きみとずっと、この空を眺めていたい ~さくら坂の縁結び~

「だって、私、こんなんでも一応女だもん。幼なじみとはいえ、女の子に放課後に勉強を教えていると彼女さんが知ったら、きっと嫌な気持ちになると思う」
「大丈夫」
「大丈夫じゃないよ。それが原因で喧嘩になったら困るでしょ?」

 彼氏なんていたことがないから想像でしかないけれど、きっと彼氏が自分以外の女の子に定期的に勉強を教えていたら嫌だと思う。たとえそれが、恋愛感情のない幼なじみだったとしてもだ。

 諭すようにそう言うと、侑希は薄茶色の目を反らして、首の後ろに片手を当てた。

「……いない」
「え?」
「いない。彼女なんか、いない」
「ええ!?」
  
 昨日から、驚くことばかり。

「わ、別れたの? いつ!?」
「…………」
「昨日の昼間はデートに行くって言っていたよね!?」

 矢継ぎ早に追及すると、侑希はフイっと顔を背けた。

「俺、そんなこと言ってないし。健太が勝手に言っているだけだろ」

 健太が言っているだけ? そうだっけ? と思い返せば、そうだった気もする。

「ちょっと……、色々事情があるっていうか……」
「高校に入学してから別れたの?」
「……違うけど」

 侑希は歯切れ悪く、ぼそぼそと要領を得ない説明をする。ただ、随分前から彼女がいないということは確かなようだ。

なんと、ずっと前に彼女と別れていたなんて! 
そんな話は初耳だった。だから、今日は健太から彼女の話題を振られて嫌そうな顔をしてはぐらかそうとしていたのか。でも、なんでさくら坂高校に入学したての頃に侑希に彼女がいるって噂になったのに、否定しなかったんだろう。
侑希にそのことを尋ねると、やはり歯切れ悪くはぐらかされた。
だから、これは聞かれたくないことなのかなと思って、私もこれ以上聞くのはやめた。

「じゃあ、お願いしようかな……」

 その瞬間、侑希はホッとしたように、一転して表情を明るくする。

「ん。先生に任せなさい」

軽口を叩くと、にかっと笑い両手を組んだまま上に挙げて、ぐっと伸びをする。
それをぼんやりと見ていた私は今度は別のことに気が付いてしまった。
昨日、縁結びのさくら坂神社に侑希は一人来ていた。

 ということは……。

「侑くん、もしかして、もう好きな人がいるの?」
「え? なんで?」

 色白な侑希の顔が狼狽えたようにほんのりと赤くなる。

 その表情を見てピンときた。きっと、既に好きな人がいるんだ。脳裏に昨日の侑希の言葉が蘇る。

 ──どうか、あの子と両想いになれますように。

 侑希は付き合いの長い私から見ても、とても素敵な男の子だと思う。
 それに、侑希の縁結びが成就した暁には、私の願いも成就する。

 ビバ! 幸せな未来。

 これはなんとしても成就させなければならない。

「昨日ね、侑くんが縁結びの神社から出てきたのを見たの。──侑くん、頑張って! 侑くんより格好いい男子なんてなかなかいないよ!」
「え?」

 目に見えて、目の前の侑希が狼狽える。私はそんな侑希を勇気づけるように、さらに続けた。

「だから、勇気を出して頑張れ! 私、応援するし、協力もするから!」

 これが侑希以外だったら、こんな無責任なことは言えない。けれど、侑希に限っては大丈夫。だって、格好いいし、頭いいし、親切だし。大抵の女の子はいちころだ。
 よし、君はかっこいい。だからさっさと告白してきてくれたまえ。そうしたら私も大助かりなのだ。

 侑希は目を見開き、ぽかんとした表情でこちらを見下ろした。私は両手にこぶしを握りしめて、頑張ろうね、のポーズをして見せる。

「──えっと、……わかった。じゃあ、協力して」
「うん」
 
 協力ってなにをすればいいんだろう? 同じ学校の子かな。人気(ひとけ)のない場所に呼び出す? 連絡先を聞き出す? 何をお願いされるのかとドキドキしていると、こちらを見下ろして、侑希はゆっくりと口を開く。

「付き合ったときに上手くいくように、時々相談に乗って」
「よし、任せて!」

 条件反射のようにバシンと手で胸を叩いて答えてから、はたと我に返った。
 侑希は二年も付き合った彼女がいたけれど、私は彼氏はおろか、好きな人すらできたことがない。相談してくれてもアドバイスできないかもしれない。

「相談って、私で平気かな? 私、そういうの、詳しくない。侑くんの方が詳しいよ」
「いいよ」

 侑希があっけらかんと答える。

「詳しくなくていいよ。雫が相談に乗ってくれたら、それでいい」

 薄茶色の瞳がまっすぐにこちらを見つめている。

 確かに、侑希はとてもモテるから、学校内でも彼女になりたい人はたくさんいる。私以外の子には相談しにくいのかな、と思った。

「わかった。お役に立てるように頑張る」
「うん。よろしく」

 侑希は屈託なく笑うと、ポンっと私の頭に片手を置いた。
 そうして私と侑希の不思議な関係が始まったのだった。



 翌日のお昼休み。
 私は夏帆ちゃんに相談したいことがあるからと言って、屋上に誘った。

 季節は夏まっさかり。
 屋上の扉を開けた途端に太陽の日差しが容赦なく照りつける。じっとしているだけで汗が吹き出し、制服のシャツがまとわりつく。ミーン、ミーンと響き渡るセミの大合唱が暑さを増長させた。
 それでも、一部の日陰になっている辺りは風があって過ごしやすい。

「で、相談ってなーに?」

 お弁当を食べていた夏帆ちゃんが、お箸を咥えたままちょこんと首を傾げる。もう食事を終えた生徒たちが遊んでいるのか、校庭の方向からは楽しそうな声が時々漏れ聞こえてきた。

「それなんだけどね」

 私は何から話すべきか考えあぐねいて、結局、さくらのことには触れずに知りたいことだけを聞くことにした。話しても、信じてもらえないかもしれないし。

「誰かと付き合うときって、どうすればいいのかな?」

 おずおずとそう切り出した瞬間、夏帆ちゃんの目が大きく見開く。

「え? 雫ちゃん、好きな人ができたの? 誰? だれ!?」

 夏帆ちゃんは興奮ぎみに身を乗り出す。これは誤解されていると感じ、私は慌てて両手を胸の前でブンブンと振った。

「違うの! 私じゃないの! 友達の話!」
「友達?」
「うん。友達に好きな人がいるらしくて、応援する、協力するって約束したの」
「ふうん。なーんだ」

 夏帆ちゃんは私のことではないと知るとあからさまにがっかりしたように口を尖らせる。そして、体を元の位置に戻した。

 昨日、あの約束をした後に何をしたかと言うと、侑希に一緒に帰ろうと誘われてとりあえず二人並んで帰った。自宅がお隣り同士なので、最寄り駅はもちろんのこと、自宅の門を開く直前まで方向もずっと一緒。
 その間、侑希は特に好きな人のことを話してくれるわけでもなく、バスケ部の試合がどうだったとか、近所のスーパーの野菜の鮮度が最近悪いって母親が文句を言っているとか、他愛のない話題で盛り上がっただけだった。

「付き合うには、両想いになるしかないんじゃない?」

 箸を持ったままの夏帆ちゃんが、宙を眺めながらそう言った。

 おお! それはまさに侑希が望んでいた願い事だ。
 そうか。『両想い』は付き合う前段階なんだね。

「両想いになるにはどうしたらいいと思う?」
「うーん。お互いのことを知るとか? とりあえず、認識してもらえないと好きにもなってもらえないし」
「なるほど。お互いのことを知るかぁ」

 視線を上げると、青い空には今日のお弁当に入っていた唐揚げみたいな形の白い雲が浮いていた。

 お互いのことを知るって、具体的にはどうすればいいんだろう? 言うのは簡単だけれど、いざそれを実行に移す手助けをするとなると難しい。しばらく考えたけれど、名案は浮かばない。

 結論。恋とはなんとも、複雑難解なもののようです。

「ところでさ。昨日の放課後にね、聡と一緒に流行りのタピオカミルクティーのお店に行ったの」

 一旦話が切れたところで、夏帆ちゃんが我慢しきれないようにそうきりだす。実は、最初からこの話題を話したくてたまらなかったみたい。

「へえ。さくら坂駅前の? どうだった?」
「うん、駅前の。めっちゃ美味しかったよ! タピオカがね、もっちもっちなの。雫ちゃんも今度行ってみてよ」
「うん。行ってみる」
「でね、でね。並んでいるときに、手を繋いじゃった!」

 夏帆ちゃんは顔を両手で包み込むと、きゃーっと小さな悲鳴を上げる。

 駅前のタピオカミルクティーのお店は、とても人気でいつも行列ができている。そこで並んで待っているときのことだろう。

 指の隙間から見える頬がほんのりと赤い。
 なんか、可愛いなぁと思った。
 
「このー! ラブラブだー」

 このこのっと肘でツンツンすると、夏帆ちゃんは照れたように笑う。

 幸せそうでなによりです!
 親友の嬉しそうな顔に、自分まで嬉しくなる。

 彼氏、かぁ。

 自分にもそんな人ができる日がいつかくるのかな、なんて思う。
 侑希に引き続き、夏帆ちゃんまで大人の階段を上っている。
ブルータス、お前もか! 
 一人だけ子供のまま置いてきぼりにされたような気がして、ほんのちょっとだけ寂しく感じたのは、胸の内に留めておくね。

    ◇ ◇ ◇

 さくら坂高校クッキング部の活動日は週に一回、木曜日だ。
 毎回、持ち回りで部員達がレシピを決めて、それに従った材料を持ち寄って料理を楽しんでいる。

 夏休み前に残す活動日もあと二回となったこの日は、私がレシピを決める当番だった。
 いろいろと悩んだ結果選んだのは、夏らしくトマトのコンソメジュレ寄せ。コンソメスープで煮込んだミニトマトをスープごとゼリー状に固め、冷やしていただく。コンソメ味のなかにトマトの酸味がほんのり漂う、さっぱりとした一品だ。

「遅くなっちゃったな……」

 部活を終え、急ぎ足で教室へと向かう。

 柔らかい感触を出したくてゼラチンを少なめにしたら、思ったよりも固まるのに時間を要した。待っている間に夏休み中に取り組むレシピコンテストの相談などをしたのでさほど待ち時間もなかったけれど、いつもより三〇分くらい遅い。夏だからまだ日は昇っているけれど、時計を見ると時刻は既に六時半を回っていた。

 置きっぱなしにしていた教科書を鞄に突っ込むと、教室を後にする。そのとき、「雫!」と呼ぶ声がして、私は後ろを振り返った。

「あれ? 侑くん?」

 肘を折り、手持ち鞄を肩越し後ろに下げて持った侑希がこちらに歩いてくるのが見えた。私は立ち止まり、その様子を見守る。
 男の子ってああいう鞄の持ち方をする人が多いけど、手首が痛くなったりしないのかな、なんて思ったり。

「どうしたの、こんな時間まで」
「部活だよ」
「あ、そうなんだ。一緒だね」

 侑希がバスケ部に入っているのは知っているけれど、木曜日が練習日なのは知らなかった。侑希は私のすぐ前まで歩いてくると、立ち止まった。

「バスケ部って週二回だっけ?」
「うん。火、木。あとは、隔週で土曜。遅いし、一緒に帰る?」
「うん。そうしようかな」

 窓から見える空は、水色に薄墨を混ぜたような色をしていた。きっと、最寄り駅に着くころには真っ暗になっているだろう。
 帰り道、駅までのさくら坂を上っている最中に予想通り太陽はすっかりと顔を隠してしまった。

「勉強なんだけどさ」

 不意に侑希が口を開く。

「毎週金曜日に駅前のすみれ台図書館に行くのはどうかな? 聞くことがあれば、聞いてくれていいし、なければ俺は俺の勉強をすればいいし」
「え、いいの?」

 すみれ台図書館とは、私と侑希の住む地元の駅──すみれ台駅の近くにある図書館だ。駅から五分ほどの場所にあり、無料で夜八時まで使える自習室が併設されている。私も高校受験前は中学の友達と時々利用していた。
 
「いいよ。だって約束しただろ? それに、勉強を人に教えるのって凄く教える方の勉強になるし」
「教える方の?」
「うん。きちんとわかっていないと教えられないだろ? なんとなくわかっているだけのつもりだった部分がクリアになるっていうか」
「ふーん」

 横を歩く侑希をそっと窺い見る。
 週二回と土曜日もしっかりと部活に参加していて、その上トップレベルの成績を取るなんてすごいなぁって思う。きっと、家に帰ってから勉強しているのだろう。
 そんなことを考えていると、侑希が再び口を開いた。

「雫ってさ、クッキング部だっけ?」
「うん、そうだよ」
「今日はなにつくったの?」
「今日はね、ミニトマトのコンソメジュレ寄せ」
「ミニトマトの……?」
「コンソメジュレ寄せ。今日のレシピ、私が用意したんだ」
「ふーん」

 どんな料理なのか想像がつかないようで、侑希の形の良い眉がわずか寄る。 お喋りをしながら帰ると、あっという間に自宅まで到着してしまった。

「じゃあな」
「うん、またね」

 自宅の前で手を振って別れ、門を開けようとしたところで肝心なことを思い出した。

「侑くん!」

 同じく自宅の門を開けようとしていた侑希は私の呼びかけに気付くと上げかけていた手を下ろし、こちらを見た。

「なに?」
「あのね。好きな子と両想いになる方法なんだけど、もっとお互いのことを知るといいと思う!」
「お互いのこと?」

 侑希が怪訝な表情で首を傾げる。
 
「うん。お互いのことを知って、一緒にいる時間が増えれば、好きになってもらえるチャンスも増えるかな、なーんて思ったり……」

 言葉尻に行くにつれてだんだん声が小さくなってしまうのは仕方がないと思うの。だって、こっちは恋愛経験ゼロだ。初心者ですらない、未経験者なのだから。

 二人の間に沈黙が流れる。
 なんか、自分はとてつもなくおかしなアドバイスをしてしまったかもしれないと不安がこみ上げてきた。

「一緒にいる時間が増えれば……」

 侑希が小さく呟く。

「うん、わかった。俺、頑張ってみるよ」

 片手を挙げると、「ありがとな」と言って侑希は笑った。私はほっとして胸を撫で下ろす。

「うん。頑張れ!」

 幼馴染の侑希はとってもいい男だ。格好いいのはもちろん、運動もできるし、努力家だし、根が優しいのだ。

 ──きっと、うまくいくよ。
 
 心の中で、侑希に精一杯のエールを送った。


   ◆ ◆ ◆

 俺──倉沢侑希の初恋は、中学校入学から程なくして始まった。
 明るくて、勉強ができて、元気で、ちょっぴりどんくさいところがあるけれどまっすぐに自分を見てくれる女の子。
 きっかけは、いつもと変わらないふとした日常の一幕だった。

「倉沢君。私と付き合って下さい!」

 放課後に大事な話があるからと呼び出されて体育倉庫に向かうと、そこには知らない女の子がいた。
 突然そう言われて、戸惑う俺に手が差し出される。
 それと共に「ヒュー」と、冷やかすような掛け声。いつから見ていたのかは知らないけれど、目の前の女の子の友達と思しき女子生徒や、自分を呼び出したクラスメイト達がこちらをじっと見守っている。

 ああ、またか。と気分が重くなる。

「ごめん。悪いけど……」

 紡いだ言葉に、目の前の女の子の瞳に見る見るうちに涙が浮かぶ。そして、何も言わずに走り去っていく。
 残された俺は呆然とその後ろ姿を見送った。辺りがざわっとさざめき、隠れていた女子生徒達が飛び出した。何人かはさっきの女の子を追いかけるように走り出し、何人かはこちらに迫ってくる。

「みっちゃんが勇気出して告ったっていうのに、どういうつもり!?」
「そうだよ、倉沢サイテー」
「ちょっと格好いいからって調子に乗んな!」

 さっきの子、「みっちゃん」っていうんだ。

 そんなことをぼんやりと思った。
 少しの勇気を振り絞ったのは確かかもしれないけれど、そうしたら言われた相手は好きでもない子と付き合わないといけないのだろうか。
 じゃあ、付き合っている最中に別の子に同じことを言われたらどうすればいいのだろう? 付き合うってなんだろう? 彼女たちの言うことは、いまいち理解できない。

 こうやって罵倒されるのもいつものこと。
 そして、その後数日にわたって陰口を言われるのも。

 自分の見た目が周りに比べて少しばかりいいようだと気付いたのは小学校の高学年の頃だった。

「修学旅行の写真を見せたら、塾の友達が倉沢君と友達になりたいって言ってるの」

 クラスメイトの女の子が言ってきたのはそんな台詞。あとは、机の中に手紙が入っていたり、バレンタインデーに机の中や下駄箱にチョコレートを押し込まれていたこともある。
 けれど、小学校の頃はそれくらいで済んでいたからまだよかった。