奇跡が急に家を出て、実家から遠い町で独り暮らしを始めた頃。
あのとき、両親はとても驚いて抵抗していたけれど。
結局は、奇跡のほほ笑みひとつで彼女の希望が通ることになった。
「ちょうど家族と折り合いが悪くて、バイトして独り暮らししててんだけどさ。金もないし、男もいないしで、むしゃくしゃしてたんだよね。池袋で飲み過ぎた帰りに、全然知らない駅まで寝過ごしちゃったんだ。すっげぇ寒い日だった。そこで、ほとんど誰もいない駅のホームにね……神様がいた」
神様。
人が、神崎奇跡を称するときに口にしがちなワード第一位だ。
彼女は、ただの人なのに。
「奇跡さん、すごく綺麗で。『あなた、なんだか出がらしのお茶に似てるわね』って、そう言われて」
「それは、姉が失礼なことを」
「いいの。確かに私は疲れてて、出がらしのお茶みたいな顔してたんだと思う。その日、安い合成の日本酒ばっかり飲んでたしね」
「はあ、日本酒」
「あれ、出がらしのお茶みたいな変な色してるんだ」
「そうなんですか」
「で、気づいたら奇跡さんの家で朝目が覚めたの。次の日もバイトのシフトがあったけど、奇跡さんは『休んでもいい』って言ったんだ。それで、奇跡さんが言うことだったら、なんだか正しいような気がしてきて。それで、私は生まれて初めてバイトをサボった」
「案外、真面目なんですね」
「茶化さないでよ、あんたが聞いたのに」
茶化したつもりはなかった。
目の前にいるバレンシアオレンジの髪の美女が、そんなくだらない凡庸な神崎奇跡との出会いを後生大事にしているのが、なんだかキュートに思えただけだ。