◯
「ただいま」
わたしは玄関のドアを開けて言った。
返事はなかった。リビングを覗くと、お母さんが料理をしているところだった。
「おかえりなさい」
お母さんが振り返って言って、
「テストの結果はどうだったの?」
真っ先に、そう尋ねてきた。
「いつも通りだよ」
わたしは鞄から答案用紙を取り出して見せた。
お母さんは受け取って、満足そうに微笑む。
「次回も頑張ってね。あなたは将来、医者になるんだから」
「うん。頑張るよ」
わたしは笑顔をつくって答えた。
ぎこちない笑みになってしまったけれど、どうせお母さんはわたしの顔なんて見ていないから、どうだってよかった。
じぶんの部屋で、部屋着に着替えながら、わたしはため息を吐く。
『次回も頑張ってね』
そう言ったお母さんは、わたしの目なんて見ていなかった。
お母さんが見ているのは、家の跡継ぎとしての“わたし”だ。
うちはひいおじいさんの代から病院をやっていて、最初は町の小さな病院だったらしいけれど、三代にわたって少しずつ大きくなってきた。お父さんの次は、必然的に一人娘のわたしが後を継ぐことになる。
ほんとうは子どもは男の子がほしかったことも知っているけれど、こればっかりはどうしようもない。
『あなたは大事な一人娘だから』
『将来はうちの病院を継ぐんだから』
嫌になるくらい、何度も繰り返し言われてきた。
わたしの将来は、生まれたときから1つしかなかった。選択肢なんて用意されていなかった。
わたしは医者になりたいなんて、言ったことも思ったこともないのに。
ほかにやりたいことがあるわけじゃない。だけど、選ぶ自由くらいほしかった。何にでもなれるほかの同級生が羨ましかった。
わかっているつもりだった。わたしに選ぶ自由なんてないし、わたしの意思も関係ない。
だから、考えることなんて、無駄なだけなのに。