昼間の雨が嘘みたいに止んでいる。
だけど長い雨に冷やされた森を通る風は、弱った向井さんから容赦なく体温を奪う。
膝の上でミノムシみたいな向井さんがカタカタと歯を震わせている。
「母ちゃん?今年はカエルが鳴ぐようになっでも随分と寒いんだねえの?田んぼは大事け?」
「え?あ、ああ。じきに温かくなるよ。だいじだ」
普段より、方言の混じった言葉で話す向井さん。
本当にお母さんと話しているつもりなんだな。
「ああ、そうだ。俺、ニューギニヤで仲間と敵機をまた何機も撃墜したんだ。天皇陛下の御為に、向井家の男子として。んだから勲章も賜ることになってんだよ」
「そう、なの。それはお手柄だね…」
「敵もなかなか手ごわかったけんどな、かわしにかわして空中でクルリと回転してよ、後ろからスババーン!っと!目の前で俺の活躍を見せらんねかったのが残念だわ、あはは」
返事に困るよ…。
お母さん役なんて、難しくて。
それに…
向井さん、話、盛ってる。
だって、昇さんが前に言ってた。
基本的に昇さんのいる部隊は輸送とかの後方支援だって。
嘘の武勇伝、かぁ…
この時、あたしはどんな顔をして聞いていればいいんだろうって、きっと変な顔をしていたと思う。
「母ちゃん、ああ母ちゃん、ごめんよ。そうだよなぁ。お見通しだよなぁ。俺はいっづもこうやって格好つけては『このでれすけが!』って母ちゃんに叱られてたもんなぁ」
「……」
「母ちゃん、俺は手紙に書いだような飛行機乗りなんかじゃねーんだわ。ずっと倉庫番だ。恰好の良いことばーっし書いてたけんど、最近は畑を耕したりの毎日だ。まったぐ、農家は嫌だと言って志願したのに、これじゃあ家に居るのと同じだんべなぁ。ははは…」
あたしが何か答える必要はもうなかった。
向井さんは小さな声で、決まり悪そうに嘘だと自分で暴露して、あれやこれや思い出を語り続けている。
いつの間にか、あたしは向井さんの頭をまるで子守りでもしてるみたいに撫でていた。
自分が向井さんのお母さんになったつもりでとか、そんなんじゃなくて、なぜだか自分でもよくわからないけど、そうしたいと思った。
ふと、向井さんの表情が変わった。
『あたし』と目が合った。
「弥生、ちゃん……? 俺、アンタのこと女だから認めたくないと思ってたんす。口もきいてなかったのに、なんでこんなに優しいんすか」
「ううん! あたしが逆の立場だったらこんなヒョロヒョロのお荷物女なんか一緒にいたくないもん、気持ちわかるから!」
「はは……。そうすか、でも本当にすまなかったっす。しかも俺、今、おかしなこと言ってたすよね?」
「…え、っとぉ……」
言わない方がいいのか、言ってもいいのか、あたしは返事に迷ってしまった。
「夢か幻か…、母親に会ったような気がするんす」
「実家の夢…?」
「そうっす。父親が死んで、女手ひとつで兄貴と俺、妹を育ててくれたんす」
「3人?すごい」
「昔っから出来の良い兄貴は学校に行きながら家で米も作って、いつも母親に頼りにされてて…俺は何か役に立ちたいと思っても、どうにも反発しちまって」
「……」
「農家なんか手伝わんと言って志願兵になったのも、本当は…」
向井さんは視線を落として、ポツリポツリと話している。
今にも氷になってしまいそうなほど冷たい体で真っ青な唇だけが動く。
元気になってほしい。
このまま、もっとたくさん話をしてほしい。
だけど。
いくら鈍感なあたしにだって、わかる。
話せているのが、おかしいくらいの状態なんだ。
きっと本人もわかってるんじゃないかな。
目を閉じたら、きっともう開くことはないって……
だけど長い雨に冷やされた森を通る風は、弱った向井さんから容赦なく体温を奪う。
膝の上でミノムシみたいな向井さんがカタカタと歯を震わせている。
「母ちゃん?今年はカエルが鳴ぐようになっでも随分と寒いんだねえの?田んぼは大事け?」
「え?あ、ああ。じきに温かくなるよ。だいじだ」
普段より、方言の混じった言葉で話す向井さん。
本当にお母さんと話しているつもりなんだな。
「ああ、そうだ。俺、ニューギニヤで仲間と敵機をまた何機も撃墜したんだ。天皇陛下の御為に、向井家の男子として。んだから勲章も賜ることになってんだよ」
「そう、なの。それはお手柄だね…」
「敵もなかなか手ごわかったけんどな、かわしにかわして空中でクルリと回転してよ、後ろからスババーン!っと!目の前で俺の活躍を見せらんねかったのが残念だわ、あはは」
返事に困るよ…。
お母さん役なんて、難しくて。
それに…
向井さん、話、盛ってる。
だって、昇さんが前に言ってた。
基本的に昇さんのいる部隊は輸送とかの後方支援だって。
嘘の武勇伝、かぁ…
この時、あたしはどんな顔をして聞いていればいいんだろうって、きっと変な顔をしていたと思う。
「母ちゃん、ああ母ちゃん、ごめんよ。そうだよなぁ。お見通しだよなぁ。俺はいっづもこうやって格好つけては『このでれすけが!』って母ちゃんに叱られてたもんなぁ」
「……」
「母ちゃん、俺は手紙に書いだような飛行機乗りなんかじゃねーんだわ。ずっと倉庫番だ。恰好の良いことばーっし書いてたけんど、最近は畑を耕したりの毎日だ。まったぐ、農家は嫌だと言って志願したのに、これじゃあ家に居るのと同じだんべなぁ。ははは…」
あたしが何か答える必要はもうなかった。
向井さんは小さな声で、決まり悪そうに嘘だと自分で暴露して、あれやこれや思い出を語り続けている。
いつの間にか、あたしは向井さんの頭をまるで子守りでもしてるみたいに撫でていた。
自分が向井さんのお母さんになったつもりでとか、そんなんじゃなくて、なぜだか自分でもよくわからないけど、そうしたいと思った。
ふと、向井さんの表情が変わった。
『あたし』と目が合った。
「弥生、ちゃん……? 俺、アンタのこと女だから認めたくないと思ってたんす。口もきいてなかったのに、なんでこんなに優しいんすか」
「ううん! あたしが逆の立場だったらこんなヒョロヒョロのお荷物女なんか一緒にいたくないもん、気持ちわかるから!」
「はは……。そうすか、でも本当にすまなかったっす。しかも俺、今、おかしなこと言ってたすよね?」
「…え、っとぉ……」
言わない方がいいのか、言ってもいいのか、あたしは返事に迷ってしまった。
「夢か幻か…、母親に会ったような気がするんす」
「実家の夢…?」
「そうっす。父親が死んで、女手ひとつで兄貴と俺、妹を育ててくれたんす」
「3人?すごい」
「昔っから出来の良い兄貴は学校に行きながら家で米も作って、いつも母親に頼りにされてて…俺は何か役に立ちたいと思っても、どうにも反発しちまって」
「……」
「農家なんか手伝わんと言って志願兵になったのも、本当は…」
向井さんは視線を落として、ポツリポツリと話している。
今にも氷になってしまいそうなほど冷たい体で真っ青な唇だけが動く。
元気になってほしい。
このまま、もっとたくさん話をしてほしい。
だけど。
いくら鈍感なあたしにだって、わかる。
話せているのが、おかしいくらいの状態なんだ。
きっと本人もわかってるんじゃないかな。
目を閉じたら、きっともう開くことはないって……