「それって……」
「補聴器だよ」
と広瀬くんは言った。
「おれ、難聴なんだ」
「え……?」
ドクン、と心臓の音が鳴った。
難聴……?
「10歳のときに病気になって、それからずっと。いまではこれがないと、ほとんど音が聴こえない」
わたしは目を見開いた。なにも特別なことなんてないように、いつもと変わらない調子で話すきみは、嘘をついているようにはとても見えなかった。
「うそ……」
だって、広瀬くんはいつも普通に話していて、そんなそぶり少しも見せなかった。
それがないと、音が聴こえないなんて。
でもーー聴こえていたのは、帽子の下にいつもそれがあったから。
さっきは補聴器がとれていたから、近くで呼んでも聴こえなかった……?
「ほんと、なの……?」
「こんな嘘つかないって」
「…………」
広瀬くんはそんな嘘をつかない。きっとどんなことだって嘘をつかない。それはわかる。でも、信じられなかった。
「……全然、気づかなかった」
「気づかれないようにしてたんだ」
と広瀬くんがわかっていたように、穏やかな声で言う。
「10歳のときに発症に発症して、それまで当たり前にできてたことができなくなった。普通の人とは違うって、嫌でも思わされた。でも、そう思うのも、思われるのも嫌だった。見た目だけでも隠してれば、そのときだけは健聴者とおなじになれるから」
だから、ときみは手にしていたニット帽をかぶり直して、言った。
「これは、おれのお守りなんだ」
「…………」
衝撃だった。
わたしはーーわたしだけじゃなく大部分の健康な人は、なにもなくても、意識しなくたって、普通に音が聴こえる。
だけど、きみは、違うと言う。補聴器がなければ、ほとんど音が聴こえないと。
その違いは、いったい、どれくらい大きなものだろう。
難聴という言葉は、たまにニュースなんかで耳にすることがある。歌手が突発性難聴になったとか、お年寄りの聴覚問題とか。
正直言って、あまり関心はなかった。周りにそういう人はいなかったし、じぶんには関係のない、遠いことだと思っていた。
身近にそういう人がいるなんて、考えもしなかった。
信じられなかった。その小さな2つの物体が、きみとこの世界の音を繋いでいるなんて。
それがないと、聴こえなくなってしまうなんて。
それって、どんなに不安なことだろう。
わたしなら、怖くて外に出られなくなってしまうかもしれない。人と接することも、ましてや人前に立つことなんて、もっと無理だ。
なのにきみは、怖がるどころかじぶんから進んで人と関わって、人前に立って、目立つようなことをして。絡まれてこんなにボロボロなのに、いつもみたいに笑っている。
そんなきみに、わたしはなにを言えばいいのだろう。