そのとき。

 ピピピピピピ、と間抜けな音が響いてスマホから声がした。

『はるちゃんっ!』


 ヒメムラサキの声がする。

 はっ、と我にかえる。

「ちょ、才谷さん! それってどういう!」

「約束の十五分は過ぎたよ」


 すでに才谷はその長い足で颯爽と歩き去っている最中だった。

 追いかけようと思ったけれど、一瞬振り返った才谷の視線の……底知れない暗さに、なにを考えているのかがあまりに分からない表情に、私は動きを止める。

 彼女の背中は、力いっぱい私のことを拒絶していた。

 立ちすくむ私に、才谷はもう一度だけ振り向いた。

 マンダリンオレンジの髪は、日本海の日差しに映える。

「……東尋坊の由来を知ってる?」

 静かに首を振る。

 私の反応に、才谷は実に満足そうににっこりと微笑んだ。

「そう。私たちがこの場所で会うなんて……神様でもいるんじゃないかってくらいに出来過ぎだね」

 ああ、と。

 私は追おうとするのをやめる。

 なぜって、その笑顔に――才谷が浮かべた、すべてを諦めきったような静かで寂しい笑顔に見覚えがあったからだ。

 その神様みたいに美しい笑顔は、いつだって神崎奇跡が浮かべていたものだった。

 その笑顔は、恋を諦めた人の笑顔だ。

 そこに確かにある気持ちを、誰にも伝えないまま死ぬまで、墓場まで持っていこうとする人の――恋と心中する人の笑顔だ。

 才谷杏子は、神崎奇跡の恋人であった過去を諦めたのだ。奇跡の遺した痕跡を拾い集めているうちに。


 自分の気持ちは神崎奇跡に届いてなんていなかったと思い知ったから。



 だから、彼女の恋心は誰にも伝わらないままに、彼女とともに生きていく、死んでいくのだろう。



 しかし。

 これは全てが憶測だ。



 でも、本当のところは――誰にも分らない。




 彼女の恋は、彼女のものだから。