「……え?」

 どくどくと心臓が鳴る。

 そんな、まさか、どうして。

 顔を上げると、そこに立っていたのは――神崎奇跡によく似た、T.S.U.K.U.M.O.だった。



『よっ! はるちゃん、冷蔵庫見た? 旅行前に全部使い切ってて、きれいでしょ。さっすがヒメって思わない?』



 降り注ぐ赤い西日のなかで、そう言って微笑む少女。


「ど、うして」

『えへへ。ヒメにも分からない。端末の電源が入ったらね、気づいたら顕現していたの』

「だって、ヒメムラサキは、消えて……」

『うん。たしかにあのとき、ヒメは消えちゃったよ。でも、どうしてかは分からないけど、ヒメはいまここにいるんだ。もしかしたら、奇跡かもしれない。でもプログラムのエラーかもしれないし……ひょっとして、はるちゃんがずっと一緒に居たいって、好きだって、そう言ってくれたからさ』

 ヒメムラサキは、にこりと笑う。

「ヒメ、本当の付喪神になれちゃったのかな?』


 こてんと首を傾げる少女を、力いっぱい抱きしめた。

 腕の中のヒメムラサキからは、いつもの花のような香りがする。

 あふれて止まらない涙を、そっと拭ってくれながら。

 ヒメムラサキは普段よりも、うんと大人びた――まるで、奇跡みたいな声で言う。

『仮想神格T.S.U.K.U.M.O.システム、個体名はヒメムラサキ……あなたと神崎奇跡が大切にして、愛して、慈しんだ、恋文としての偽物の付喪神です。かつて誰よりもあなたを愛した女から私が賜った名は姫紫《ワスレナグサ》……どうか、彼女の心が、思いが、たしかにそこに在ったこと、忘れないでください』



 そう、静かにヒメムラサキは告げる。



 何度も何度も、私は頷く。


「忘れない。ずっと、ずっと大切にする。もう一度会えて嬉しいよ、ヒメムラサキ」

『うん。ヒメも嬉しい。……でも、嬉しいけど、切ない気もするし、うおおおって感じもするんだ。ヒメは人間じゃないから、この気持ちが本当なのかどうかわからない』

 震える声を、唇でせき止める。

 自分の気持ちがわからない。

 それはT.S.U.K.U.M.O.だから、じゃない。

 人間だって、神様だって、他人や自分の気持ちなんてちゃんとわかっていないんだ。


 それでも、私はここにいて、ヒメムラサキがここにいて――そしてかつて、神崎奇跡はこの世界に居た。


「きっと、気持ちの名前なんてわからない。その気持ちが本当かどうかなんて、私たちにはわからない。でも、わからないままでいいよ。わからないまま、どうか、ずっとそばにいて」

 一気にまくしたてると、抱きしめ返してくる力が強くなる。

『ずっとそばにいる。はるちゃんが奇跡を忘れないように』

「うん」

『それに、ヒメははるちゃんと居たいよ』

「うん。ありがとう」

 きゅう、ともっと強く少女の体を抱きしめる。

 ああ、ヒメムラサキがここにいる。

「ヒメムラサキ、おかえりんこ」

『ただいまん……、ッ何言わせるの、はるちゃん!』

 二人して、声をあげて笑った。


 夕焼け色の光が部屋に満ちる。