雨は強まったり弱まったりを繰り返して、時には天幕に穴が開きそうな勢いで朝まで降り続いた。

その音が銃声みたいで、なかなか眠れなかったし何度も目が覚めた。

昇さんと阿久津さんも同じだったみたいで、時々うーん、と唸っているのが聞こえた。


何度目かの目覚めで、阿久津さんが天幕から出ていくのが見えた。

まだ夜明け前には少し早いのに、どこ行くんだろ。


はじめはおトイレかな、くらいに思っていたけどなかなか戻ってこないから、だんだん心配になってきた。


暗いから迷っちゃった?

それともぬかるみにはまって動けなくなった?


あたしはいてもたってもいられなくなって、昇さんに声を掛けた。


「昇さん、昇さん!起きて。阿久津さんが戻ってこない」
「ん…、ああ?阿久津が?」
「うん、だいぶ前に出ていって、そろそろ明るくなってきたのにまだ戻らないの」
「ほんとか!?」
「俺が、どうしだって?」
「阿久津さん!」


あたしが慌てているところに、夢のような甘い香りと共に阿久津さんが戻ってきた。


手には、大きな房ごとの……バナナ。

クリスマスツリーみたいな大きさだ。


「阿久津!バナナじゃないか!よく見つけたな」
「河を見だ時によ、向ごうのほうに葉が見えだから、朝んなっだら見にいぐべと思ってだんだけど、何度も目ぇ覚めで腹へっぢまっで」
「すごい…バナナってこんなにたくさん実がなるんだ」


雨のせいか少し潰れて傷んでるけど、バナナだ。

こっちに来て初めて見た。

南国ならバナナくらい普通にあると思ってたのにぜんぜんなかったんだよ。


腕ぐらいの太い茎にぐるりと房がついて、それが4段くらい。

ぐるりじゃなくて、らせん?

ううん、互い違いになって重なってるのかも。

とにかく、3人でも食べきれるかわからないくらいの量がある。

天幕の中が、あっという間にバナナの香りでいっぱいになった。


「しっかり食っで、河を渡っだらゲニムだ」
「うん」


阿久津さんが一つもいでくれたバナナを持ったら、朝食バナナダイエットなんてものを思い出した。

毎日毎日、あたしはこのバナナを食べてた。

テレビの朝番組をぼーっと見ながら、牛乳で流し込むだけのダイエット。

あの頃はなかなか痩せなくて微妙だなとか思ってたウエスト、今は2週間たらずで緩々だよ。

ふふ、っと、ちょっと前の自分を馬鹿にするみたいな笑いがこみ上げてきた。


手の中のずっしりした重みに、ゴクリと喉が鳴る。

皮を剥いて、かじりつく。


……。

なんて甘い。


ここに来てこういう食感のものを食べていなかったせいか、喜びが体の底から胸に押し寄せて、身体じゅうがぞわぞわ騒ぐ。

甘みが口の中に広がって、耳の下がぎゅーっと痛くなる。

しかもお芋みたいな、食べてる!食べてます!って噛み応え。


「弥生ぢゃん?」


美味しくて、嬉しくて。

逆に今ままであたしがどんな食べ方をしていたかを思い出して、腹が立った。

ヒモが渋いとか、黒いとこ邪魔とかいいながらそれを避けてちまちま食べて、挙句の果てにぜんぜん食べないで捨ててたことも…


「未来ではね、バナナって、基本的に地味でぜんぜん主役じゃない果物なんだよ。イチゴとかメロン、ぶどうに桃って、オシャレで美味しいのがいっぱいで。南国系でもマンゴーとかパパイヤみたいに高級感もインスタ映えもしないから子供は好きだけど大人で大好き!とかいう人あんまりいなくて」
「そうなのか」
「うん。あたしも毎朝食べてはいたけど、ちょっと黒いとこあるとポイって捨ててたりしたの」
「それは罰当たりなごとを」
「うん…もしかしたらあたし、バチが当たってここに飛ばされたのかも…」
「あ、いやぁ冗談だ、冗談」
「神様がいるなら、謝りたい。あたし、他にもたくさん食べ物粗末にしてたの。ここに来て、雑草に虫まで食べるようになって、ああ、なんて幸せだったんだろうって…」


前なら、バナナをありがたがるなんて絶対に考えられなかった。

だけど今、あたしの体はバナナひとつでこんなにも幸せに満ちてる。

幸せ過ぎて震えるなんて、よくわからない例えだなとか思ってた。

でも例えなんかじゃなくって、本当に震えるんだ。

たかがバナナで、鳥肌が立って、震えてるの。


「まあ、その、なんだ。気付いたんなら、それでいいじゃねえが!ほれ、もっど食え、ウマイだろ?」
「ん…おいしい……」
「うん、旨いな」
「最高だ」


それ以降、あたしたちは無言でバナナを頬張った。

夢中で、剥いては食べ、剥いては食べた。

虫が食ったような穴も、熟れて割けた傷が黒くなってるのも気にしないで、全部、残さず、泣きながらむさぼった。


雨音は相変わらずだったけど、最高の朝だった。