「…………」

お母さんと向かいあって、2人でごはんを食べる。いつも通り、会話はない。

今日はシチューだった。ゴロゴロの野菜が入っている、昔から変わらないお母さんのシチュー。

おいしいはずなのに、大好きなはずなのに、何度口に運んでみても、あまり味がしない。昔食べたそれのほうが、ずっとおいしかった気がする。

玄関のドアがガチャガチャと開く音が聞こえた。

お父さんが帰ってきたのだとわかる。だけど、お父さんはただいまも言わずに、そのままじぶんの部屋に行ってしまう。

きっと今日も、外で食べてきたんだろう。

いつからか、お父さんとお母さんは話をしなくなった。別々にごはんを食べるようになって、やがて顔を合わせることもなくなった。

お父さんは昔から仕事人間だったし、家にいることは少なかったけれど、それでもふたりは仲がよかった。小さい頃は、よくお母さんに連れられて、電車に乗って、街中にある病院に行った記憶がある。お母さんが用事を済ませているあいだ、わたしは病院の広い敷地内をぶらぶら歩くのが、けっこう好きだった。

将来、わたしもお父さんみたいに、ここで働くことになるんだ。

そう漠然とわかってはいたけれど、幼い頃のわたしにはあまり現実味がなかった。

病院はあくまでお父さんの仕事場で、病気とは無縁なわたしには、ただの遊び場でしかなかっま。

ケンカしているところなんて見たこともないくらい仲良しな夫婦だったのに、どうしてこうなってしまったのだろう。

いまでもケンカはしないけれど、目も合わさない、話もしない。食事も、寝るのも、なにとかも別。おなじ家にいるのに、まるで他人同士みたいなこの冷たい空気に比べたら、ケンカしてくれたほうがまだマシだとさえ思った。

ーーねえ、なんでこうなっちゃったの。

楽しい時間だって、この家にはたしかにあったはずなのに。

楽しい会話なんてどこを探しても見つからない苦しい気持ちのなかで、わたしはよく昔のことを思い出す。

お母さんは昔から、秋になると、よくシチューを作っていた。そのときに家にあるものを適当にゴロゴロ入れて煮込んだ濃厚なシチューが、わたしは大好きだった。嫌いな人参もブロッコリーも、そのなかに入っていれば、いくつでも食べられた。

『おいしいね』

食べながら、わたしはいつも笑っていた。

『愛音はほんとにシチューが好きだなぁ』

わたしを見て、お父さんとお母さんも笑っていた。

わたしはシチューも好きだったけれど、ふたりの笑顔のほうがもっと好きだった。

いまはもうない、だけど確かにこの家にあったはずの、幸せな思い出。

苦しいとき、夢を見るように思い出すのは、楽しかった頃のこと。あの頃は、無邪気に好き嫌いも言えた。なにも考えずに笑うことができた。

いまのわたしには、どう頑張ってもできないことばかり。

もう随分前のことなのに、まるで昨日のことかのように鮮明に蘇ってくるその記憶は、心を和ませるどころか、余計に苦しくなるだけだった。