと頬を描いていると、バイト先の彼が真っ先に思い浮かんだ。
「そういえば、最近バイトの子と仲良くなったんだよね」
「あー、なんか地味って言ってた子だよね。良かったね」
「うん。あと意外とね、話してみると面白いんだよ」
「へー」
 琴音はニヤリと唇の片端を上げ、私の目を凝視してきた。苦笑しながら首を傾げると、ついには失笑した。
「なんか、琴音がそんなに人のこと話すの、見たことないかも」
「いや、べつにそんなんじゃ」
 首と手を左右に強く振った。琴音はさらに口角を上げていて、たぶん、私の顔がほんのり赤くなっているからだ。顔が少し熱くてパタパタと手で扇いでいると、琴音は肩に手を置いてきた。
「ねえ、写真とかないの? 名前は?」
「写真はないけど、名前は安藤岳くんっていうの」
「……へえ」
 琴音の表情が0.1秒くらい固まって、ほぼ吐息に近い声を漏らした。「どうしたの?」と聞いてみたけれど、琴音はまたにっこりと笑みになって、「なにが?」とだけ言って絵の続きをし始めた。私は首を捻らせてしまいつつも、気のせいかと再びペンを走らせる。だけど、なんどか横をチラ見してしまう。顔つきはやんわりと微笑んでいて、でも普段より硬くて。
 なんとなくさっき、二つの琥珀の表面を一瞬だけど、陰りが過ぎった気がした。