『愛音』


名前を呼ぶ声が聴こえた気がした。

遠いようで近いような、距離感のよくわからないどこかで。

どこから聴こえるのかも、誰の声かもわからないのに、わたしはその響きだけで、なんだか安心してしまう。

昔は名前を呼ばれることが好きだった。いつだったか、お父さんとお母さんが、名前の由来を教えてくれたことがある。

アイネは、ドイツ語の『eine』からきているらしい。2人とも日本生まれの日本育ちでドイツなんて行ったこともないくせになぜかドイツ語で、

『たくさんの人に愛される女の子になるように』

そんな意味を込めたんだよって、わたしがまだ小さかった頃、嬉しそうに教えてくれた。

大きくなったわたしは、人づきあいが苦手で、たくさんの人に愛される女の子とはほど遠かったけれど、2人がわたしの名前を呼ぶたび、わたしは愛されているんだって、そう思えた。

だけどいつからか、家族が冷え切っていくのと同時に、名前を呼ばれることがだんだん少なくなって、わたしは愛されてなんかいないんじゃ、いないほうがいいんじゃないか、そんな風に思うようになった。

だけど、1人だけ、わたしの名前を呼んでくれる人がいた。

会って間もないのに、妙に馴れ馴れしくて、何度も無視しようとしたけど、できなかった。


『愛音』

最初から、きみは、当たり前のように、わたしのことをそう呼んだ。