「じゃあな、愛音」
「うん。バイバイ」
わたしのほうが先に電車を降りるから、一緒に帰るときはいつも、見送られるかたちになる。
広瀬くんと話していると、なんだか前向きなじぶんになれたように思う。好きなこと、楽しいこと。きみはそういう明るいことばかりを話すから、そのときだけは嫌なことを忘れていられる。
わたしには話せることなんてほとんどないけれど、どんな話でもきみはちゃんと聴いてくれるから、もっと話したい、そう思うんだ。
ーーだけど、その時間はすぐに終わってしまう。
電車を降りて、まばらに人が行き来するホームから改札へと向かう間に、楽しかった気持ちはだんだん冷めていって、自然と足が重たくなる。
前向きなんて、嘘だ。ただの気のせい。
『もう大丈夫だから。心配してくれなくて、大丈夫だから』
あの言葉は、強がり以外のなんでもなかった。
そんなわたしの強がりは、あっさり見抜かれてしまったけれど。
前向きになれた気がするのはただの錯覚で、結局はなにも変わっていない。
いつもの帰り道、少しだけ先延ばしにした憂鬱な時間が、いつも通り戻ってくる。
はあ、とため息を吐きながら、わたしは重たい足を持ち上げて帰り道を歩く。
家までの帰り道、トコトコと歩く小柄なノラ猫を見かけた。最近、家の近くででときどき見かけるようになったノラ猫だ。茶色の毛並みが夕日に照らされてきらきらとオレンジ色に光って、とてもきれい。
家がどこかなんて知らないけれど、あの猫にだって、どこかにじぶんで決めた住処はあるんだろう。
猫にだってあるのに。わたしにもあるのに。生まれたときからずっと暮らしてきた家なのにーー
なのに、毎日、思う。
あの家に、帰りたくないって。
あの冷たいい家に帰るくらいなら、どこかに行ってしまいたいって。
そんなことできるわけないのに、思ってしまうんだ。