「……ヒメムラサキ?」

 それは、真冬にうっかり踏んでしまった薄氷のようで。

 そんなヒメムラサキの声は、この三カ月で一度も聞いたことがなかった。

「なっ、なによ。T.S.U.K.U.M.O.のくせにそんな怖い顔して」

『ヒメは、奇跡じゃないよ』

「なに、そのゴミを見るような目は。やっぱり、あなたは奇跡ちゃんじゃないわね。ただの、システムのくせに」

『そう。ヒメはヒメだよ。ただのヒメムラサキだよ。ほかのT.S.U.K.U.M.O.とは違うもん』

「ちょっと、普通はもっと愛想がいいものじゃないの。仮想神格システムっていうのは……」

『普通って、なに?』

「は、え? 普通は普通よっ』

『……ほんとに、あなたは全然似てないね。奇跡にも、はるちゃんにも』

「そ、そんな! 私は奇跡ちゃんの母親で……」

『そんなこと知らない。奇跡は奇跡で、ヒメはヒメだし、はるちゃんは、はるちゃんだよ』

 ヒメムラサキは言う。

 本来、システム化された付喪神であるヒメムラサキがそうやって自分の意志でもって人間を挑発するような真似をすることはないはずだ。

 異常なT.S.U.K.U.M.O.、とでもいうようなヒメムラサキの行動。

 でも、そのヒメムラサキの言葉が、私の胸に染み込んでくるようだった。

『神崎奇跡は死んだんだよ。だからヒメは奇跡じゃない。奇跡の遺言をまっとうするために、ヒメははるちゃんと一緒にいるの……それが、奇跡の望んだことだから』

「で、でも……」

『奇跡の遺した遺言状に、一言でもあなたのことは書いてあったの?』

「っ!」

 母の顔色が、にわかに変わった。

 痛いところ、だったのだろう。

 私は奇跡の遺言状の開封に立ち会ってはいないけれど、母の様子からおそらくそこに母の名前はなかったのだろうと思う、

 そして、おそらくは父の名前も同様に。