「好きで本土に引っ越したわけじゃない。あっちに移ったって、楽しいことなんか一つもなかった。苦しいばっかりで、今も……!」
「戻ってこいっち。結羽ちゃんの居場所、ここにはあったやろ?」

 あたしは首を左右に振った。うなずくわけにはいかなかった。あたしは最初から、ここに居場所を求めないように、注意深く心を抑え込んでいた。引っ越さなきゃいけないし、学校そのものが消えてしまうし、だったら、大事になんかできるもんかって。

 でも、大事だった。だから、バラバラになりそうだった。一生懸命、形を保とうとした。平気なふりをして、見えない壁を作った。居場所はここなんだ、壁の内側の一人ぶんの空間なんだって、必死で自分を説き伏せた。

 明日実が、ポツンとつぶやいた。
「ほんと、思い通りにいかんことばっかりやね。あのころのまま、みんな、いつまでも一緒におられればよかったとに」

 良一がうつむいた。
「おれも、高校まで慈愛院で過ごすつもりでいた。小近島を出るかどうかは、もっと大人に近付いてから決めようと思ってた。今の家族も仕事も学校も好きだけど、大好きだけど、東京に移るって決まったとき、最初はすごく寂しかったよ」

 仕方ないっていう言葉を、島での時間を共有したあたしたちは、教えられる必要もなく、ひりひりするほど理解している。
 状況は変えられなかった。仕方なかった。大好きな学校がなくなってしまうことも、あたしの両親が先生であることも、良一に新しい家族ができたことも、明日実と和弘が島で生きていくことも、どうやったって変えられない、仕方のない現実だった。

 教室の窓を開けてみようとした。古めかしい窓のスチールのフレームはガチガチにさびて、動かなかった。さび止めのライトグリーンの塗料も、触れるだけでボロボロと崩れて落ちた。
 汚れきったガラス窓越しに、校庭を見下ろした。人が集まり始めている。

 良一が腕時計に目を落とした。
「そろそろ外に出ようか」

 明日実がポケットからスマホを出した。
「最後にここで写真ば撮ろうよ」

 抜け殻になった小学校の教室で、高校生になったあたしたちは、卒業式の日に撮ったのと同じ並び方でフレームに収まった。あたしと和弘が仏頂面で、良一と明日実が笑顔なのも、卒業式の写真と同じだった。

 廊下に出て、屋上へ続く階段を見上げたら、大きなクモの巣があった。あのへんにゲジゲジが出たことがあったな、と思い出した。明日実が大騒ぎしたっけ。島育ちでたくましいように見えて、明日実は、脚の多い虫が苦手なんだ。

 ゲジゲジを追い払ったのは、良一だった。臆病そうな印象のくせに、虫にも蛇にも蛙にも動じなかった。きょとんとして、そして、誰にも聞こえないような声で言った。人間に比べたら、どんな生き物も怖くないよ、と。
 あのころは、良一の言葉の意味がよくわからなかった。でも、ぐっさりと深く、胸の奥に刺さった。

 その傷は今、ハッキリと、あたし自身の感情や経験と共鳴している。人間というものと出会えば出会うほどに。ギターを掻きむしって唄を歌えば歌うほどに。自分のボロボロの心を見つめれば見つめるほどに。共鳴する振動が、痛い。