仮想神格システムT.S.U.K.U.M.O.
個体名、【ヒメムラサキ】
それが私の名前だ。
かつて、美しい人間に買い上げられたT.S.U.K.U.M.O.システムである。
刻まれた暮らしの記憶。
たくされた渡されない恋文。
プログラムされていたはずの消滅。
それなのに、端末の再起動と同時にこの意識も再び起動した。
美しくて特別で愚かな女の気持ちを、彼女が愛した妹へと届ける旅路は私にとって好ましかった。
どういうわけだか、再び生活をともにすることになった新たな主人は、ほどなく日常への戻って、今日もバイトに出かけている。
彼女の帰りを見計らって、豚の生姜焼きを作ろうと思っている。
部屋の掃除を終えて、私は小箱を取り出した。
和紙でできた、小さな小箱。
それは、前の主人である美しい女性の形見だ。
これだけは、手元に置いておきたいと思った。
箱を開ける。
中に入っているのは、何枚もの夕焼け空の写真と……セミの抜け殻だ。
女は、全国に夕焼け空を見に行っていた。
一人で行きたいのだと、バーチャルアシスタントである私も置いて、ふらりと旅に出てしまうことがあった。
――あの夕焼けよりも美しい夕焼けを探しているの。
女は生前言っていた。
心のなかに焼き付いた、山の上にある寂れた神社の夕焼け空を超える夕焼けを探しているのだと。
ゆっくりと、写真を眺める。
そうして、ふたたび箱を閉じた。
この、甘くほろ苦い気持ちはいったいどこから来るのだろう。
呪術と電算によって生まれた私の、いったいどこから。
部屋に差し込む西日に、思わず目を閉じる。
私は、私の気持ちがわからない。
でもこの心を抱えて一緒にいたい人がいる。
クラウドに接続をしてわかったことなのだけれど、T.S.U.K.U.M.O.システムとしての型番号を私は失っているようだった。
もしかしたら、たぶん、ほんとうに付喪神としてこの世に在ることを許されたのかもしれない。
神崎奇跡の、わからない気持ちが、知られなかった恋が、折り重なって積みあがって、ここに私を顕現させているなんて。
そんな奇跡みたいなこと――
世の中、わからないこともあるものだ。
こんなとき、神崎奇跡だったらどんなことを思うのだろう。
愛しい人の帰りを待つ夕暮れの部屋を、どう表現するのだろう。
いまとなっては、奇跡の気持ちはわからない。
それでも、私のこのかりそめの身体に息づく奇跡の想いを、まだもうすこし、噛みしめて、大切に抱いていたいと思う。
「ああ、はるちゃんだ」
アパートの階段をかける足音が聞こえる。
もう、今日の夕食の準備は万端だ。
鍵が鳴る。
愛しい彼女が、帰ってくる。
◇終◇