「これを履いて」

昇さんが、静かな声でそう言って、軍人さんが履いていた靴をあたしの顔に近づけた。

その冷静さが、ショックで。


だってそれ、死んだ、亡くなった人の靴だよね?

しかも死体に集った虫もついてるような不潔な靴だよ…

洗ったって、そんなの使いたくないよ。

気になり始めてる人の側にいるのにお風呂にも入ってなくて、その上こんなの履くとか、もうこれ何の罰ゲーム?


昨日の昇さんだったら、仕方ないな、って、抱きしめてくれたんじゃないかとか、あたしがさっきあんなこと言ったから怒ってるんだとか、そんなことを思ったら余計に泣けてきて、自分でもなんで泣いてるのか訳がわからなくなってきた。


「服も拝借する。腐敗が進んでいるから崩れて臭うかもしれん。離れていろよ」


あたしは、動かなかった。

というか動けなかった。


あたしは令和の人間で、高校生で、受験生で、きっと本当は今頃めんどくさい授業をなんとなく受けて、お昼になったらお母さんの作ったお弁当を食べて、午後の授業が終わったら玲奈とスタバ寄って、帰ったらご飯食べてお風呂入ってスッキリして、ネットの見放題で映画見て、そんでふわふわのベッドで寝るんだ。

なのになんであたしは今、腐った死体を目の前にして、しかもその人の靴を履けなんて言われてるの?

しかも服まで着ろって。

髪だって一生懸命伸ばしてたのに、いびつな坊主にされて。

いきなり過去に飛ばされて、だけどこんなところじゃなかったら、戦時中だってちゃんと女の子でいられて、出会うのは昇さんじゃないかもしれなくても、もっと可愛いあたしとして恋が出来たんじゃないかとか、もう、あたしの中は過去と未来が混ざったせいで、現実と想像の区別がなくなったみたいにぐちゃぐちゃで。


「もう………嫌だよ……こんなとこ、いたくない…」
「弥生」


雨が、降りだした。

明るい空から降る雨が、軒先から滝のように流れ落ちる。

草木を雨が打つ音は、まるで決断を迫るドラムロールみたいにあたしを包囲してる。


「ふ…っ、うわあぁぁああ」


その責めるみたいな雨音に耐え切れなくて、あたしは敵に見つからないようにみたいなことも考えられなくって、感情のままに泣き叫んだ。