*2
「今日もよろしく」
スクール専用の建物から出て来た八木田橋さんは口元をニヤつかせながら私の元に来た。ついて来い、俺の命令は絶対だとでも言うように顎をしゃくる。私は返事をするのも癪でノーリアクションのまま後ろにつく。昨日とは違うリフトを2本乗り継いで、別のコースに着いた。
「今日はここで。コースは途中で枝分かれするけど好きな方で滑って」
そう言うと八木田橋さんは右のポールを振り上げて挨拶し、先に下りて行く。私は呆れて言葉も出ず、遅れを取る形でスタートした。今日の天気は晴れ。今日のコースは中級らしい。
昨日、あのあとはレッスンの予約をし、着替えたあと、近くのスーパーまで車を出した。もちろんこのホテルには普通の客室もあるのだが、私はコンドミニアムを予約していた。室料も半額だし、自炊すれば節約なるし、昼時に混むレストランを避けることもできる。米、パン、肉、魚、野菜、ワイン、チーズ、お茶、コーヒー、果物、ほか。夕刻に値下げになった品物を優先的にかごに入れた。なのにレッスン代に1万5千円。そんなに払う位なら食事付プランにできたのに。これから毎日レッスン代を出すのかと思うとため息が出た。
リフトの下を眺める。白い斜面を赤いウェアが通る。飄々と滑る奴を憎らしく思う。人の弱みに付け込んで体よく仕事をサボる男。
「ヤギっ!」
後ろから男の声がした。振り返るとすぐ後ろのリフトに乗った赤いウェアの人が下を見ていた。八木田橋さんは、いや、八木田橋はポールを上げて挨拶をする。ヤギ?、ヤギ。八木田橋の“ヤギ”。ニックネームか。
リフトを降りる。そのヤギと声を掛けた男の人も直に降りて、ビブをつけた私をジロジロと見た。
「キミが八木田橋を指名したコ?」
「はい」
「ね、ここへは何人で来たの?」
「ひとりですけど」
「ふうん。そう……」
不満げな相槌を入れられた。雪が重いから怪我のないようにね、と言うと彼はコースに消えた。何となく腑に落ちない、ううん、感じが悪くてムッと来たけど、もう会話もしないだろう相手に言い返しても疲れるだけだから跡も追わなかった。茫然とする。ご褒美に来たはずの旅行なのに、パッとしない。きっとそれは昨日水を零してしまったから。久々に雪の結晶を施したネイルを眺めて、脇に置いたグラスを忘れてしまったから。
「何ボンヤリしてるんだ?」
不意に声をかけられた。八木田橋だった。ヤギ。
「別に」
「奴に何か言われた?」
「人数聞かれた」
「それで?」
「ひとりって答えた。それだけ」
八木田橋は、ふうん、とホッとしたみたいだった。
「じゃあシャトルバスで?」
「ううん。車」
「4駆?」
「2駆」
「じゃチェーン巻いたのか? あの坂は2駆じゃ厳しいだろ」
女ひとりで、しかも車でチェーン巻いて登ってきた私が珍しかったんだとは思うけど、八木田橋に言われると友だちも彼氏もいないのかと馬鹿にされてるように感じた。
少し早いけど昼にすると言われ、顎で誘導される。リフトを1本下りきったところのロッジレストラン。私は部屋にもどって済ませる、と主張したけど、いいから、と再び顎で誘導される。板を外し置き場に立て、ワイヤー錠を掛けてから中に入る。トレーを持ち、棚から食べたいものを取り出して会計するカフェテリア方式だ。私はパスタだけを取り、会計をしようと先に並んだ八木田橋の後ろについた。レジ台脇のポップにはケーキセットの文字が揺れている。
「……」
レッスン代さえなければ、とため息をついた。いつもならデザートも食べるのに。
「ケーキセットふたつ追加します。あとこっちのも会計一緒で」
「は……?」
八木田橋はケーキの棚に目をやり、私に取ってこいと無言で訴える。仕方なしにケーキを取りに行った。チョコとチーズの2種類にした。
「コーヒー!」
八木田橋は財布から札を取り出して支払いを済ませながらそう叫んだ。コーヒーもふたつ取る。八木田橋は二人分のトレーを持ち、窓側の席に腰掛けた。私もケーキを乗せたトレーを持ち、追い掛けた。
八木田橋はさっさと食事を始めた。大盛りのカツ丼にかぶりつく。誰がどう見ても大盛という概念を超えた量。ラーメン用のどんぶりにご飯が山のように盛られ、そのすそ野をカツが囲う。それも一枚ではない、3枚ものカツが乗せられていた。その量は別として、猪苗代名物のソースカツ丼だ。
「ねえ!」
「座れよ」
「言われなくても座るわよ」
「食えよ」
私も腰掛けた。相変わらず八木田橋は不愛想だ。私の存在を無視してひたすらに口を動かす。いかにも男の食べ方だ。私もパスタにフォークを刺す。大好きなカルボナーラは白くあがる湯気にチーズの香りが乗り、鼻孔をくすぐる。おいしい。ふたくち三口と食べて、ふと、八木田橋がお金を払ってくれたのを思い出した。八木田橋は二枚目のカツに突入している。
「どうして、会計……」
そう問いかけるとコップの水で口の中のカツ丼をのどに流し込み、大きなのどぼとけはごくりと動いた。
「ここのケーキ、食いたかったんだよ」
「はあ?」
八木田橋は目を逸らして呟いた。
「男ひとりじゃ恥ずかしいだろ……」
チーズはドーム型でチョコはハート型。さらにアイシングやアザランで派手にデコレーションされている。明らかに向けだ。八木田橋は再びガツガツとカツ丼を食べ始めた。豪快。こういう食べ方、嫌いじゃない。
「滑り方は繊細なのにね」
「アンタがガサツなだけだろ」
八木田橋の言い方や態度の方がガサツだと思う。
「誰に教わった? 自己流か?」
「父」
それを聞くと八木田橋は、なるほど、と納得するように首を振った。
「だから古いのか」
「は?」
「アンタの滑り方は昔の真っ直ぐな板の滑り方。今はカービングなんだからそれに合わせて滑れよ。シリアル付きだろ、あれ」
ガツガツとご飯を口に放り込む。私もムカつく説教を聞きながらパスタをぐるぐると乱暴に巻く。
「スキークラブの爺さん達と同じ。時代が変わったのに意固地に昔の滑りに縋り付く。アンタの父親もそうなのか?」
父……。
「な、亡くなった人のことを悪く言わないでよ!」
私は思わず立ち上がり、テーブルを両手で叩いていた。八木田橋は手を止め、ギョロリと大きな目で上目遣いに睨んでいた。私は視線を感じてあたりを見回した。レストランにいたすべての客が私のほうを向いていた。
「……座れよ」
私が座ると、今度は奴がバツの悪そうに立ち上がった。奴は、水、と言ってウォーターサーバーのところに行った。
3年前、父は亡くなった。心筋梗塞。突然の出来事だった。65歳の定年を目前にして倒れた。健康が自慢で、スキー馬鹿で、真面目で優しくて。40歳になってようやく出来た娘は可愛いかったんだろうと親戚は皆、口をそろえて言う。
八木田橋は水を注いだコップをふたつ持って席にもどって来た。片方を私に無言で差し出す。確かに生前、父はカービングが馴染まないとこぼしていた。直線的な板をこまめに手入れし、愛していた。そんな父は誰にでも優しく接し、穏やかな人柄だった。仕事をサボり、顎で人を動かすこんな奴とは大違い。対極。対岸。正反対。
「食えよ」
「さっきも聞いた」
私は再びフォークを手にした。黙々と食べる。会話もなく、ひたすら口を動かす。八木田橋はカツ丼を一粒残らず綺麗に平らげると、脇に置いたケーキに目をやった。
「どっちがいい?」
「え?」
「だからどっち」
「八木田橋さんが食べるんでしょ?」
「ふたつも食えるかよ、馬鹿」
「ば、馬鹿?」
思わずフォークでパスタを突き刺した。皿に当たりコツンと大きな音が出る。
「……好きな方、選べよ。アンタも食いたそうにしてたから」
と目を逸らし、顎でケーキを指した。
「……じゃ、チーズ」
八木田橋はそれを聞くとチョコの皿に手を伸ばし、ざっくりとフォークを挿した。年のころは30歳位。大の男がハート型のケーキをかぶりつくのはちょっと滑稽さが漂う。思わず鼻がひくつく。
「笑うなよ」
「可愛い」
「うるさい」
午後は1本違うコースで滑る。更に雪質は重くなったけど相変わらず八木田橋の滑りは軽やかだった。赤いウェア、ぶれないフォーム、否が応でも目を引く。追い抜いた彼を皆が目で追う。綺麗に揃う足。跳ねすぎないフォーム。きっとふくらはぎの筋肉も腹筋も背筋も使って全身でこう……。いつの間にかシミュレーションしてる自分に気付いた。
「な、何真似てるんだろ」
ブンブンと頭を振る。でも浮かぶのは奴の滑る姿。再び頭を振る。奴の滑りを受け入れるのは父を裏切る気がする。絶対に真似するもんか。
午後のレッスン終了時間になり、麓のレストハウスまでもどる。ビブを脱いで八木田橋に返す。
「じゃ、明日」
「あ、明日?」
だって明日はスマホを買い替えに行くんじゃなかった?
「だって明日、休みなんでしょ? あ、分かった、私から直接レッスン代を受け取ってマージン無しでぶん取る気でしょ?」
「アホ」
「じゃ何よ」
「番号もアドレス消えたし、相当労力いると思うんだよなあ?」
八木田橋は薄笑いする。
「明日、一日付き合えよ。労働の対価を支払え」
対価? スマホに打ち込むのを手伝えとかじゃなく違うもの? まさか仕事を手伝え、まさか体を売れってコトじゃ……。
「ちょ、ちょっとまさか」
「明日ここに8時半で」
八木田橋はポールで挨拶すると平屋のスクール小屋に消えて行った。ホッとした。ここで集合ってことは体を差し出せってことじゃない。何をさせられるのか不安だけど、口が悪い割に態度も酷い割に根はそんなに悪い人じゃないって気がしていたから、また明日も来ようと思った。
「今日もよろしく」
スクール専用の建物から出て来た八木田橋さんは口元をニヤつかせながら私の元に来た。ついて来い、俺の命令は絶対だとでも言うように顎をしゃくる。私は返事をするのも癪でノーリアクションのまま後ろにつく。昨日とは違うリフトを2本乗り継いで、別のコースに着いた。
「今日はここで。コースは途中で枝分かれするけど好きな方で滑って」
そう言うと八木田橋さんは右のポールを振り上げて挨拶し、先に下りて行く。私は呆れて言葉も出ず、遅れを取る形でスタートした。今日の天気は晴れ。今日のコースは中級らしい。
昨日、あのあとはレッスンの予約をし、着替えたあと、近くのスーパーまで車を出した。もちろんこのホテルには普通の客室もあるのだが、私はコンドミニアムを予約していた。室料も半額だし、自炊すれば節約なるし、昼時に混むレストランを避けることもできる。米、パン、肉、魚、野菜、ワイン、チーズ、お茶、コーヒー、果物、ほか。夕刻に値下げになった品物を優先的にかごに入れた。なのにレッスン代に1万5千円。そんなに払う位なら食事付プランにできたのに。これから毎日レッスン代を出すのかと思うとため息が出た。
リフトの下を眺める。白い斜面を赤いウェアが通る。飄々と滑る奴を憎らしく思う。人の弱みに付け込んで体よく仕事をサボる男。
「ヤギっ!」
後ろから男の声がした。振り返るとすぐ後ろのリフトに乗った赤いウェアの人が下を見ていた。八木田橋さんは、いや、八木田橋はポールを上げて挨拶をする。ヤギ?、ヤギ。八木田橋の“ヤギ”。ニックネームか。
リフトを降りる。そのヤギと声を掛けた男の人も直に降りて、ビブをつけた私をジロジロと見た。
「キミが八木田橋を指名したコ?」
「はい」
「ね、ここへは何人で来たの?」
「ひとりですけど」
「ふうん。そう……」
不満げな相槌を入れられた。雪が重いから怪我のないようにね、と言うと彼はコースに消えた。何となく腑に落ちない、ううん、感じが悪くてムッと来たけど、もう会話もしないだろう相手に言い返しても疲れるだけだから跡も追わなかった。茫然とする。ご褒美に来たはずの旅行なのに、パッとしない。きっとそれは昨日水を零してしまったから。久々に雪の結晶を施したネイルを眺めて、脇に置いたグラスを忘れてしまったから。
「何ボンヤリしてるんだ?」
不意に声をかけられた。八木田橋だった。ヤギ。
「別に」
「奴に何か言われた?」
「人数聞かれた」
「それで?」
「ひとりって答えた。それだけ」
八木田橋は、ふうん、とホッとしたみたいだった。
「じゃあシャトルバスで?」
「ううん。車」
「4駆?」
「2駆」
「じゃチェーン巻いたのか? あの坂は2駆じゃ厳しいだろ」
女ひとりで、しかも車でチェーン巻いて登ってきた私が珍しかったんだとは思うけど、八木田橋に言われると友だちも彼氏もいないのかと馬鹿にされてるように感じた。
少し早いけど昼にすると言われ、顎で誘導される。リフトを1本下りきったところのロッジレストラン。私は部屋にもどって済ませる、と主張したけど、いいから、と再び顎で誘導される。板を外し置き場に立て、ワイヤー錠を掛けてから中に入る。トレーを持ち、棚から食べたいものを取り出して会計するカフェテリア方式だ。私はパスタだけを取り、会計をしようと先に並んだ八木田橋の後ろについた。レジ台脇のポップにはケーキセットの文字が揺れている。
「……」
レッスン代さえなければ、とため息をついた。いつもならデザートも食べるのに。
「ケーキセットふたつ追加します。あとこっちのも会計一緒で」
「は……?」
八木田橋はケーキの棚に目をやり、私に取ってこいと無言で訴える。仕方なしにケーキを取りに行った。チョコとチーズの2種類にした。
「コーヒー!」
八木田橋は財布から札を取り出して支払いを済ませながらそう叫んだ。コーヒーもふたつ取る。八木田橋は二人分のトレーを持ち、窓側の席に腰掛けた。私もケーキを乗せたトレーを持ち、追い掛けた。
八木田橋はさっさと食事を始めた。大盛りのカツ丼にかぶりつく。誰がどう見ても大盛という概念を超えた量。ラーメン用のどんぶりにご飯が山のように盛られ、そのすそ野をカツが囲う。それも一枚ではない、3枚ものカツが乗せられていた。その量は別として、猪苗代名物のソースカツ丼だ。
「ねえ!」
「座れよ」
「言われなくても座るわよ」
「食えよ」
私も腰掛けた。相変わらず八木田橋は不愛想だ。私の存在を無視してひたすらに口を動かす。いかにも男の食べ方だ。私もパスタにフォークを刺す。大好きなカルボナーラは白くあがる湯気にチーズの香りが乗り、鼻孔をくすぐる。おいしい。ふたくち三口と食べて、ふと、八木田橋がお金を払ってくれたのを思い出した。八木田橋は二枚目のカツに突入している。
「どうして、会計……」
そう問いかけるとコップの水で口の中のカツ丼をのどに流し込み、大きなのどぼとけはごくりと動いた。
「ここのケーキ、食いたかったんだよ」
「はあ?」
八木田橋は目を逸らして呟いた。
「男ひとりじゃ恥ずかしいだろ……」
チーズはドーム型でチョコはハート型。さらにアイシングやアザランで派手にデコレーションされている。明らかに向けだ。八木田橋は再びガツガツとカツ丼を食べ始めた。豪快。こういう食べ方、嫌いじゃない。
「滑り方は繊細なのにね」
「アンタがガサツなだけだろ」
八木田橋の言い方や態度の方がガサツだと思う。
「誰に教わった? 自己流か?」
「父」
それを聞くと八木田橋は、なるほど、と納得するように首を振った。
「だから古いのか」
「は?」
「アンタの滑り方は昔の真っ直ぐな板の滑り方。今はカービングなんだからそれに合わせて滑れよ。シリアル付きだろ、あれ」
ガツガツとご飯を口に放り込む。私もムカつく説教を聞きながらパスタをぐるぐると乱暴に巻く。
「スキークラブの爺さん達と同じ。時代が変わったのに意固地に昔の滑りに縋り付く。アンタの父親もそうなのか?」
父……。
「な、亡くなった人のことを悪く言わないでよ!」
私は思わず立ち上がり、テーブルを両手で叩いていた。八木田橋は手を止め、ギョロリと大きな目で上目遣いに睨んでいた。私は視線を感じてあたりを見回した。レストランにいたすべての客が私のほうを向いていた。
「……座れよ」
私が座ると、今度は奴がバツの悪そうに立ち上がった。奴は、水、と言ってウォーターサーバーのところに行った。
3年前、父は亡くなった。心筋梗塞。突然の出来事だった。65歳の定年を目前にして倒れた。健康が自慢で、スキー馬鹿で、真面目で優しくて。40歳になってようやく出来た娘は可愛いかったんだろうと親戚は皆、口をそろえて言う。
八木田橋は水を注いだコップをふたつ持って席にもどって来た。片方を私に無言で差し出す。確かに生前、父はカービングが馴染まないとこぼしていた。直線的な板をこまめに手入れし、愛していた。そんな父は誰にでも優しく接し、穏やかな人柄だった。仕事をサボり、顎で人を動かすこんな奴とは大違い。対極。対岸。正反対。
「食えよ」
「さっきも聞いた」
私は再びフォークを手にした。黙々と食べる。会話もなく、ひたすら口を動かす。八木田橋はカツ丼を一粒残らず綺麗に平らげると、脇に置いたケーキに目をやった。
「どっちがいい?」
「え?」
「だからどっち」
「八木田橋さんが食べるんでしょ?」
「ふたつも食えるかよ、馬鹿」
「ば、馬鹿?」
思わずフォークでパスタを突き刺した。皿に当たりコツンと大きな音が出る。
「……好きな方、選べよ。アンタも食いたそうにしてたから」
と目を逸らし、顎でケーキを指した。
「……じゃ、チーズ」
八木田橋はそれを聞くとチョコの皿に手を伸ばし、ざっくりとフォークを挿した。年のころは30歳位。大の男がハート型のケーキをかぶりつくのはちょっと滑稽さが漂う。思わず鼻がひくつく。
「笑うなよ」
「可愛い」
「うるさい」
午後は1本違うコースで滑る。更に雪質は重くなったけど相変わらず八木田橋の滑りは軽やかだった。赤いウェア、ぶれないフォーム、否が応でも目を引く。追い抜いた彼を皆が目で追う。綺麗に揃う足。跳ねすぎないフォーム。きっとふくらはぎの筋肉も腹筋も背筋も使って全身でこう……。いつの間にかシミュレーションしてる自分に気付いた。
「な、何真似てるんだろ」
ブンブンと頭を振る。でも浮かぶのは奴の滑る姿。再び頭を振る。奴の滑りを受け入れるのは父を裏切る気がする。絶対に真似するもんか。
午後のレッスン終了時間になり、麓のレストハウスまでもどる。ビブを脱いで八木田橋に返す。
「じゃ、明日」
「あ、明日?」
だって明日はスマホを買い替えに行くんじゃなかった?
「だって明日、休みなんでしょ? あ、分かった、私から直接レッスン代を受け取ってマージン無しでぶん取る気でしょ?」
「アホ」
「じゃ何よ」
「番号もアドレス消えたし、相当労力いると思うんだよなあ?」
八木田橋は薄笑いする。
「明日、一日付き合えよ。労働の対価を支払え」
対価? スマホに打ち込むのを手伝えとかじゃなく違うもの? まさか仕事を手伝え、まさか体を売れってコトじゃ……。
「ちょ、ちょっとまさか」
「明日ここに8時半で」
八木田橋はポールで挨拶すると平屋のスクール小屋に消えて行った。ホッとした。ここで集合ってことは体を差し出せってことじゃない。何をさせられるのか不安だけど、口が悪い割に態度も酷い割に根はそんなに悪い人じゃないって気がしていたから、また明日も来ようと思った。