私はケンの後を追うようにして横断歩道を渡り始めた。ちょうど通勤ラッシュの時間ということもあって、ここの道路は他と比べると混んでいる。

まばらに歩く人々を避けながら横断歩道を渡りきろうとした時、私の足は何かに引っかかってもつれ、そのまま体制を整える暇もなくどんどんコンクリートの地面が私に向かって詰めてくる。


「あっ……」


転ぶ!


そんな言葉すら呟く隙もないくせに、この光景がスローモーションにも感じとれて不思議だった。

顔面から転ぶくらいなら手をついてそれを防ぎたいと思う一方で、そうするとこのゆっくりと流れる時の空間も通常通りの時を取り戻し、私はやっぱり転ぶことを防げないんだろうな、って頭のどこかで冷静に物事を考えている。


そんな時だった。


「靴紐、次から変えておいた方がいい……」


そんな言葉が聞こえたと同時に、私の腕をぐいっと掴んで転びそうだった私を助けてくれたのは、横断歩道の向かい側にいたはずの、一見むさ苦しそうなおじさんだった。

意外だったのは、失礼ながらにもこのおじさんの衣類から洗濯したての香りがした事。柔軟剤が私好みだ、なんてバカみたいな事を考えていたら、男性は私が立ち上がったことを確認してから手を離した。


「……あ、ありがとうございます」


私が呆けた頭でお礼を言ってみせても、彼は私の方には見もせずそのまま歩き出した。


「何やってんだよ。信号変わるぞ」


どうやらケンは私の様子に気がついて歩道の真ん中まで戻ってきていた。


「いや、今転びそうになっちゃってさ、そしたら……あれ?」


振り返って男性の姿を追って見たけど、もう彼の姿はどこにも見当たらなかった。


「とにかくあぶねーからさっさと信号渡るぞ」


信号機の色が点滅しているのを確認して、私はケンの意見に無言で賛成した。