昭和19年4月、日本のほぼ真南にあるニューギニアという島は、戦場だった。そこであたしが見たのは、大好きな、泣ける戦争映画の「戦って散る美しさ」なんかじゃなくって、泥にまみれてただ森の中を歩くだけの……。
それは…………死の行進としか表しようがないものだった。歩いてるだけなのに、仲間がどんどん死んでいった。ある人は、お腹を壊しただけで死んだ。またある人は、マラリアで。
そしてまたある人は増水した河の濁流に飲まれた。
何も食べるものがなくなって、手当たり次第に草木を口にしてもがき苦しんで死んだ人。怪我が元で熱を出し、雑草すら食べられずに弱って死んでいった人も……。
勝機がまたやってくると信じて、生きて味方と会うために、隠れて、隠れて、生き残ったあたしたちは、食べられそうなものなら何でも食べた。雑草でも、虫でも、何でも。
戦争は、美しくなんかなかった。
戦争は、かっこよくなんかなかった。
ただ、暑くて、寒くて、臭くて、痛くて、お腹がすいて、疲れて、辛くて、悔しくて、悲しくなるだけだった。
そして戦争は……。
あたしの初恋の人さえも、容赦なく連れ去った――
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バナナが腐っていた。
「まっず……」
高3になってすぐだっていうのに1年からの総まとめテストがあるというから、今朝はバナナ片手に一夜漬けならぬ一朝漬け。
それでよく見ていなかったあたしも悪いけれど、裏っかわに黒いところがあったのに気付かないで食べてしまった。
口の中がどうしようもない甘ったるさと発酵した感じで気持ち悪い。
「あらあら、もう一本あるわよ」
「もういらない。今食べたら絶対に全部黒いとこの味するよ。もう、朝からサイアク」
口の中の気持ち悪さをなんとか牛乳で流す。まだ二口しか食べてないけれど、あたしはキッチン脇の生ゴミカゴにバナナを放り込んだ。
「ねーちゃんもったいねー」
「うっさい。じゃ葉月が食べなよ」
「捨てたやつなんかいんねーよバーカ」
この生意気なヤツは弟。まだ小6のくせに、あたしより背が高いのがムカツク。
「だいたいさー、ねーちゃん痩せたって一緒にプール行く相手とかいねーじゃん」
「うっさい死ねっ!」
余計なお世話!
あたし、古賀弥生。朝食バナナダイエット中の受験生。
コレ、朝はバナナと牛乳だけというお手軽さで、意外と腹持ちもいいし、結構続いている。昼と夜は普通に食べていいというのが気楽。問題があるとすれば、そこまで痩せた! って実感がないところ。
3ヶ月で1キロくらいは落ちているから、このままやれば夏までにあと1キロくらいは痩せられるかなと思っているのだけど。
忙しなく洗面台に向かい、歯磨きしながら鏡に映る姿をチェック。
眉ヨシ、まつ毛ヨシ、前髪…ちょっと直してヨシ、後ろ、まあヨシ! 高校入学の時に肩の上で切りそろえた髪も、ようやくウエストの近くまできた。色の白いと髪の長いは七難隠すって、言うでしょ。
確かにプール行くような相手はまだいないけれど、大学で素敵な出会いがあるかもしれない。だから伸ばしておいて損はないし、痩せておいても損はないと思う。
でも、校則は染めるの禁止だし受験あるから、そろそろ茶髪は一旦お別れなのだ。
はぁ。めんどくさい。
うちは2人姉弟で両親と4人暮らし。大きなトラブルも病気もない。住んでいるところは田舎だけど、日常で必要なものは揃っている。なくてもネットで注文すればいい。というわけで特に不満なく、安定した生活を送っている。
でも、もっとドラマティックな人生が良かった。
いつかテレビとか映画みたいな、ハラハラドキドキの恋がしたい。暴走族のリーダーに見初められて姫になっちゃうとか、突然学校にアイドルが転校してきて告られるとか、突然お父さんの会社の取引先の御曹司から求婚されちゃうとか……。
ううん! そんなんじゃ甘い。
やっぱり昨日見た水曜ロードショー的な。『初恋散華』涙止まらなかった。戦争に引き裂かれる恋、切ない! 特攻隊員役の吉澤良カッコよかったし!
主人公はいいとこのお嬢様で、好きな人がいるのにお見合いで結婚が決まっちゃう。でもその好きな人も主人公を想っているの。だけど時代のせいでお互いに想いを伝えられないまま、少年は少女の未来のために特攻隊に志願するとか……。
親の決めた相手なんて嫌だけど、その不自由さとか窮屈さが燃える恋の源なんだろうな。
はぁぁ。いいなぁ。まあホントに戦争とかなったらそうも言ってられないんだろうけど。
どこかに命がけの、ギリギリの恋、落ちてないかな。
(もちろんイケメンに限る!)
「いってきます」
「いってらっしゃーい。気を付けてね」
「わかってるってば」
玄関を出て、自転車のカゴにバッグを放り込み、走り出す。ハンドルにぶら下がるヘルメットが邪魔でしょうがない。校則だから、邪魔だけど被らなきゃ校門をくぐれないの。真面目かよ! っていうね。
うちから学校までは自転車で30分くらいかかる。雨の日は車で送ってもらうけど、基本チャリ通。電車通学とか憧れる。だってコレじゃ他の学校の生徒に片思いも出来ない。誰かとすれ違ったって、顔見る間もなく通り過ぎちゃうから。
それに……出会いのない理由はもうひとつある。あの角を曲がれば、ほら。
「弥生おはよ」
「あーおはよー」
「じゃいってきま……あ! じいちゃん、やんなって!」
「んだって、やんねば草ばーっしの庭になって、お客さん来た時に恥ずかしかんべぇ」
「除草剤撒いてっからダメって、毎日親父に言われてるでしょ、もー」
毎朝いちばん最初に顔を合わせる同級生、幼なじみの晶だ。自転車を出しながら、庭先で草むしりをするおじいちゃんを止めている。おじいちゃん、全然やめる気なさそうだけど。
晶、背は高い。顔もまあ、奥二重の細目だけど、鼻筋は通ってるからそこそこかな。男子にしては少し長めの髪は生まれつき少し栗毛がかっていて、斜め後ろから見てる分には、イケメンだ。だけど、小説とかマンガでよくある感じの、幼なじみモノみたいな甘酸っぱい感情はゼロ。むしろマイナス方面。理由は、オタクだから。
写真オタク、っていうの? んー、昆虫写真オタクかな。前なんか、南国のナントカって国のメタリックな虫の写真なんか見せてきて、『これ、食えるんだってさ』なんて言ってきた。中学上がる前だったか後だったか……それで家に遊びに行くのやめたんだ。
なのにそんなオタクのくせにモテるから、なんかムカツク。もっと小さい頃は葉月も一緒に遊んでたんだけど、晶がカメラにハマりだしてから、つまらなくなった。気を抜いてる時に限って勝手に撮るし、ひとりでどこか撮りに出かけちゃうし。カメラの何が面白いのか、ぜんぜんわからない。スマホカメラで充分じゃない? しかも撮ってるの虫だし、基本。
なのになぜか、あたしの緩ショットを狙う。あたしは虫じゃないんですけど? 虫と同レベルってこと? 考えたら余計にムカついてきた。
「待ってよ弥生! はぁー、まじこの頃のじいちゃんやばいんだよ。5分前に言ったこと覚えてないんだぜ。つかテスト勉強やった? 俺昨日やろうと思ったらいつの間にか寝ててさぁ」
こんなのと一緒に通ってたら、そりゃ防犯的にはいいのかもしれないけど。出会いなんかあるわけないっていうね。あたしはスピードをあげて、合流してから少し前を走る晶の自転車を追い越した。
「あ! 飛ばすんならメットしろよー」
「うっさい!」
いつも親みたいなこと言うから、やっぱりウザい!
「町田ってさ、カッコ良くなったよね」
昼休み、お弁当のから揚げを落としそうなことをいきなり言ったのは、親友の玲奈。肩を少し超えたくらいの綺麗な黒髪をキッチリ二つに分けて、しかも三つ編みなんかしちゃってる。
それでも絶対的で圧倒的な可愛さがあふれて、とどまることを知らない。制服のスカート丈も校則通りなのに、それを着こなしておしゃれにさえみえるスタイルの良さも、もう何もかも規格外に可愛い子。2年で同じクラスになって意気投合、で、今年も一緒。それは嬉しいのだけど、新学期早々に何で晶のハナシ?
「はぁ? 玲奈、眼科行くべきだよ、今すぐ、なう、今」
「今すぐ強調しすぎ。そぉかなぁ。1年の時同じクラスだったんだけど、あんなじゃなかったよ」
「あたし毎日見てるけどずっとあんなんだし、全然カッコ良くないでしょ、良く言って普通」
「やよ、パッチリ二重とか目立つ顔好きだもんね、吉澤良とかさ」
「単に好みの問題だけじゃないと思うけど。なんか織田信長みたいじゃん」
ぶーっ! と、玲奈がご飯を吹き出した。汚い、だけどそれすらも可愛い。なにこの生き物。
「もーぅ、やめてよー、お弁当食べてるときにそれとか、あははっ、はーお腹痛い! きゃははっ!」
めっちゃツボってる。まっすぐ机に入っていた足を横にだして、前屈みになって膝を叩いて笑っている。可愛いのに、動きがオバチャンくさいのがいい。ギャップというか、安心感? そういうところ、一緒にいてすごく楽しい。
「織田! 信長! 似てるかも! 似てるかもだけど! ぷぷぷっ、でもそれ割とイケメンなんじゃないの」
「なんでよ、こーんな顔じゃん」
「きゃはははっ! やだー」
あたしは両目の端を指で引っ張って、細目を作ってみせた。玲奈が更に体をよじって笑う。
「古賀の変顔、やっぱ女捨ててるよな!」
「黙ってればモテるのにな、非常に残念だよ、うんうん」
「あんたたちになんかモテたくないし!」
「ははは、男だったら良かったのになぁ」
「良くないっ、べーっだ!」
玲奈と同じく去年も一緒だったアホ男子3人組が、あたしをネタにする。面白いって言われるのは嫌いじゃない。むしろ好き。でもこのノリばかりしていると、女の子っぽいことするのが恥ずかしくなってきちゃう。だからずーっとこのキャラで定着してしまった。ホントはそうじゃない面だって、あるつもりなんだけど。
ていうか玲奈には彼氏いるし、それなのになんで晶のことなんか。
「とにかく、晶は全然カッコ良くないと思うよ」
「そーお? 幼なじみの恋とかないの?」
「ない! 絶対ないから! あたしはもっとギリギリドキドキの恋がいいのっ」
あたしと、ってことか! ないないない! ホントないから。
「あたしの理想はあたしのために命賭けてくれる男の人だよ。そのために特攻隊に志願しちゃうみたいな……」
「出たよ。やよのその想像力ってどっからくるの? 戦争起きるまで彼氏できないんだったら、やよ一生彼氏できないよー。せっかく可愛いのに」
別に可愛くはないと思う。ハッキリ顔で、どっちかっていうと男だったら割とイケメンだったかなとは思う。でも守ってあげたさみたいな成分が不足してる感じ。玲奈は真逆で、女のあたしがみても可愛くて守ってあげたくなるタイプ。そんなあたしを玲奈がしょーもないものを見るような目で笑う。
「だって昨日の『初恋散華』めっさ泣いたもん」
「ああ、特攻隊のやつね。ああいうの観たあとだいたいこうだよね」
「死んじゃうんだよ、行ったら死んじゃうの分かってて、好きな人のために行っちゃうんだよ、凄いじゃん! そんな風に想われたいじゃん?」
「まーそれも分からなくはないけど、平和がイチバンだよ」
「もぉー。そんなの当たり前じゃん。分かってるって」
分かってる。平和がイチバン。安定こそ幸せ。でも……、じゃあどうしてフィクションの世界はあんなにキラキラ輝いてるんだろうって、思ってしまう。そんなことを考えながら、あたしはチョイ焦げたから揚げの衣を剥くのがめんどくさくなって、お弁当箱のフタを閉じた。
***
正直、パラボラアンテナとかどうでもいいって思ってた。
桜が見ごろっていうのがいいなってくらいで、だけど地元もちょうど満開から終わりかけぐらいだから、そこもそんなにポイント高いって程でもなくて。
「…南十字星とは、1つの星ではなく1等星アクルックスを含めた5つの星からなる星座で、昔の人はこの星座を方角の目印にして航海などをしていました。この星座は…」
私たちは校外授業で隣県に来ている。大学の研究施設でプラネタリウム上映と宇宙の話を聞いて(後半寝てた)今から巨大パラボラアンテナを見学するところ。
「なぁなぁ、もう少しあっち行くと、海があるんだろ?」
「はぁー。せっかくここまで来たんだから海のほうがいいよなぁ」
「だよなぁ。はーダルい」
「こらそこ!貴様ら何を騒いどる!うるさいぞ!」
アホ男子たちがいつもと同じくふざけていたら、学年主任の田村が怒鳴り声をあげた。このご時世、下手したら保護者から問題にされそうな口の悪いオッサン先生。先生の声の方がよっぽどウルサイ。
あたしも海が良かったな。うちは海なし県だから、男子がはしゃぐのも無理はない。
「はーい、二列に並んでよく聞いて! 今から特別に天文台の上まで見学させていただきます! 職員の方の指示に従って、順番に入ること!」
だけどそういえば、パラボラアンテナのこと、天文台っていうの初めて知った。今まで衛星放送とかGPSのアンテナ、くらいにしか思ってなかったから。
それに、天文台といったら、覗いて星が見える天体望遠鏡の凄いバージョンのことだと思ってたし。パラボラアンテナではその望遠鏡で見えないものも見えるらしい。電波天文学、とかなんとか。どっちにしてもあたしには関係ないことだなと思った。