ヴェルト・マギーア ソフィアと竜の島

はるか昔――

九種族戦争が行われていた時代で、魔人族に使えていたとある種族があった。

彼等は魔人族に服従し、絶対の信頼を彼等に置いていた。

魔人族を守り、魔人族と共に戦う事が、我らの役目であり誇りでもあった。

そんな中、魔人族を統率していた『魔人族の姫』――エレノアは心から人間族(ヒューマン)を愛し、いつの日か必ず魔人族と人間族たちが分かり合える日が来ると信じていた。

もちろん我らもそう思っていたのだ。

エレノア様がそう申したのだから。

そしてついに人間族と魔人族との和平を結び日が訪れた時、人間族はエレノア様を裏切り、あのお方を――殺したのだ。

我らは戦った。

エレノア様の敵を取るために、憎き人間族を滅ぼすために!

しかし我らは人間族に敗北し、身を隠すためにこの島へと移り渡って来たのだ。

我らが住む島――ラスールへ。

我らはあのお方から託された者たちを守ることが出来なかった。

約束を果たせず破ってしまった。

だからこそ新たな魔人族を統率する者たちが現れた時、我らは再びこの力を振るうのだ。

もう二度と失わないためにも。

だからその時が来るまで、我らは血を繋げていかなければならない。

民を守らなければならないのだ。

「良いですか、ザハラ。これが我らの使命です」

「はい、分かっております。『エーデル』」

我の名前を優しく呼ぶ少々――ザハラを我は見下ろす。

遺跡の天井から差し込む光が白い鱗を照らし、カーマイン色の瞳の中に我が子の姿が映る。
「それまで我々はこの地で、血を繋げていかなければなりません。ですから今日からあなたが、この民を導く巫女です」

「はい、エーデル」

ザハラは小さく頷くと、ゆっくりと顔を見上げて我を見上げた。

幼かった彼女もここまで立派に成長してくれた。

もうこの子に言う事は何一つないだろう。

「ザハラ。私は歳を取りすぎました。そろそろこの座を新しい子にでも」

「な、何を言っているんですか!? エーデル……あなたはずっと、私たち民を見守り続けてくれました。これからだって、ずっとそうです!」

彼女の言葉に驚き目を細める。

ザハラの言う通り、私は民たちを何百年と見守り続けてきた。

あのお方の代からずっと――

しかし我も歳を取った。

いつ死ぬかも分からないこの状況で、後継ぎが居ないのは少々まずいと思っているところだ。

「……冗談です。本気にしないでください」

「は、はい……」

ザハラの中ではまだ不安が消えないのか、彼女の瞳は酷く揺れ動いていた。

そんな彼女を安心させるため、私は彼女の頬に顔を擦り寄せた。

「エーデル……」

「心配しないでください、ザハラ。私はずっとあなた達を見守り続けますから」

――と。

彼女がエーデルとそんな会話を交わしたのが、今からちょうど一ヶ月前の事になる。

「いったい……どこへ行かれてしまったのですか? エーデル」

今から一ヶ月前――

エーデルは突然、私たちの前から忽然と姿を消してしまった。

何を告げる事もなく。

私は一刻も早くエーデルを探し出さなければならない。

この民のため、そしていずれ来るはずの魔人族復興のためにも、彼女は必要な存在なのだ。
「ザハラ様!!」

すると後ろの方で、私の付き人である『ヨルン』が慌てた様子で、こちらへと走り寄って来るのが見えた。

その姿を横目で見送りながら、私は軽く首を傾げた。

いつもだったら落ち着いた様子で仕事をこなしている彼にしては、珍しく慌てた様子だったから、疑問に思った私は口を開いた。

「どうしたのですか? ヨルン」

ヨルンは私の元まで辿り着くと、乱れた息を整えながら真剣な眼差しで言い放った。

「ついに、見つかりました!」

「っ!」

その言葉に私は目を大きく見開いた。

しかし直ぐに自然と笑顔が浮かんだ。

「ようやく見つけましたか」

エーデルが姿を消す前に感じた、禍々しい魔力の持ち主がようやく見つかった。

時間は掛かってしまいましたが、これでようやく――

私はヨルンの横を通り過ぎ石段を下りて行く。

「ザハラ様。一体どうするつもりですか?」

そんな私の後ろ姿を、ヨルンは不安気に瞳を揺らしながら見つめてくる。

「そうですね……」

彼が不安に思うのも無理もないでしょう。

だって、これから私がやろうとしている事は、簡潔に言ってしまえば『殺し合い』だ。

誰だってそんな事をすると知ったら不安に思うものだ。

石段を最後まで下りた私は、村を見渡せるところに立って空に向かって左手をかざした。

「ヨルン。今直ぐに用意して欲しい物があります」

「はい!」

あの魔力の持ち主を呼びつけるには、この手が最善でしょう。

ヨルンの集めてくれた情報のおかげで、彼女の友人関係は全て把握している。

さあ、彼は無事にあの岬まで辿り着けるのでしょうかね?

「本当に私たち『竜人族(リザードマン)』が使えるのに値する存在なのか、この目で見極めなければ」

そう小さく呟いた私は、遺跡の方をもう一度振り返り、エーデルが座っていた場所を見つめた。
あの事件から一ヶ月が経った頃、私たちは元の生活を取り戻していた。

……いや、『元の生活』ってわけには行かないか。

一ヶ月が経った今でも、学校は復旧作業に追われているし、そのせいで授業再開の目処も取れず、生徒たちは今も自宅待機が言い渡されている状況だった。

そして私はと言うと、あの事件から数日病院へと入院していた。

魔力の数値や(ロゼ)の検査。視力検査や聴力検査。血液検査などさまざまな検査が行われた。

検査結果は全て異常なしだったけど、どうしてあそこまで検査が行われたのが分からなかった。

アレスに聞いても頭を左右に振るだけで、何も応えてくれなかった。

絶対私に何か隠しているようにしか思えない。

だからそれは後ほど探るとして、もう一つ変わった事がある。

それは私の体だ。

検査結果は異常なしだったけど、上級魔法を数回使っただけで、私の体は限界が来てしまい、ここ数週間の内に何度も倒れた。

普通の日常生活を送る分にはあまり支障はきたしていないけど、使える魔法が制限されてしまっているせいで、凄く不便に思っているところだ。

それに今はアレスに監視されているから、好き勝手に魔法を使う事が出来ない。

最近だって、学校の復旧作業を手伝おうとして魔法を使ったら、ものの数分意識を失って倒れてしまった。

それを何処で嗅ぎつけたのか、それが原因でアレスからは『あまり魔法を使うな!!』と怒られて散々釘を刺された。

魔法を使って倒れた時には、体に熱がこもって息苦しくなって、数日は寝込む事になってしまう。

でもその度にアレスがくれる薬で楽になれた。
検査結果は異常なしだったのに、なぜ魔法を使っただけでこう何度も倒れてしまうのかと、さすがに疑問を抱いた私は通っている病院の先生に尋ねてみた。

しかしそんな私に病院の先生は『原因不明』だと言い放った。

何回検査をやり直しても、全ての数値が正常で悪いところが一切見つからない。

だから先生も正直お手上げの状況だと言っていた。

病院の先生でも分からない事なんだから、私一人が倒れる原因を突き止める何て出来るはずがない、って最近まではそう思っていた。

一ヶ月前に黒の魔法教団によって引き起こされた事件――世界の魔法(ヴェルト・マギーア)

サルワによる世界の魔法の完成のために、私の雫は膨大な魔力を抱える器にされてしまった。

膨大な魔力が雫に注ぎ込まれ、私の中で魔力を抱えられる数値が限界を超えた。

そのせいで私の雫は現状バランスが上手く取れていない。

魔法を使う度に魔力の制御が効かず、消費する魔力量の制限も出来ないため、そのせいで体に負担が掛かってしまっている。

それに自分の魔力以外にも、まだ他人の魔力が体の中に残っている感覚があって、たまに気持ち悪さがこみ上げてくる時だってある。

だからこんな体は一刻も早く治して、勉学に励まなければならないと言うのに。

「もう……守られるだけなんて絶対に嫌だ」

拳に力を込めながら、私は自室の中でそう小さく呟いた。

自宅待機が言い渡されているため、私は自宅である屋敷に帰って来ているところだ。

最近ようやくここへ帰って来る事が出来て、今はアレスに内緒で勉強しているところだ。

学校で授業再開の目処が経たないのなら、今は自分で勉強するしかないのだ!

「よしっ!」

頬を軽く叩いて気合を入れ直し、机の上に置いてある魔法書を開きかけた時だった。

バァン――

「っ!!」

自室の扉が勢い良く開けられ、その音に思わず心臓が飛び上がり両肩も同時に上がった。

「…………」

後ろから鋭い視線を感じつつも、私は恐る恐る振り返って声を上げた。

「げっ!!」

そこに居た人物を見て思わず変な声が出てしまい、私は慌てて両手で口元を覆った。

「……やあ、ソフィア。なんだか顔が青いようだけど、一体どうしたのかな?」

「……こ、こんにちは〜……アレス。あ、青い顔なんで浮かべていないわよ。あ、アレスの見間違いじゃないの?」

何て言っているけど、アレスは相当怒っているのか、鋭い目で私を見てくると目を軽く細めた。

その目を見て私の背中にダラダラと汗が滝の如く流れ落ちていく。

やばい……怒られる覚えがありすぎで、これ以上下手なこと言ったら、確実にお説教タイムが始まる!

「あ、ははは……」

私は苦笑しながら開きかけた魔法書を、アレスに見えないようにそっと閉じた。

「へぇ〜……この俺を前にして恍けるなんて、いい度胸してんじゃん」

「ど、度胸だなんて……そもそもそんな物、持ち合わせているわけないじゃない。あ、ははは……へ、変なこと言わないでよ?」

「あ、っそう。……そう言うこと言うんだな。正直に言ってくれていれば、俺だって怒る事はやめようと思っていたのに、嘘をつくって事はそんなに怒られたいみたいだな」

その言葉に私の両肩が再び大きく上がった。

アレスは胸の前で組んでいた腕を解くと、づかづかと私のところまで歩みよって来る。

「っ!」

ま、まずい! 怒られる!!

そう思って怒られる覚悟を決めた時、アレスは右手を上げるとそっと私の額に手のひらを当てた。

「えっ……?」

アレスはじっと私の顔を覗き込むと、『やっぱり』と小さく呟いてから、私の体をいきなり抱き上げた。

「ちょっ!? いきなり何するのよ!?」

「言っただろ! 安静にしてろって!」

「うっ……」

アレスにお姫様抱っこされながら、私は優しくベッドの上に下ろされた。

私はアレスの顔を見上げる事なく、ちょっと気まずそうに視線を逸した。

実を言うと昨日、私はアレスの居ない場所で魔法を使って倒れたのだ。

ミッシェルに頼んで何とかバレないように運んで貰ったんだけど、どうやらテトがアレスに報告したらしい……。

「まったく……お前の勉強がしたい気持ちは分かるけど、頼むから今は自分の体を労ってくれよ」

「だ、だって!」

「言い訳は聞かないからな」

「うっ……」

アレスは胸の前で腕を組むと、私に有無を言わせる前に一刀両断した。

その姿を見て本気で私の言い分を聞く気がないのだと知り。

「……はい」

私はがっくりと肩を落として素直に頷いて見せることしか出来なかった。
✩ ✩ ✩

私が倒れるようになってから、アレスは私の側から頑なに離れようとしない。

少々過保護すぎると思うんだけど……。

「アレス……なんだかお母さんみたい」

「仕方ないだろ? だってお前少し目を離しただけでも、直ぐに魔法使ってるんだから」

「だからそれは――!」

「――『強くなりたい』から、だろ?」

「……っ」


アレスに図星を指された私は言葉を詰まらせた。

そして目を右に逸らす。

そんな私をアレスは見下ろしながら、直ぐ近くにあった椅子をベッドの近くまで引いて来るとドカット座った。

「まだ気にしてるのか?」

「……だって」

あの戦いで私はみんなを傷つけてしまった。

その中で特にカレンの事を一番酷く傷つけてしまった。

前にお見舞いに来てくれた時、『気にしないで欲しい』とは言ってくれたけど、やっぱりそういうわけには行かないと思った。

「私は……怖いんだよ」

体を震わせながら、私は自分の体を強く抱きしめた。

「もっと強くならなくちゃいけないの! あんな力なんかに飲み込まれないように! ……じゃないと、みんなを守れない! また傷つけちゃうんだよ!」

もうあんな思いはしたくない! もう二度と誰も傷つけたくない!!
「……」

何も言わず私の言葉を聞いていたアレスは立ち上がって、そのまま隣に来てくれるとそっと私の体を抱きしめてくれた。

その行動に軽く目を見張った私は、薄緑色の瞳に彼の存在を映す。

「あ、れす?」

アレスは背中を優しく擦ってくれながら口を開く。

「大丈夫だ。何も怖くない。お前の側には俺が居る。テトやムニンだって居てくれる。だから……今は――」

彼の声音はとても優しくて、私は素直に体を委ねる事が出来た。

やっぱりアレスの側に居ると心が落ち着く。

体を支配していた『恐怖』と言う名の震えが治まって、私はそっと目を閉じた。

すると直ぐに睡魔が襲ってきて、そのまま夢の中へと誘われるまま、私は意識を手放した。

✭ ✭ ✭

「寝ちゃったか……」

腕の中で寝息を立てているソフィアの体をそっと抱き上げ、そのままベッドへと寝かせる。

「……はあ」

ベッド近くにあった椅子に座り直し、俺は軽く溜息を溢した。

そしてじっとソフィアの寝顔を見つめた。

ソフィアが強くなりたい気持ちは分かる。

でも今ソフィアの中にある雫は不安定なんだ。

そんな状態で魔法を使ってしまうから、体に大きな負担が掛かってしまっている。

一番酷い時なんて、三日三晩も体が高熱に襲われていた。

息をするのだってやっとで、起き上がる事も食事をする事もままならなかった。

俺はそんなソフィアを見ている事しか出来ない自分が嫌で仕方がなかった。

俺には何も出来ない。

ただテトの作った薬に頼る事しか出来なかったからだ。

「クソ……!」

拳に力を込めて歯を強く噛み締めた時だった。

「あらあら、そんな怖い顔をしてどうしたのかしら?

すると肩の上にソフィアの使い魔である『テト』が飛び乗ってきた。

飛び乗ってきた拍子に、首に巻かれている真っ赤なリボンが揺れ、首元から吊るされている使い魔の紋章が掘られたブローチが、光り輝く光景が目に入ってきた。
見た目はその辺りに居る猫と変わらない姿をしている。

しかしテトが人間になった時の姿は、ソフィアの母親であるアフィアさんにそっくりだった。

本人は無関係だって言っているけど、とてもそうは思えない。

直接問い正そうにも、直ぐにはぐらかされてしまう。

なので、しばらくこの件は保留にしようと思っているところだ。

「別に何でもない。そんな事よりどこに行っていたんだ? お前にはソフィアの監視を頼んだはずだけど?」

「あら、私だってお腹は空くしトイレにだって行くのよ? そんな四六時中この子の側になんて居られないわよ」

「そうかよ……」

目を細めてそう呟いた時。

「お〜い、アレス! やっと見つけた」

「ムニン?」

すると今度は手紙を咥えた、俺の使い魔であるムニンが、空いている方の肩に上がってきた。

ムニンはあの事件をきっかけに、俺と正式に使い魔としての契約を結んでくれた。

出身は狼人族で普段は小さな狼の姿をしているが、ムニンはテトと同じく人間に近い姿になることもある。

また、大きな狼の姿になる事だって出来るんだ。

そうなってくると使い魔ってのは、全員が人間に近い姿に変わる事が出来るのだろうか?

「そう言えば、ちゃんとソフィアの体に薬は効いているのかしら?」

「ああ、テトの作ってくれた薬のおかげで熱の方は大分引いてきている。でも雫の方は回復が見られない」

悪くもなっていないし、良くもなっていない。

だから不安定なんだ。

「ソフィアに魔法使うなって言っても、この子が聞くはずがないのにねぇ」

「そんなの分かってるさ。だからお前に見張ってもらっているんだろ?」

「でもあなたはサルワの件で、片付けなくちゃいけない仕事が山積みじゃない」

その言葉を聞いて自分の机の上に置かれていた報告書の山を思い出した俺は、なるべく思い出さないようにするために頭を大きく振った。