聴こえなかった……?
それは絶対嘘だと思った。たしかにわたしの声は小さかったけれど、隣にいたのに聴こえないはずがない。
いつも人の気持ちなんておかまいなしなくせに、変なところで気を遣われると、かえって戸惑ってしまう。
「それに、もう“知らない人”じゃないだろ?」
「……うん」
そうだーー
もう知らない人じゃない。初めて会ったときより、昨日より、わたしはきみのことを、少しだけ知っている。
そのとき、ガチャリとドアが開いて、30代くらいの駅員さんが顔を覗かせた。
「おーい高校生。ちょっと目を離した隙にいちゃついてんじゃねぇぞー」
「えっ!?」
「はは、こんなとこで変なことしないって」
動揺するわたしの横で、広瀬くんは慣れた口調で笑い返す。
「おおそうか、いたいけな女子が無事でよかったよ」
「おっさん、変態っぽいよ」
「誰がおっさんだ。おれ休憩もう終わりだからな、あとは適当によろしく」
「ほんと適当だな」
まるで友達同士のようなやりとりに、わたしはポカンとする。
お礼を言って事務室を出て、
「あの人、知り合い……?」
と訊いてみた。
「知り合いっつうか、毎日駅で顔合わせるうちに仲良くなってたっていうか」
「へえ……」
駅員さんの顔なんて、ちゃんと見たことがなかったから、どんな人がいるのかも知らなかった。
広瀬くんにはきっと、おなじ景色でも、わたしとはまったく違う世界が見えているんだろうな。
まあ、たとえ駅員さんの顔を知っていたとしても、わたしはあんな風に親しげに話したりはできないだろうけれど。