夏休みは、日本の長期休みで一番長い。それは日本が決めたルールの中で、もっとも正しい決断だと、毎年、深く思わされる。
じりじりとセミが鳴き、夏の陽炎をかきたてる。日焼け止めを塗った肌を黒くしようと必死になっていて、私は俯き、熱々になったアスファルトをおもわず睨んでいた。暑さにやられて顔をしかめている私に対し、小学生くらいの子どもたちは、笑顔で私の横を駆け抜けていく。私にもあんな時代があったのかと、まだ二十歳ながらに感傷に浸り、四季で一番距離が近い太陽へ手をかざしながら仰いだ。ぐうぜん木に止まるアブラゼミを見つけ、この暑さに騒音を上乗せしている元凶を睨めた。
そういえば最近、セミの数が減ってきているらしい。正直、全く実感はないけれど、どうやら夜に鳴くセミが増えてきているのだと、ニュースを見て知った。個人的には夜のほうが涼しくて、まだマシな気もするけど、じっさい鳴かれた鬱陶しいんだろう。
大きな通りから左に曲がり、ギリギリ車が二台走れるような小道に進む。さっきまでと違って日陰が生まれ、私はすぐさま入り込んだ。私は軽く息を吐き、日差しで火照った体を気休めに手で扇ぐ。もちろんセミの鳴き声もやかましいのだけれど、なにより私にとって害なのは、まるで肌を焦がさんとばかりに差してくる紫外線だ。焼けて瞬く間に赤くなってしまう私は、塗るタイプの日焼け止めを塗ってから、さらにスプレータイプで重ねづけしている。余計にお金はかかってしまうものの、ここまでしないと不安で仕方ないのだ。だったら長袖を着たり、日傘でも差したりすれば良いのだろうけど、そんなのババくさくてたまらないから、絶対にしたくない。偶然、だれかと会うかもしれない。だからこそ、いつ何時もおしゃれでいなければならないのだ。普段はずぼらとか、そんな噂が流れてしまえば一巻の終わり。ずるがしこくいるには、常に周囲の印象には注意しなければならなかった。だからこそ、この時期の休みが長いことにより、外に出る回数が減って、私にとって救いだった。
二回十字路を超えていて、この先を右に曲がり、またすぐに左へ曲がって、さらに小さい道を通ったところに岳くんの家はある。ちらりと手にある腕時計を覗く。待ち合わせまであと十五分くらいあるけど、もうすぐそこだった。歩いていると、普通の家の二倍は敷地がありそうな、豪邸と言って良いほど立派な家があった。モダンなグレーを基調としていて、田園調布とかに立っていそうな二階建ての横長なデザイン。ガレージも大きく、さぞかし高い車が停まっているのだろう。シンプルなデザインを見るに、きっと岳くんの服のセンスは親譲りに違いない。
ちょっと早く着きすぎてしまったけど、さっさとこの蒸し暑さから解放されたかった私は躊躇なくインターフォンを押した。
「はい、あ、少し待っててください」
インターフォン越しだからか、普段よりもっと声が高くて、もはや低音な女子の声だと勘違いさせられるほどだった。だからかなんとなく女装姿を想像していると、絶対に似合うなと思った。今度女装させてみようかと、そんなどうでも良いことを思惑しているうちにドアが開いた。
「こんにちは」
「ちわー」
相変わらず会釈をしている岳くんに、私は笑みを返した。私を中に入れると、岳くんは振り返り廊下を歩いていたが、こちらをチラッと見て、前触れなく言った。
「そのピンクの腕時計、かわいいですね」
私は少し体を強張らせてしまい、若干目を逸らしながら「ありがと」となんとか口にした。岳くんはふんわり笑みを浮かべて前を向き、私は細く息を吐いて岳くんを見遣った。
よくあることで、岳くんは人の変化によく気づく。それでいて、私が気に入っている箇所や、こだわったところを褒めてくれるものだから、たちが悪い。こんなことを自然とできるなんて、女子だったらたいがい喜んでしまう。これで女子にモテないのだから、きっと女たちに見る目がないのだろう。こんなナチュラルな女殺し滅多にいないのに、もったいない。
なんだかんだいって、変化に敏感、が男子のステータスではもっとも重要だと思う。体調がよくないことや、機嫌があまりよくないことを察して気遣ってくれる。これがあれば正直、顔なんて二の次だ。それでいて金持ち。よくよく考えれば優良物件で、岳くんと付き合うことはとてもずるがしこいことではないか、とも思うけど、さすがに琴音を裏切るわけにはいかないのと、やっぱり自由業だと、私の判断基準では全て台無しになっていた。
琴音のため、私は今ここにいて、情報を絞り出さなければならない。地下室に行くため階段を下り、学校の教室よりも広い岳くんの作業部屋に入って辺りを見回した。
中は外見に反して、普通な感じ。とはいえ普通の二倍くらいは広いのだけど、白を基調としていて、フローリングは木の色をしている。勝手なイメージで廊下には高そうなものが飾ってありそうだけど、そういったものはなく、とても質素だった。だからなんか落ち着けて、私は岳くんのとなりに並んだ。
「やっぱ、岳くん家って大きいよね。両親ってなんの仕事してるの?」
「母さんは社長をやってます」
岳くんは少し視線をずらしていて、私は顔には出さなかったけどしまったと思った。岳くんの言葉の裏には父さんがいないという意味が含まれていて、私はそこにいっさい触れず、首を傾げた。
「なんの社長?」
「シュシュカンナっていうところです」
シュシュカンナ。私の一番愛用しているプチプラランジェリーブランドで、おもわず「ほんとに」と少し声量を大きくしてしまった。
「私も今つけてるの、シュシュカンナだよ。新作のピンクのやつなんだけど」
そこまで言って、私は苦笑いを浮かべてそっと口を閉ざした。岳くんが目のやり場に困っているのを見るに、おもいきり自分の下着の説明をしていることに気づいたからだ。微妙な雰囲気が続くものだから、私はひとまず咳払いをして口を切った。
「お金持ちなのに、大学に行けとか言われないの?」
「まあ、そういうのはないですね。好きなことやりなって、言ってくれるんで。まあ、それより、早くやりましょうよ」
岳くんは後頭部に触れていて、どうやらお母さんのことを話すのが恥ずかしいように見えた。やっぱり思春期の男の子だなと、小さく笑ってしまいながら、私は岳くんの向かったパソコンのある方へ近づいた。岳くんはパソコンの電源をつけ、すでに机の上にある液タブを接続させた。
「今日はなんの絵、描くんですか?」
岳くんはどんどんセッティングしていき、私はすでに準備しておいた答えを口にした。
「人の絵、描いてみたいな。岳くんがどうやって女性の絵を描いてるのか、気になるし」
これを提案したのは、岳くんの絵のモデルが告白した先輩だということは知っているからで、こうすればより岳くんのことを知るきっかけが増えると考えたからだ。すると、岳くんは思わぬ発言をした。
「どうって言われても、ボクは思い出して描いてるんで」
「思い出して?」
わけが分からなくて言葉を反復してしまう。岳くんは「う~ん」と声を唸らせ頭上を向くと、側にあるペンとA3くらいの白紙を取って、スラスラと描いていった。描き終えると、そこには女性のシルエットと簡単な背景があった。
「先輩の仕草とかを思い出して、そこに撮った写真とかの風景を当てはめてるんです」
岳くんは絵を指さしながら説明してくれて、なんとなく道理は分かったけど、気になるところがあって首を傾げてしまう。
「でも、それって忘れてたらどうするの」
「大丈夫です。絶対に忘れないんで」
「どうゆうこと?」
ますます意味が分からなくて、つい眉を顰めてしまうと、岳くんは説明してくれた。
「ボク、興味のあるものは、見たら絶対に忘れないんです。細かなことも、全て。たとえば、夏休みに入る前、いっしょに焼肉を食べに行った日のことですけど、琴音さんはグレンチェックのワンピースに黒いブーツを履いて、白の腕時計してましたよね。アイシャドウは紫で」
「分かった、分かったから、信じるよ」
まさかメイクまで覚えているとは思わず、急いで止める。でも本当は他に理由があった。まるで、興味があるから全部、私のことは思い出せると宣言されているみたいで、なんだか恥ずかしくなってしまったのだ。かすかに火照る顔を冷やすように細く息を吸い、私は岳くんに目を遣った。
「もしそれがほんとだとしたら、勉強もする必要ないんじゃない?」
そんなとんでもない特技があるならば、とうぜんこの結論に至る。だけど、岳くんはすぐさま左右に首を振った。
「そういうわけにもいかないんですよ。逆に興味ないことは、全く覚えられないんです。勉強とかは、とくに」
申し訳なさそうに俯くあたり、どうやら本当に勉強のことは完全に記憶できないようだ。どうやら致命的なデメリットもあるようで、便利かと言われたら首を傾げてしまうような特技だった。間違いなく東大には入れないわけだし、必然的に進路は狭まってしまう。だからこそ、岳くんはイラストレーターの仕事をしたいのだろう。それはつまり、彼にとっては潔くてずるがしこい決断なのかもしれない。できないことをいくら頑張っても、最低限しかできないのだから。
私のなかで岳くんの評価が上がっているうちに、岳くんはなぜか机の上から二つ一眼レフカメラを取り出し、私に一個を渡してきた。
「どうしたの?」
「今から撮りに行くんですよ。絵を描くために必要なんで」
カメラと岳くんを交互に見ると、岳くんは当然とばかりに首を横に倒して言った。写真を撮る、ということは外に出るということで、またあの地獄のような環境に行かななければならず、私はつい苦笑になって代替案を出した。
「もうある写真とか、ネットで拾ったやつで良くない? 暑いし」
「ダメです」
間髪入れず、鉛でもぶつけられるように声が私の耳にぶつかってきた。私は目を丸くして固まってしまった。低くて大きい声はいったい誰の声か一瞬悩んだけど、ここには二人しかいないわけだから、信じられないけど岳くんの声だった。そっと視線を動かすと、一見表情はモノクロに見える。だけど、つい顔を強張らせてしまう。岳くんは雲の隙間から差す月明かりのように、静かだけどギラリとした目つきで私を捉えていた。
「人を描くなら、自分で撮ったものじゃないと。これはボクのこだわりなんで、絶対に従ってもらいます」
珍しく強気な岳くん。きっと真剣ゆえにだろうから、決して笑ってはいけないんだけど、いつもの薄い表情と差がありすぎて、バレないように口元を押さえて失笑してしまった。
冷房の効いた快適な空間を跨ぎ、地獄のような暑さに晒され、私は手で顔に日陰を作りながら岳くんに目を向けた。彼の真っ白な肌からまばゆい日光が真っ直ぐに反射してきて、おもわず目を細めてしまう。そこには一点の汗もなく、季節を疑いたくなるほど、そこだけは涼しそうだった。
「どうしたんですか?」
家の中とは違って黒のキャップを被った岳くんは、どうやらぼうっと立ち尽くしていた私の顔をかがんで覗いた。
「なんでもないよ」
私が笑みを作るけど、岳くんは眉を顰めていた。そして、岳くんはとつぜん私の手をさらい、家の中へと戻った。待っててくださいと敬語で言われ、ほんの数十秒で岳くんは帰ってきて、その手にはベージュで同じデザインのキャップがあった。するとまた私の手は引かれ、玄関にある姿かがみの前に立たされた。私はついきょとんと瞬きしていれば、岳くんは体を重ねるように背後から手を回す。あまりにも急な出来事すぎて理解が追いつかず、私は依然として棒立ちしていると、岳くんは手にあるキャップを丁寧にかぶせてきた。見かけによらず角ばった手が、私の頭に触れていた。
「ちょうど同じベージュのやつ、持ってたんで。熱中症になったら大変ですしね」
岳くんは吐息がかかりそうなほど近くでキャップの位置を微調整していて、いくら好きではないとはいえ、心臓の鼓動は徐々に速まっていく。位置が定まったのか、耳元で岳くんは「よし」という声が私の耳をくすぐり、オレンジの皮から香ってくるような爽やかさが離れていく。鏡越しに、岳くんと視線が絡む。岳くんはすぐさま目を逸らし、そっと鏡に映らなくなった。高級な建物だからだろうか、外で泣き叫ぶセミの騒音は全く聞こえなくて、息のつまるような静けさに包まれていた。とうてい私には耐え切れず「ありがと、行こっか」とだけ、少し早口になってしまいながらも言って、白いスニーカーを履いた。
三度、溶けてしまいそうな日差しと、むせ返りそうな湿気に体力を削られながら、岳くんの後をついていく。
「そういえば、どこに行くの?」
「このさきにある、四丁目公園です」
岳くんは前を向いたまま答えた。それも淡泊に。加えてさっきから一向にこっちを見てくれなくて、どうしたんだろうと首を傾げてしまう。さっき玄関でのことなのは分かっているけど、いったいなにが原因なのか分からない。距離が近かったことだろうか。そこで私はふと思い立って、シャツの中に鼻を突っ込む。まだせっけんの香りは残っているけど、自分の匂いは自分では分からないというから、もしかすると今の私、汗臭いのだろうか。正直、あのときは緊張していたから変な汗をかいたかもしれないし、その前に外を歩いているときにシャツへ汗が染みこんでいるかもしれない。岳くんに、汗臭い女と思われているのだろうか。気になるけど、ましてや聞くことなどできるはずもなく、もんもんと頭を悩ませたまま、側の自販機で飲み物を調達してから四丁目公園に到着していた。
ちょっとした階段を昇れば、いろいろなアスレチックじみた遊具と合体した奇妙な滑り台に、握ったとたんに火傷しそうな鉄棒、深さ五センチくらいしかなさそうな、小規模な川を跨いだ先に設置された屋根つきベンチ。大きくも小さくもない平凡な木々に囲まれ、風が吹く度に葉の擦れる音がして、ツンと苦く鼻の膜を差す匂いがした。目を伏せれば、東京であることを忘れさせてくれる、そんな気がした。
岳くんはベンチに座り、私もその隣に腰掛けた。すると岳くんはカメラを二つ取り出し、片方を渡しに貸してくれた。
「一眼レフの使い方、分かりますか? これ、キャノンですけど」
「うん、持ってるのキャノンだし、たまに使うからなんとなくはね」
「じゃあ、分かんないところあったら、ボクに聞いてください。あと、人物を風景に当てはめることを想定して撮ってくださいね」
そう言って岳くんは貴重品だけを持って日なたに出た。とりあえずプログラムモードで、ホワイトバランスを太陽光にし、露出補正は後で変えることにして私も日差しの下へ進んだ。なにを撮ろうか辺りを見回すと、なんとなく一番左端の鉄棒にピントを合わせ、絞り優先モードにして、少しだけ周りをぼかしてシャッターを切る。それから露出補正とかをちょっとずつ調整して、しっくりくるまで繰り返し撮った。それから滑り台の出口を上から撮ってみたり、ベンチを撮ってみたりした。何十枚か取れてきたころ、私は写真を見返してみた。全部見て、なんとなく気になった写真が一枚だけあった。それは最初に撮った、鉄棒の写真だった。
「良いの撮れましたか?」
いつの間にか近づいていた岳くんは横から覗き込んできて、私は「まあね」と顔を背けながら素っ気なく言ってしまった。どうにかその様子には気づかれず、岳くんは私の使っていた一眼レフカメラのプレビューを確認した。岳くんは素早く流し見していく中で、ふと一枚だけ目を止める写真があった。
「これ、良いですね」
その写真は私も気になった、初めに撮った鉄棒の写真だった。私にはなにが良いのかさっぱり理解できなかったけど、とりあえず褒められているから微かに頬が緩んでしまった。顔を引き締め、私は首を傾げた。
「どこが良いの?」
「なんか、鉄棒に背を預けながらとなりを見て、昔の幼馴染を思い出しているような、そんな女性を描けるような気がしませんか?」
ビードロのように透き通った声で物語を紡ぐように岳くんは言い、私は「うん」とひとまず二つ返事をしておいた。
岳くんの声は、言葉は、私自身も知らない、心のどこかに隠れている新たな自分を見つけ出してくれるようだった。案外、岳くんと私の感性は似ているのかもしれない。とはいえきっと、さっきのは偶然に決まっているんだけど、そんなことを思っている自分がいて、なんだかおかしくて笑えてくる。だけど、決して嫌な気分ではなかった。むしろ、さっきの掛け合いは、海面で仰向けになって、目を閉じて、ぷかぷかと浮かんでいるみたいに、とても心地よかった。いつまでもしていたいと思った。ふと、岳くん顔を見上げる。
やんわりと、目を三日月型に細めていた。つい触れてたくなる、きめ細かい肌が目の前にあって、誘惑に負けまいと、若干だけど距離を取った。すると岳くんはハッと目を開け、さらに離れていった。むず痒い空気が流れていると、岳くんは後頭部に触れて口を切った。
「すいません、絵のこととなると、周りが見えなくなるんです。だからその、距離が近かったのもわざとじゃなくて」
岳くんはうなじに手を添え、さっきまではこの猛暑でも血が通っていないみたいに白かったけど、今は淡く紅色に頬を染めていて、私はおもわず深く息を漏らしてしまった。
「なんだ、私が汗臭くて拒否られてんのかと思ったよ」
冗談交じりに言うと、岳くんは強く横に首を振った。
「そんなことないですよ。むしろすごく良い匂いでした」
真上から注ぐ日差しより真っ直ぐな視線。知らない内に見つめていた私はそっぽを向いていると、岳くんはとても恥ずかしいことを言ったのを察したようで、素早く口元を覆って下を向いた。
「あ、すいません。きもいこと言って」
「ううん、そんなことないよ。普通にうれしいし」
依然として目が合わない私たち。なにをこんなに意識しているんだろう、私は。こんなのただのお世辞で、普段通り肯定して受け流せば良いだけだ。なのに、なんでこんなに顔が熱いんだろう。きっと、この馬鹿みたいに熱い夏のせいだ。私は熱さから逃げるため、日陰のあるベンチに移動しようとした。あの先には行く途中で買った無糖アイスティーが待っている、そう思うと自然と速足になっていく。だからだろうか。私はベンチとの境界線にちっちゃな川があることをすっかり忘れていて、つまずきそうになった。
「きゃ」
そのまま川に足を突っ込むことと覚悟したが、そうはならなかった。
「大丈夫、ですか?」
木が多いからかセミの雑音でうるさかったはず。けど、風鈴のように澄み渡る声が、耳より少し上から降りてきた瞬間、なにもかもの音が消え去った。私より少しばかり暖かい熱が肩と背中越しに接していて、だけどそれを超える熱が一気に私を襲った。バスケットボールがバウンドするみたいに心臓が跳ねて、私はお礼を言って手で押して離れた。
今度こそしっかり川を跨ぎ、ベンチに座ってアイスティーで喉を潤す。私はハンカチで汗をぬぐいつつ、顔を覆った。冷たいものを飲んで日陰にも入ったのに、全く体の熱が抜けない。なんなら、時間が経つたびに顔の周りが痒くなっていく。私はハンカチに強く呼気を押しつけ、東京のくせに妙に新鮮な空気を吸い込む。たぶん、普段と違うこの空間のせいだ。そう思って私はなんとなく岳くんのほうをレンズ越しに覗いた。
岳くんは色んなところにカメラを向けていた。彼は依然として汗一つかいていなくて、触らなくても分かるほど、肌はベビーパウダーを塗ったみたいにさらさらだ。羨ましいことこの上ないけど、なにより、今日も今日とておしゃれだ。中央にワンポイントでバラ柄が入った黒のビックTシャツの裾からは白のカットソーシャツが出ていた。Kappaの黒のラインパンツ、リブ白ソックスに黒いサンダルを履いていた。今日のコーデは韓国風で、もともと岳くんの髪型は韓国風マッシュなのだから、似合わないはずがない。試しに絞り優先モードにして、シャッターを切ってみる。確認すると、片足立ちで一眼レフカメラ構えているからか、まるでwearに載っている写真みたいにうまく撮れたと思う。
「かしゃ」
シャッター音がやけに大きく聞こえた気がした。でもたぶん気のせいなんかじゃなくて、前を見ると岳くんは私に向けて一眼レフカメラを構えていた。ファインダーから目を離してこっちを見て、にいっと唇の片端を上げた顔には、白い肌の上に黒いえくぼが浮かんでいる。すると口パクで「し・か・え・し・です」と言って、私のほうに駆け寄ってきた。いつもと違ってやんちゃな岳くんに笑っている私を横目に、岳くんは今さっき撮った写真を見せてきた。
ゆらりゆらりと踊る木々に、眩しく反射して小さくも存在感のある川、そこにそびえ立つ木目調の屋根つきベンチ。その中心で、一眼レフカメラを覗く、長い黒髪の女性。緑よりなカーキ色のビックシャツを襟抜き風に羽織り、ベージュのワンピース、スポーツサンダル。そして、岳くんに借りたベージュ色のキャップ。休憩中の彼女を遠くから見守っているような、そんな優しさが画面越しに伝わってくる。
「良い写真だね」
無意識にそんな言葉が零れていた。すると岳くんは立ち上がり、また日向のほうに行くのかと思った。けど岳くんは立ち止まったまま、口を開いた。
「それは、凛さんだからですよ」
変声期のような声だけど、普段よりハキハキとした力強い声。岳くんはそれだけを言って、小走りでベンチから離れていった。あんなのお世辞だと、重々に理解している。なのに、なぜだろう、顔の奥底から熱が上がってくる。嬉しいと、素直に思ってしまった私がいた。かわいいとか、きれいとか、今までそんなふうに褒められたことなんて、数え入れないくらいある。でもそれは私が特別なわけではなくて、少しブサイクぐらいの顔なら、たいがいの女は言われている。なかには本心で言われている人もいるけれど、そんなの琴音のような美人だけで、稀に見る例外だ。私のような特別かわいくない女を容姿で褒めるのはどれもこれも、とりあえず媚びを売って、多くの女にただただモテたいだけ。金箔の金を抜かれたみたいに、ひどく薄っぺらい。だから私は今さら褒められたところで、微笑を浮かべてあげて、決して気持ちがなびくことなんてない。
だけど、岳くんの言葉には、簡単に心を揺さぶられていて、頭を悩ませられていた。結果、一つ辿り着いた答えは、岳くんだから、という曖昧だけど、なぜか納得できるものだった。その結論に決定的なものはないけど、純粋な性格、を岳くんが演じているとは、とても思えないから。だから別に、岳くんが言ったから嬉しかったわけではなく、単純に本心で褒められたからだ。絶対、そうに違いない。
それなりに満足な写真が撮れた私はベンチに座ったまま日陰で涼んで、岳くんが終わったところで、岳くんの家に戻ることになった。紫外線の下に晒されると、とたんに暑さが増して、私はおもわずため息を吐いてしまった。
「あっつー」
「そうですね」
岳くんはパタパタと手で扇ぎながら同情していたけど表情は涼しげで、私は少しだけ嫌味を込めて言った。
「でも、岳くんぜんぜん汗かいてないよね」
「ボク、平温高いから、それなりに暑さには強いんです。そのかわり、寒いのはすごく苦手ですけど」
「へえ、だからあのとき」
少し暖かかったんだ、と言いかけた口をとっさに閉ざした。私が言おうとしたのは、川に足が落ちそうになったところを、岳くんに助けてもらったときのこと。こんなこと言ってしまえば、また気まずい雰囲気になってしまう。
「あのときって?」
「ううん、なんでもないよ」
手と首を同時に左右へ振って、それとなく話題を岳くんの通っている東芸のことに話を逸らした。
「そういえば、東芸ってやっぱ、普通の授業と違うの?」
「はい、素描っていうデッサンの授業や、美術概論っていう美術の歴史を深く学ぶ授業があったりします」
「へえ、じゃあ普通の授業は少なめなの?」
「まあ、そうですね。だから大学に行く人は、だいたいAO入試か推薦ですね。才能がある人は美大に行きますけど」
「でも、美大って倍率高いんじゃない?」
「はい。だから、美大は無理だけど、絵は描きたいっていう人は専門学校に行ったりします」
「岳くんはどうするの? やっぱり美大?」
「いや、ボクは行かないです」
「なんで? 岳くんでも入れないの?」
「入れるかもしれないですけど、ボクはフリーのイラストレーターとしてやってこうと思ってます」
「……へー、がんばってね」
私が笑みを作って言うと、岳くんは屈託のない笑みで「はい」と二つ返事した。家について、私は岳くんに断ってお手洗いに言った。ドアを開けると、やはりトイレも広くて、なんとなくいずらい気もして、トイレだけはこじんまりとしていた方が良いなと、どうでも良いことを思った。
手を洗いながら、岳くんがフリーでやっていくと言っていた話を考えた。岳くんはああ言っていたけど、私は反対したい気持ちでいっぱいだった。どう考えたって、美大か大学には進学したほうが良いに決まっている。それはもし、夢が叶わないと悟ってしまったとき、とうぜん就職活動をしなければならなくなる。そのとき、高卒と大卒だったら、いったいどちらのほうが就職率は高いだろうか。加えて高卒のほうが若干給料は低いことが多いから、損することしかない。とにかく、大卒のほうが断然得。こんなの周知のことで、岳くんも知らないはずがない。大学を出てからでも遅くはないはずで、企業で働きながらイラストも描くという選択肢もある。なのに、なぜ、フリーのイラストレーターになんてなろうとするのだろう。私には全く理解できなかった。
私はお手洗いを出て、地下室に降りた。岳くんはすでに絵を描く準備を始めていて、私は近寄って「お待たせ」と言ってから聞いてみた。
「フリーでやってこうとしてるみたいだけど、べつに大学に行ってからでも遅くないんじゃない?」
岳くんはぽりぽりと首を掻いた。
「まあ、そうですけど。でも、それじゃダメなんです」
「どうして?」
首を傾げていると、岳くんは首に手を当て、思いつめたような表情で俯いた。意を決したように岳くんは深く息を吐き、口を切った。けど、下を向いたままだった。
「意志の弱いボクには、逃げ道を作っちゃいけないんです。就職でも良いかなって、きっと思っちゃうから。でもボクには、絵を描くことしかないんで。ボクから絵を取ったら、もう、なにも残らないんですよ」
今までなかったものを、一つ一つ言葉として紡いでいくみたいにつたなかった。でもそれはまだ、心のどこかに迷いがあるからではないだろうか。そう思って、私は岳くんの言葉ではなく、存在を肯定した。
「そんなことないんじゃない?」
だけど岳くんはすぐさまかぶりを振った。
「先輩が見つけてくれた、『アガ』は、ボクの存在意義なんです」
なにかに呪われているように、ハイライトのない瞳は別の生き物のように、にっこりと笑っていた。その様子は、つい目を強張らせてしまうほど恐ろしかった。けど、もし呪いが解かれたとき、岳くんはどうなってしまうのだろうと、そっちのほうが私には恐ろしく思えた。私の中でも、彼の印象は『アガ』しかなかった。絵を諦めて、空っぽになってなにもかもなくなったら、きっと生きていけないのではないか。でもそうだとしたら、私はどうして生きていけているのだろう。とくになりたい仕事も夢もないのに、どうして。そう考えていたとき、岳くんはぽつりと呟いた。
「怖いんです。安藤岳として、普通に生きていくのが」
たしかに、そう聞こえた。だけど私には全く理解できなくて、おもわず首を傾げてしまい、そして、おもわず眉を顰めてしまった。
週五日働いて二日休んで、毎日しっかり三食あって、自分の趣味にも、ささやかだけど時間を割(さ)ける。普通に生きるのは、とても幸せで特別なことだ。世の中には分岐点のどこかで大きく躓いて、どんどん後れは積み重なっていき、周囲に小馬鹿にされて劣等感を抱きながら、ひそひそと生きていく。または、現実逃避をして引きこもってしまう。そんな普通じゃない、悪い方向に進んでしまう生き方もある。なのに、普通に生きていくのが怖いと言う。そんな贅沢な悩み、まるで私のことをつまらない人間とでも言っているみたいで、とても気に入らない。
だからといって、私の意見を押し付けようとも思わない。他人の確固たる意見を捻じ曲げることほど、時間を浪費することはない。それが友人であっても、無駄なことをするなんて、なにもずるがしこくないんだ。
なのに、どうして私は口出しなんてしてしまったんだろう。
じりじりとセミが鳴き、夏の陽炎をかきたてる。日焼け止めを塗った肌を黒くしようと必死になっていて、私は俯き、熱々になったアスファルトをおもわず睨んでいた。暑さにやられて顔をしかめている私に対し、小学生くらいの子どもたちは、笑顔で私の横を駆け抜けていく。私にもあんな時代があったのかと、まだ二十歳ながらに感傷に浸り、四季で一番距離が近い太陽へ手をかざしながら仰いだ。ぐうぜん木に止まるアブラゼミを見つけ、この暑さに騒音を上乗せしている元凶を睨めた。
そういえば最近、セミの数が減ってきているらしい。正直、全く実感はないけれど、どうやら夜に鳴くセミが増えてきているのだと、ニュースを見て知った。個人的には夜のほうが涼しくて、まだマシな気もするけど、じっさい鳴かれた鬱陶しいんだろう。
大きな通りから左に曲がり、ギリギリ車が二台走れるような小道に進む。さっきまでと違って日陰が生まれ、私はすぐさま入り込んだ。私は軽く息を吐き、日差しで火照った体を気休めに手で扇ぐ。もちろんセミの鳴き声もやかましいのだけれど、なにより私にとって害なのは、まるで肌を焦がさんとばかりに差してくる紫外線だ。焼けて瞬く間に赤くなってしまう私は、塗るタイプの日焼け止めを塗ってから、さらにスプレータイプで重ねづけしている。余計にお金はかかってしまうものの、ここまでしないと不安で仕方ないのだ。だったら長袖を着たり、日傘でも差したりすれば良いのだろうけど、そんなのババくさくてたまらないから、絶対にしたくない。偶然、だれかと会うかもしれない。だからこそ、いつ何時もおしゃれでいなければならないのだ。普段はずぼらとか、そんな噂が流れてしまえば一巻の終わり。ずるがしこくいるには、常に周囲の印象には注意しなければならなかった。だからこそ、この時期の休みが長いことにより、外に出る回数が減って、私にとって救いだった。
二回十字路を超えていて、この先を右に曲がり、またすぐに左へ曲がって、さらに小さい道を通ったところに岳くんの家はある。ちらりと手にある腕時計を覗く。待ち合わせまであと十五分くらいあるけど、もうすぐそこだった。歩いていると、普通の家の二倍は敷地がありそうな、豪邸と言って良いほど立派な家があった。モダンなグレーを基調としていて、田園調布とかに立っていそうな二階建ての横長なデザイン。ガレージも大きく、さぞかし高い車が停まっているのだろう。シンプルなデザインを見るに、きっと岳くんの服のセンスは親譲りに違いない。
ちょっと早く着きすぎてしまったけど、さっさとこの蒸し暑さから解放されたかった私は躊躇なくインターフォンを押した。
「はい、あ、少し待っててください」
インターフォン越しだからか、普段よりもっと声が高くて、もはや低音な女子の声だと勘違いさせられるほどだった。だからかなんとなく女装姿を想像していると、絶対に似合うなと思った。今度女装させてみようかと、そんなどうでも良いことを思惑しているうちにドアが開いた。
「こんにちは」
「ちわー」
相変わらず会釈をしている岳くんに、私は笑みを返した。私を中に入れると、岳くんは振り返り廊下を歩いていたが、こちらをチラッと見て、前触れなく言った。
「そのピンクの腕時計、かわいいですね」
私は少し体を強張らせてしまい、若干目を逸らしながら「ありがと」となんとか口にした。岳くんはふんわり笑みを浮かべて前を向き、私は細く息を吐いて岳くんを見遣った。
よくあることで、岳くんは人の変化によく気づく。それでいて、私が気に入っている箇所や、こだわったところを褒めてくれるものだから、たちが悪い。こんなことを自然とできるなんて、女子だったらたいがい喜んでしまう。これで女子にモテないのだから、きっと女たちに見る目がないのだろう。こんなナチュラルな女殺し滅多にいないのに、もったいない。
なんだかんだいって、変化に敏感、が男子のステータスではもっとも重要だと思う。体調がよくないことや、機嫌があまりよくないことを察して気遣ってくれる。これがあれば正直、顔なんて二の次だ。それでいて金持ち。よくよく考えれば優良物件で、岳くんと付き合うことはとてもずるがしこいことではないか、とも思うけど、さすがに琴音を裏切るわけにはいかないのと、やっぱり自由業だと、私の判断基準では全て台無しになっていた。
琴音のため、私は今ここにいて、情報を絞り出さなければならない。地下室に行くため階段を下り、学校の教室よりも広い岳くんの作業部屋に入って辺りを見回した。
中は外見に反して、普通な感じ。とはいえ普通の二倍くらいは広いのだけど、白を基調としていて、フローリングは木の色をしている。勝手なイメージで廊下には高そうなものが飾ってありそうだけど、そういったものはなく、とても質素だった。だからなんか落ち着けて、私は岳くんのとなりに並んだ。
「やっぱ、岳くん家って大きいよね。両親ってなんの仕事してるの?」
「母さんは社長をやってます」
岳くんは少し視線をずらしていて、私は顔には出さなかったけどしまったと思った。岳くんの言葉の裏には父さんがいないという意味が含まれていて、私はそこにいっさい触れず、首を傾げた。
「なんの社長?」
「シュシュカンナっていうところです」
シュシュカンナ。私の一番愛用しているプチプラランジェリーブランドで、おもわず「ほんとに」と少し声量を大きくしてしまった。
「私も今つけてるの、シュシュカンナだよ。新作のピンクのやつなんだけど」
そこまで言って、私は苦笑いを浮かべてそっと口を閉ざした。岳くんが目のやり場に困っているのを見るに、おもいきり自分の下着の説明をしていることに気づいたからだ。微妙な雰囲気が続くものだから、私はひとまず咳払いをして口を切った。
「お金持ちなのに、大学に行けとか言われないの?」
「まあ、そういうのはないですね。好きなことやりなって、言ってくれるんで。まあ、それより、早くやりましょうよ」
岳くんは後頭部に触れていて、どうやらお母さんのことを話すのが恥ずかしいように見えた。やっぱり思春期の男の子だなと、小さく笑ってしまいながら、私は岳くんの向かったパソコンのある方へ近づいた。岳くんはパソコンの電源をつけ、すでに机の上にある液タブを接続させた。
「今日はなんの絵、描くんですか?」
岳くんはどんどんセッティングしていき、私はすでに準備しておいた答えを口にした。
「人の絵、描いてみたいな。岳くんがどうやって女性の絵を描いてるのか、気になるし」
これを提案したのは、岳くんの絵のモデルが告白した先輩だということは知っているからで、こうすればより岳くんのことを知るきっかけが増えると考えたからだ。すると、岳くんは思わぬ発言をした。
「どうって言われても、ボクは思い出して描いてるんで」
「思い出して?」
わけが分からなくて言葉を反復してしまう。岳くんは「う~ん」と声を唸らせ頭上を向くと、側にあるペンとA3くらいの白紙を取って、スラスラと描いていった。描き終えると、そこには女性のシルエットと簡単な背景があった。
「先輩の仕草とかを思い出して、そこに撮った写真とかの風景を当てはめてるんです」
岳くんは絵を指さしながら説明してくれて、なんとなく道理は分かったけど、気になるところがあって首を傾げてしまう。
「でも、それって忘れてたらどうするの」
「大丈夫です。絶対に忘れないんで」
「どうゆうこと?」
ますます意味が分からなくて、つい眉を顰めてしまうと、岳くんは説明してくれた。
「ボク、興味のあるものは、見たら絶対に忘れないんです。細かなことも、全て。たとえば、夏休みに入る前、いっしょに焼肉を食べに行った日のことですけど、琴音さんはグレンチェックのワンピースに黒いブーツを履いて、白の腕時計してましたよね。アイシャドウは紫で」
「分かった、分かったから、信じるよ」
まさかメイクまで覚えているとは思わず、急いで止める。でも本当は他に理由があった。まるで、興味があるから全部、私のことは思い出せると宣言されているみたいで、なんだか恥ずかしくなってしまったのだ。かすかに火照る顔を冷やすように細く息を吸い、私は岳くんに目を遣った。
「もしそれがほんとだとしたら、勉強もする必要ないんじゃない?」
そんなとんでもない特技があるならば、とうぜんこの結論に至る。だけど、岳くんはすぐさま左右に首を振った。
「そういうわけにもいかないんですよ。逆に興味ないことは、全く覚えられないんです。勉強とかは、とくに」
申し訳なさそうに俯くあたり、どうやら本当に勉強のことは完全に記憶できないようだ。どうやら致命的なデメリットもあるようで、便利かと言われたら首を傾げてしまうような特技だった。間違いなく東大には入れないわけだし、必然的に進路は狭まってしまう。だからこそ、岳くんはイラストレーターの仕事をしたいのだろう。それはつまり、彼にとっては潔くてずるがしこい決断なのかもしれない。できないことをいくら頑張っても、最低限しかできないのだから。
私のなかで岳くんの評価が上がっているうちに、岳くんはなぜか机の上から二つ一眼レフカメラを取り出し、私に一個を渡してきた。
「どうしたの?」
「今から撮りに行くんですよ。絵を描くために必要なんで」
カメラと岳くんを交互に見ると、岳くんは当然とばかりに首を横に倒して言った。写真を撮る、ということは外に出るということで、またあの地獄のような環境に行かななければならず、私はつい苦笑になって代替案を出した。
「もうある写真とか、ネットで拾ったやつで良くない? 暑いし」
「ダメです」
間髪入れず、鉛でもぶつけられるように声が私の耳にぶつかってきた。私は目を丸くして固まってしまった。低くて大きい声はいったい誰の声か一瞬悩んだけど、ここには二人しかいないわけだから、信じられないけど岳くんの声だった。そっと視線を動かすと、一見表情はモノクロに見える。だけど、つい顔を強張らせてしまう。岳くんは雲の隙間から差す月明かりのように、静かだけどギラリとした目つきで私を捉えていた。
「人を描くなら、自分で撮ったものじゃないと。これはボクのこだわりなんで、絶対に従ってもらいます」
珍しく強気な岳くん。きっと真剣ゆえにだろうから、決して笑ってはいけないんだけど、いつもの薄い表情と差がありすぎて、バレないように口元を押さえて失笑してしまった。
冷房の効いた快適な空間を跨ぎ、地獄のような暑さに晒され、私は手で顔に日陰を作りながら岳くんに目を向けた。彼の真っ白な肌からまばゆい日光が真っ直ぐに反射してきて、おもわず目を細めてしまう。そこには一点の汗もなく、季節を疑いたくなるほど、そこだけは涼しそうだった。
「どうしたんですか?」
家の中とは違って黒のキャップを被った岳くんは、どうやらぼうっと立ち尽くしていた私の顔をかがんで覗いた。
「なんでもないよ」
私が笑みを作るけど、岳くんは眉を顰めていた。そして、岳くんはとつぜん私の手をさらい、家の中へと戻った。待っててくださいと敬語で言われ、ほんの数十秒で岳くんは帰ってきて、その手にはベージュで同じデザインのキャップがあった。するとまた私の手は引かれ、玄関にある姿かがみの前に立たされた。私はついきょとんと瞬きしていれば、岳くんは体を重ねるように背後から手を回す。あまりにも急な出来事すぎて理解が追いつかず、私は依然として棒立ちしていると、岳くんは手にあるキャップを丁寧にかぶせてきた。見かけによらず角ばった手が、私の頭に触れていた。
「ちょうど同じベージュのやつ、持ってたんで。熱中症になったら大変ですしね」
岳くんは吐息がかかりそうなほど近くでキャップの位置を微調整していて、いくら好きではないとはいえ、心臓の鼓動は徐々に速まっていく。位置が定まったのか、耳元で岳くんは「よし」という声が私の耳をくすぐり、オレンジの皮から香ってくるような爽やかさが離れていく。鏡越しに、岳くんと視線が絡む。岳くんはすぐさま目を逸らし、そっと鏡に映らなくなった。高級な建物だからだろうか、外で泣き叫ぶセミの騒音は全く聞こえなくて、息のつまるような静けさに包まれていた。とうてい私には耐え切れず「ありがと、行こっか」とだけ、少し早口になってしまいながらも言って、白いスニーカーを履いた。
三度、溶けてしまいそうな日差しと、むせ返りそうな湿気に体力を削られながら、岳くんの後をついていく。
「そういえば、どこに行くの?」
「このさきにある、四丁目公園です」
岳くんは前を向いたまま答えた。それも淡泊に。加えてさっきから一向にこっちを見てくれなくて、どうしたんだろうと首を傾げてしまう。さっき玄関でのことなのは分かっているけど、いったいなにが原因なのか分からない。距離が近かったことだろうか。そこで私はふと思い立って、シャツの中に鼻を突っ込む。まだせっけんの香りは残っているけど、自分の匂いは自分では分からないというから、もしかすると今の私、汗臭いのだろうか。正直、あのときは緊張していたから変な汗をかいたかもしれないし、その前に外を歩いているときにシャツへ汗が染みこんでいるかもしれない。岳くんに、汗臭い女と思われているのだろうか。気になるけど、ましてや聞くことなどできるはずもなく、もんもんと頭を悩ませたまま、側の自販機で飲み物を調達してから四丁目公園に到着していた。
ちょっとした階段を昇れば、いろいろなアスレチックじみた遊具と合体した奇妙な滑り台に、握ったとたんに火傷しそうな鉄棒、深さ五センチくらいしかなさそうな、小規模な川を跨いだ先に設置された屋根つきベンチ。大きくも小さくもない平凡な木々に囲まれ、風が吹く度に葉の擦れる音がして、ツンと苦く鼻の膜を差す匂いがした。目を伏せれば、東京であることを忘れさせてくれる、そんな気がした。
岳くんはベンチに座り、私もその隣に腰掛けた。すると岳くんはカメラを二つ取り出し、片方を渡しに貸してくれた。
「一眼レフの使い方、分かりますか? これ、キャノンですけど」
「うん、持ってるのキャノンだし、たまに使うからなんとなくはね」
「じゃあ、分かんないところあったら、ボクに聞いてください。あと、人物を風景に当てはめることを想定して撮ってくださいね」
そう言って岳くんは貴重品だけを持って日なたに出た。とりあえずプログラムモードで、ホワイトバランスを太陽光にし、露出補正は後で変えることにして私も日差しの下へ進んだ。なにを撮ろうか辺りを見回すと、なんとなく一番左端の鉄棒にピントを合わせ、絞り優先モードにして、少しだけ周りをぼかしてシャッターを切る。それから露出補正とかをちょっとずつ調整して、しっくりくるまで繰り返し撮った。それから滑り台の出口を上から撮ってみたり、ベンチを撮ってみたりした。何十枚か取れてきたころ、私は写真を見返してみた。全部見て、なんとなく気になった写真が一枚だけあった。それは最初に撮った、鉄棒の写真だった。
「良いの撮れましたか?」
いつの間にか近づいていた岳くんは横から覗き込んできて、私は「まあね」と顔を背けながら素っ気なく言ってしまった。どうにかその様子には気づかれず、岳くんは私の使っていた一眼レフカメラのプレビューを確認した。岳くんは素早く流し見していく中で、ふと一枚だけ目を止める写真があった。
「これ、良いですね」
その写真は私も気になった、初めに撮った鉄棒の写真だった。私にはなにが良いのかさっぱり理解できなかったけど、とりあえず褒められているから微かに頬が緩んでしまった。顔を引き締め、私は首を傾げた。
「どこが良いの?」
「なんか、鉄棒に背を預けながらとなりを見て、昔の幼馴染を思い出しているような、そんな女性を描けるような気がしませんか?」
ビードロのように透き通った声で物語を紡ぐように岳くんは言い、私は「うん」とひとまず二つ返事をしておいた。
岳くんの声は、言葉は、私自身も知らない、心のどこかに隠れている新たな自分を見つけ出してくれるようだった。案外、岳くんと私の感性は似ているのかもしれない。とはいえきっと、さっきのは偶然に決まっているんだけど、そんなことを思っている自分がいて、なんだかおかしくて笑えてくる。だけど、決して嫌な気分ではなかった。むしろ、さっきの掛け合いは、海面で仰向けになって、目を閉じて、ぷかぷかと浮かんでいるみたいに、とても心地よかった。いつまでもしていたいと思った。ふと、岳くん顔を見上げる。
やんわりと、目を三日月型に細めていた。つい触れてたくなる、きめ細かい肌が目の前にあって、誘惑に負けまいと、若干だけど距離を取った。すると岳くんはハッと目を開け、さらに離れていった。むず痒い空気が流れていると、岳くんは後頭部に触れて口を切った。
「すいません、絵のこととなると、周りが見えなくなるんです。だからその、距離が近かったのもわざとじゃなくて」
岳くんはうなじに手を添え、さっきまではこの猛暑でも血が通っていないみたいに白かったけど、今は淡く紅色に頬を染めていて、私はおもわず深く息を漏らしてしまった。
「なんだ、私が汗臭くて拒否られてんのかと思ったよ」
冗談交じりに言うと、岳くんは強く横に首を振った。
「そんなことないですよ。むしろすごく良い匂いでした」
真上から注ぐ日差しより真っ直ぐな視線。知らない内に見つめていた私はそっぽを向いていると、岳くんはとても恥ずかしいことを言ったのを察したようで、素早く口元を覆って下を向いた。
「あ、すいません。きもいこと言って」
「ううん、そんなことないよ。普通にうれしいし」
依然として目が合わない私たち。なにをこんなに意識しているんだろう、私は。こんなのただのお世辞で、普段通り肯定して受け流せば良いだけだ。なのに、なんでこんなに顔が熱いんだろう。きっと、この馬鹿みたいに熱い夏のせいだ。私は熱さから逃げるため、日陰のあるベンチに移動しようとした。あの先には行く途中で買った無糖アイスティーが待っている、そう思うと自然と速足になっていく。だからだろうか。私はベンチとの境界線にちっちゃな川があることをすっかり忘れていて、つまずきそうになった。
「きゃ」
そのまま川に足を突っ込むことと覚悟したが、そうはならなかった。
「大丈夫、ですか?」
木が多いからかセミの雑音でうるさかったはず。けど、風鈴のように澄み渡る声が、耳より少し上から降りてきた瞬間、なにもかもの音が消え去った。私より少しばかり暖かい熱が肩と背中越しに接していて、だけどそれを超える熱が一気に私を襲った。バスケットボールがバウンドするみたいに心臓が跳ねて、私はお礼を言って手で押して離れた。
今度こそしっかり川を跨ぎ、ベンチに座ってアイスティーで喉を潤す。私はハンカチで汗をぬぐいつつ、顔を覆った。冷たいものを飲んで日陰にも入ったのに、全く体の熱が抜けない。なんなら、時間が経つたびに顔の周りが痒くなっていく。私はハンカチに強く呼気を押しつけ、東京のくせに妙に新鮮な空気を吸い込む。たぶん、普段と違うこの空間のせいだ。そう思って私はなんとなく岳くんのほうをレンズ越しに覗いた。
岳くんは色んなところにカメラを向けていた。彼は依然として汗一つかいていなくて、触らなくても分かるほど、肌はベビーパウダーを塗ったみたいにさらさらだ。羨ましいことこの上ないけど、なにより、今日も今日とておしゃれだ。中央にワンポイントでバラ柄が入った黒のビックTシャツの裾からは白のカットソーシャツが出ていた。Kappaの黒のラインパンツ、リブ白ソックスに黒いサンダルを履いていた。今日のコーデは韓国風で、もともと岳くんの髪型は韓国風マッシュなのだから、似合わないはずがない。試しに絞り優先モードにして、シャッターを切ってみる。確認すると、片足立ちで一眼レフカメラ構えているからか、まるでwearに載っている写真みたいにうまく撮れたと思う。
「かしゃ」
シャッター音がやけに大きく聞こえた気がした。でもたぶん気のせいなんかじゃなくて、前を見ると岳くんは私に向けて一眼レフカメラを構えていた。ファインダーから目を離してこっちを見て、にいっと唇の片端を上げた顔には、白い肌の上に黒いえくぼが浮かんでいる。すると口パクで「し・か・え・し・です」と言って、私のほうに駆け寄ってきた。いつもと違ってやんちゃな岳くんに笑っている私を横目に、岳くんは今さっき撮った写真を見せてきた。
ゆらりゆらりと踊る木々に、眩しく反射して小さくも存在感のある川、そこにそびえ立つ木目調の屋根つきベンチ。その中心で、一眼レフカメラを覗く、長い黒髪の女性。緑よりなカーキ色のビックシャツを襟抜き風に羽織り、ベージュのワンピース、スポーツサンダル。そして、岳くんに借りたベージュ色のキャップ。休憩中の彼女を遠くから見守っているような、そんな優しさが画面越しに伝わってくる。
「良い写真だね」
無意識にそんな言葉が零れていた。すると岳くんは立ち上がり、また日向のほうに行くのかと思った。けど岳くんは立ち止まったまま、口を開いた。
「それは、凛さんだからですよ」
変声期のような声だけど、普段よりハキハキとした力強い声。岳くんはそれだけを言って、小走りでベンチから離れていった。あんなのお世辞だと、重々に理解している。なのに、なぜだろう、顔の奥底から熱が上がってくる。嬉しいと、素直に思ってしまった私がいた。かわいいとか、きれいとか、今までそんなふうに褒められたことなんて、数え入れないくらいある。でもそれは私が特別なわけではなくて、少しブサイクぐらいの顔なら、たいがいの女は言われている。なかには本心で言われている人もいるけれど、そんなの琴音のような美人だけで、稀に見る例外だ。私のような特別かわいくない女を容姿で褒めるのはどれもこれも、とりあえず媚びを売って、多くの女にただただモテたいだけ。金箔の金を抜かれたみたいに、ひどく薄っぺらい。だから私は今さら褒められたところで、微笑を浮かべてあげて、決して気持ちがなびくことなんてない。
だけど、岳くんの言葉には、簡単に心を揺さぶられていて、頭を悩ませられていた。結果、一つ辿り着いた答えは、岳くんだから、という曖昧だけど、なぜか納得できるものだった。その結論に決定的なものはないけど、純粋な性格、を岳くんが演じているとは、とても思えないから。だから別に、岳くんが言ったから嬉しかったわけではなく、単純に本心で褒められたからだ。絶対、そうに違いない。
それなりに満足な写真が撮れた私はベンチに座ったまま日陰で涼んで、岳くんが終わったところで、岳くんの家に戻ることになった。紫外線の下に晒されると、とたんに暑さが増して、私はおもわずため息を吐いてしまった。
「あっつー」
「そうですね」
岳くんはパタパタと手で扇ぎながら同情していたけど表情は涼しげで、私は少しだけ嫌味を込めて言った。
「でも、岳くんぜんぜん汗かいてないよね」
「ボク、平温高いから、それなりに暑さには強いんです。そのかわり、寒いのはすごく苦手ですけど」
「へえ、だからあのとき」
少し暖かかったんだ、と言いかけた口をとっさに閉ざした。私が言おうとしたのは、川に足が落ちそうになったところを、岳くんに助けてもらったときのこと。こんなこと言ってしまえば、また気まずい雰囲気になってしまう。
「あのときって?」
「ううん、なんでもないよ」
手と首を同時に左右へ振って、それとなく話題を岳くんの通っている東芸のことに話を逸らした。
「そういえば、東芸ってやっぱ、普通の授業と違うの?」
「はい、素描っていうデッサンの授業や、美術概論っていう美術の歴史を深く学ぶ授業があったりします」
「へえ、じゃあ普通の授業は少なめなの?」
「まあ、そうですね。だから大学に行く人は、だいたいAO入試か推薦ですね。才能がある人は美大に行きますけど」
「でも、美大って倍率高いんじゃない?」
「はい。だから、美大は無理だけど、絵は描きたいっていう人は専門学校に行ったりします」
「岳くんはどうするの? やっぱり美大?」
「いや、ボクは行かないです」
「なんで? 岳くんでも入れないの?」
「入れるかもしれないですけど、ボクはフリーのイラストレーターとしてやってこうと思ってます」
「……へー、がんばってね」
私が笑みを作って言うと、岳くんは屈託のない笑みで「はい」と二つ返事した。家について、私は岳くんに断ってお手洗いに言った。ドアを開けると、やはりトイレも広くて、なんとなくいずらい気もして、トイレだけはこじんまりとしていた方が良いなと、どうでも良いことを思った。
手を洗いながら、岳くんがフリーでやっていくと言っていた話を考えた。岳くんはああ言っていたけど、私は反対したい気持ちでいっぱいだった。どう考えたって、美大か大学には進学したほうが良いに決まっている。それはもし、夢が叶わないと悟ってしまったとき、とうぜん就職活動をしなければならなくなる。そのとき、高卒と大卒だったら、いったいどちらのほうが就職率は高いだろうか。加えて高卒のほうが若干給料は低いことが多いから、損することしかない。とにかく、大卒のほうが断然得。こんなの周知のことで、岳くんも知らないはずがない。大学を出てからでも遅くはないはずで、企業で働きながらイラストも描くという選択肢もある。なのに、なぜ、フリーのイラストレーターになんてなろうとするのだろう。私には全く理解できなかった。
私はお手洗いを出て、地下室に降りた。岳くんはすでに絵を描く準備を始めていて、私は近寄って「お待たせ」と言ってから聞いてみた。
「フリーでやってこうとしてるみたいだけど、べつに大学に行ってからでも遅くないんじゃない?」
岳くんはぽりぽりと首を掻いた。
「まあ、そうですけど。でも、それじゃダメなんです」
「どうして?」
首を傾げていると、岳くんは首に手を当て、思いつめたような表情で俯いた。意を決したように岳くんは深く息を吐き、口を切った。けど、下を向いたままだった。
「意志の弱いボクには、逃げ道を作っちゃいけないんです。就職でも良いかなって、きっと思っちゃうから。でもボクには、絵を描くことしかないんで。ボクから絵を取ったら、もう、なにも残らないんですよ」
今までなかったものを、一つ一つ言葉として紡いでいくみたいにつたなかった。でもそれはまだ、心のどこかに迷いがあるからではないだろうか。そう思って、私は岳くんの言葉ではなく、存在を肯定した。
「そんなことないんじゃない?」
だけど岳くんはすぐさまかぶりを振った。
「先輩が見つけてくれた、『アガ』は、ボクの存在意義なんです」
なにかに呪われているように、ハイライトのない瞳は別の生き物のように、にっこりと笑っていた。その様子は、つい目を強張らせてしまうほど恐ろしかった。けど、もし呪いが解かれたとき、岳くんはどうなってしまうのだろうと、そっちのほうが私には恐ろしく思えた。私の中でも、彼の印象は『アガ』しかなかった。絵を諦めて、空っぽになってなにもかもなくなったら、きっと生きていけないのではないか。でもそうだとしたら、私はどうして生きていけているのだろう。とくになりたい仕事も夢もないのに、どうして。そう考えていたとき、岳くんはぽつりと呟いた。
「怖いんです。安藤岳として、普通に生きていくのが」
たしかに、そう聞こえた。だけど私には全く理解できなくて、おもわず首を傾げてしまい、そして、おもわず眉を顰めてしまった。
週五日働いて二日休んで、毎日しっかり三食あって、自分の趣味にも、ささやかだけど時間を割(さ)ける。普通に生きるのは、とても幸せで特別なことだ。世の中には分岐点のどこかで大きく躓いて、どんどん後れは積み重なっていき、周囲に小馬鹿にされて劣等感を抱きながら、ひそひそと生きていく。または、現実逃避をして引きこもってしまう。そんな普通じゃない、悪い方向に進んでしまう生き方もある。なのに、普通に生きていくのが怖いと言う。そんな贅沢な悩み、まるで私のことをつまらない人間とでも言っているみたいで、とても気に入らない。
だからといって、私の意見を押し付けようとも思わない。他人の確固たる意見を捻じ曲げることほど、時間を浪費することはない。それが友人であっても、無駄なことをするなんて、なにもずるがしこくないんだ。
なのに、どうして私は口出しなんてしてしまったんだろう。