ヒメムラサキったら。

 思わず荒げた声に、母が声をかけてくる。

「? なに。はるか。誰かいるの?」

「なんでもない」

「なんでもなくないでしょう、お母さんに嘘つくつもり?」

 苛立った母の声に、私は小さくため息をついてポケットから携帯端末を取り出す。

「T.S.U.K.U.M.O.だよ。ほら、お姉ちゃんから相続した……」

「ああ、あれね。相続……どうして、奇跡ちゃんはあんたにだけ遺したのかしら。私たちには、何にも遺してくれなかったのに」

「だから、きっと冗談かなにかで作った遺書だったんだよ」

 トンチキな遺書。

 その割にはフォーマットが完璧で、神崎奇跡の突然の死をもって完璧に執行されることになった遺書である。

 そういうところも、奇跡らしい。

「奇跡ちゃん、最近はほとんど実家にも帰ってきてくれなくて……」

 ぶつぶつ、と繰り言を再開した母親。

 黙って仕分け作業に励む私。

 どうやら、この部屋にあるものはすべて実家に引き上げるつもりらしい。奇跡が使っていた部屋は未だに彼女が家を出たときからそのままの状態で残っているのだ。

 母と同じ空間にいるのがいたたまれなくて、トイレと風呂に逃げ込む。

 どちらもカビひとつ、湯垢ひとつ見当たらない完璧さを保っていた。

 奇跡は本当にここに住んでいたのだろうか。