お好み焼き屋というのは、意外と夜も混む。ソースの香りに誘われて帰宅途中にふらりと立ち寄る人もいるし、軽く飲んでから二軒目に行く途中や締めにと寄る人もいる。
 その夜も講義やバイトのあとの学生たちや、会社帰りの勤め人たちで「トントン」はにぎわっていた。

「牧村さん、できたから提供お願い。豚玉が三番テーブル、イカ玉とミックスが六番ね」
「はい」

 出来上がったものから順に、前川がカウンターに並べていく。星奈は伝票を確認しながら、それらを運ぼうと左手に一枚、右手に二枚、皿を乗せようとしていた。すると、横からひょいと手が伸びてきた。

「イカ玉とミックス、俺がいくよ。六番ね」
「あ、うん」
「人数そろってるときは無理して一気に運ぼうとしなくていいよ」
「ありがと……」

 手を伸ばしてきたのは篤志で、イカ玉とミックスの皿を両手に持つと、颯爽と運んでいってしまった。
 三枚くらい余裕で持てたのにと思うもののありがたかったのも確かで、複雑な気持ちになる。何より、きちんとした返しができたいたかどうか自信がない。

「横山さん、優しいね。周りをちゃんと見れてるし」

 三番テーブルに豚玉を提供してから戻ると、カウンターの向こうから前川が耳打ちしてきた。幸香は「大人の魅力が素敵で」なんてことをさかんに口にするけれど、ニヤけた今の顔をおじさん化するにはまだ早いんじゃないかと言いたくなる。確か、まだ三十歳にはなっていないはずだ。

「牧村さんはまだ若いんだからさ、前向きになってもいいと思うんだ。その相手に、横山くんは悪くないと思う」
「もう、店長……」

 花見のあの宣言以来、篤志が星奈のことを好きなのは公然の事実となっている。当の本人ははっきりと言葉にすることはないけれど、今みたいに星奈のサポートをすることで好感度を上げようとしているらしい。
 周囲は別に冷やかしたり無理にくっつけようとしたりはしないものの、“そういうもの”として扱うようになった節がある。さっきの前川のように。
 篤志のことは決して嫌いではないものの、これまでそういう対象として見たことはなかったから星奈は戸惑っている。いいバイト仲間だとは思っている。背も高いし、筋肉もついているし、顔も悪くないから、おそらくモテないこともないだろう。でも、星奈にとってはそこまでの存在だ。
 何より、まだ星奈にとってはそんなことを考える心の余裕はない。前向きになろうとは思っているし、実際に立ち直りつつあると思う。
 けれども、次の恋をしたり恋人を作ったりという気分には、まだなれそうになかった。
 瑛一が亡くなってから一ヶ月半。まだ一ヶ月半なのか、もう一ヶ月半なのかは感じ方によるのだろうけれど、星奈にとっては“まだ”だ。
 それを後ろ向きと捉えられるなら、もうそれでいい。星奈はそう思っている。
「あれ? サチ、何でいるの?」

 店を閉め、掃除をしてから女子の更衣スペースに行くと、今日はシフトに入っていない幸香がそこにいた。一緒にいるのは、星奈より先に仕事を終えていた夏目だった。

「夏目ちゃんに相談されてたんだー」
「そうなんです。ちょっと、金子のことで……」

 そう言ってうつむく夏目の顔は恋する乙女そのもので、星奈はなるほどと思う。
 好きな人とかなりの頻度で一緒にいるのに、その人に振り向いてもらえないのはなかなか辛いだろう。この前の花見に金子が来なかったことは、かなり焦れる事態だったに違いない。
 そんなふうに誰かに恋する気持ちやジレジレを懐かしく思って、星奈は優しい気持ちになった。

「よかったら、私にも聞かせて?」
「はい。できたら、話を聞いた上で作戦に協力して欲しいんですけど……」

 水を向けてやると、そう言って夏目はポツポツと自分と金子の関係性について語り始めた。

「あいつとは、はっきり言って冒険仲間なんですよ。キャンプ行くときとか、そのための道具を買いに行くときとか、そんなときに声かけるのがちょうどいい相手っていうか」
「じゃあ、キャンプつながりの友達ってこと?」
「何年か前からは。中学で出会ったときは、秘密基地を作る仲間だったんです。中学入ったら誰も秘密基地を作って遊んでくれなくなったのを寂しがってたら、他のクラスにたったひとりで秘密基地遊びを続けてる男子がいるよって教えてもらって。それで知り合ったのが、金子だったんです」
 
 知り合った二人は、すぐに意気投合したのだという。中学に入ったらみんな大人ぶって秘密基地で遊んでくれなくなったという、共通の怒りと悩みを持っていたから。
 意気投合した二人はすぐに道具と材料を持ち寄って、新しい秘密基地を作った。別の小学校出身の二人はそれぞれ持つ技術が違い、それを共有しつつ新しい秘密基地を作ったらしい。
 二人の目標は「いつか一緒に冒険に行こう」で、秘密基地遊びは高校に入る頃にはキャンプに変わっていったということだ。

「高校を卒業してからも一緒にキャンプの話題で盛り上がるなんて、十分仲がいいと思うんだけど」
「仲がいいのは自覚してます。間違いありません。でも、それはあくまで友達としてで、友達期間が長すぎて、今さらどうやって振り向かせたらいいかわからないんですよ……」
「あー、そういうのって、あるよね」

 親しければ親しいほどに、今の関係から一歩前に進めることが難しいというのは、星奈にもわかる気がした。特に中学からの付き合いともなれば、下手に進めようとして関係にヒビが入るのは惜しいだろう。

「それでね、あたしはいつもとちょっと違うシチュエーションで顔合わせて見ればどうかなってアドバイスしたわけ。たとえば、合コンとか」
「合コン!?」

 幸香のアドバイスは突飛な気がしたけれど、夏目を見るとそうでもない様子だ。むしろ両手の拳を握りしめて、やる気満々な雰囲気だ。

「いや、だって言ってみれば二人の仲は膠着(こうちゃく)状態でしょ? なら、何らかの刺激を与えてそれを打破しなきゃ。ってわけで、合コンよ。他の女子と夏目ちゃんを比べて魅力に気づくもよし、夏目ちゃんが他の男とおしゃべりするのを見てヤキモチを焼くもよし。何の変化もないってことはないでしょ」
「えー……普通に告白するのじゃ、だめなの?」
 
 関係を進展させるために合コンというのはあまりにも危うい手段の気がして、星奈はつい否定的なことを言ってしまう。
 でも、夏目の決心は硬いらしく、首を横に振られた。

「目が覚めてない人に言っても、伝わらないんです。てか、これまでも何度かそれとなく伝えてるんですよ。バレンタインもあげてますし。そのたび『わかってるわかってる』って言われたり、きっちりホワイトデーにお返しくれるだけなんです」
「でも、合コンで夏目ちゃんの魅力に気づくんじゃなくて、他の子に目がいったら……?」
「それならそれで。あいつがどんな子がタイプなのか知ることができるなら儲けものだし、それでもしかしたらあきらめもつくかもしれないですから」

 生半可な気持ちではないのだとわかって、星奈はもう何も言えなかった。
 このまま友達でいるのと、失恋を早めるかもしれなくても関係を進めようとするのと、どっちがいいかなんて他人が口を出すことではない。
 それに、恐れているだけでは何もいいことなんてないというのもわかっている。

「それで協力って、もしかして私もその合コンに参加するってこと? サチも?」
「あたしは参加しない。だってあたしと夏目ちゃんと星奈がそろったら、金子くんにしてみれば合コンじゃなくてバイトの飲み会になっちゃうでしょ? だから、あと二人くらい大学の女子の友達呼べばいいかなって」
「男子側のセッティングは?」
「篤志に頼もうかと思って。男子側も二人連れてきてくれればいいかなって」
「それって……」

 夏目に協力するのはやぶさかではなかったのに、幸香の意図が透けて見えて星奈は言葉に詰まった。
 これは、夏目と金子の関係だけでなく、あわよくば星奈と篤志の関係も進展すればいいと考えているということだろう。
 これは前向きとは違うぞと星奈は思うのだけれど、熱心に見つめてくる夏目の手前、口に出すことはできなかった。

「いいじゃんいいじゃん。エイジもコンパに興味あるって言ってたしさ」

 ほら、リストの……と耳打ちされ、星奈は思い出した。エイジの“やりたいことリスト”のことだ。
 なぜだかわからないけれど、エイジはコンパに興味を持っている。人間たちがワイワイしているのを近くで見たいのか、そこで行われる心理的な駆け引きを見たいのか。そもそもロボットの彼がどこでその言葉を知ったのか不明だ。
 ともかく、リストにあるのなら叶えてやらねばならない。

「数とかきっちり合わせなくていいんで、エイジさんも呼びましょう! エイジさんは見学者ってポジションで」
「見学者……」
「エイジさんが来るなら、星奈さんも来てくれるんですよね? 巻き込んで申し訳ないんですけど、女性陣に全く知ってる人のいない合コンってのも、ちょっと怖いんで……」

 頭こそ下げていないものの、言えば土下座でもしそうなほどの必死さで夏目は訴えかけてくる。よほど、幸香の案が妙案のように思えているのだろう。
 これは何を言ってもだめだろうし、無下に断るのも気の毒だ。
 それにエイジのことを思えば、悪い話ではなかった。

「合コンっていうより、知り合いが何人か参加する飲み会っていうスタンスでなら、参加してもいいかな。エイジのフォロー、篤志くんだけじゃ心許(こころもと)ないし」
「ありがとうございます! 星奈さん、優しい! 私のことだけじゃなくて、エイジさんのフォローのことまで考えてるなんて」
「夏目ちゃんにはうまくいって欲しいし、エイジのことは、異国でいろいろ戸惑ってるだろうなって思って」

 感激する夏目に、星奈は適当な言葉を返して笑ってごまかした。夏目は星奈とエイジの関係は知らないから、星奈の行動はただの親切に思えたに違いない。
 でも実際のところは、思わぬ形でエイジのやりたいことのひとつを叶えられるチャンスが訪れたから、それに乗っただけだ。

(問題は、エイジや真野さんたちが何て言うかだけど……)

 ***

「別に、いいと思いますけどね。大丈夫でしょう、そのくらい」

 夏目に合コンのことをお願いされた次の日は、エイジのメンテナンスだった。
 手首や肘などの関節のメンテナンスを終えて長谷川に作業をバトンタッチした真野に話すと、悩むことなく即答された。

「でも、エイジの事情を知っているのは私だけの状態で他の多くの人間と接するので、少し不安で。この前のお花見のときとは状況が違いますから」  

 篤志も夏目もエイジと顔見知りだし好意的だけれど、彼らはエイジを謎の多い留学生だと思っている。週に一度こうしてメンテナンスが必要なロボットだなんて思っているはずがない。

「そんなに神経質になることもないと思いますよ。もし困ったことが起きたら、そのときは我々に電話してもらえばエイジを救出しに向かいますから」
「それは、心強いですけど……」
「他に何か気になることはありますか?」
「その……エイジは、嫌がらないかなって」
 
 あの花見の日、篤志にあの宣言をされたとき、エイジはあまり面白くなさそうな顔をしていた。というより、表情が消えていた。
 笑顔を獲得したあとの無表情とは、不機嫌顔と同じだろう。そう感じたから星奈は気になって帰宅後エイジに尋ねたけれど、「別に何もない」と言う。
 おまけに「アツシは良いやつだと思う」などと、まるで前川や幸香みたいに篤志とくっつけようとするかのような発言をするようになったのだ。
 その顔には、はっきりと「面白くない」と書いてあるのに。

「それは、子供の独占欲みたいなものでしょう。牧村様にもなかったですか? 幼稚園や小学校くらいの頃、自分だけのお友達だと思っていた子が他の子と仲良くしたら、寂しいようなむしゃくしゃするような気持ちになることが。あれと、同じようなものです」

 真野は、何でもないことのように言う。つまりは、エイジの情緒面は幼児か低学年の子と同じくらいということだろうか。

「たとえそうだったとしても、エイジが嫌な気持ちになるのなら、どうしようかなって考えてしまうんです」

 言いながら、少し違うなと星奈は感じていた。というよりも、この言い方は何だかずるい。
 そして、エイジのメンテナンスをしていた長谷川は、そのずるさを聞き逃さなかった。

「牧村様、エイジに遠慮することなんてないんですよ? 牧村様はあくまでヒューマノイドロボットであるエイジのモニターで、恋人役を頼んだわけではないんですから。牧村様自身が気乗りがしないのであれば別ですが、行きたい気持ちがあるのならエイジのことを気にする必要はありません」

 言外に、合コンに参加したくないのをエイジのせいにするなと言われて、星奈は閉口した。確かにその通りだ。もし星奈自身に行きたい気持ちが強ければ、エイジを説得したりなだめたりするだろう。
 結局は、まだ積極的に出会いの場に行くのに戸惑う気持ちを、エイジに仮託しようとしていただけだ。

「長谷川の言い方はきついですが、ようは楽しんできてくださいと言ってるんですよ。学生のうちにそうしてワイワイしておくことも必要ですから」
「そうだ、セナ。楽しんだっていいんだ。俺はセナに楽しんで欲しい」

 真野が場をとりなそうとしていると、メンテナンスから目覚めたエイジがそう口を挟んできた。
 いつから起きていたのだろうか、あのずるい言葉を聞いたのだろうか――そんなふうに思って、星奈はすぐに言葉を返せなかった。
 だからか、星奈を安心させるかのようにエイジは微笑みを浮かべてみせた。

「セナ、すねてごめん。俺、セナには笑っていて欲しい。俺が来たばかりの頃、セナはいつも泣いてた。今も時々、泣きそうになってる。だから、楽しめるところにはどんどん出向いていって欲しいんだ。無理して元気になって欲しいわけじゃ、ないけど」

 エイジが言葉を選び、慎重に言っているのが星奈には伝わった。そして、心配されていることも。

「エイジ……わかった」

 エイジにそう言われるのなら、合コンにも行ってもいいかなと星奈は思えた。
 新しい恋をしろとか、そのために前向きになれとかいうことではなく、楽しんで欲しいというのなら応えられそうだ。
 というより、応えたいと星奈は思ったのだ。