「遅いぞ、イチコ!」
「──ロク! ニーナ、ミツムネ、シロー! 遅れてごめんね。宝物を作るのに、時間がかかっちゃって……」
額ににじんだ汗をぬぐうことも忘れて謝ると、先ほど大声で私を呼んだロクが、「イチコはいつも、準備が遅いんだよな」と毒づいた。
「ロクってば、イチコがなかなか来ないから、ずっと心配してたくせに」
「そ、そんなことねーよっ。イチコが来なかったらコイツ抜きで、タイムカプセル埋めちまおうと思ってたし!」
「はいはい」
からかい口調になったニーナを、ロクが牽制する。
それをミツムネがニコニコしながら見つめていて、シローはどこか上の空で大きな木を見上げていた。
「もういいから、早く始めようぜ!」
真っ赤な顔をごまかすように声を荒らげたロクが、抱えていた銀色の缶箱を私たちの前へと差し出した。
時々おばあちゃんが家に持ってくる、お煎餅がたくさん入っている缶箱と同じくらいの大きさだ。
私たちはロクの指示どおりその中に、各々が持ってきた宝物と手紙を入れると、ドキドキしながら木の根元近くの土を掘った。
「それじゃあ、埋めるぞ」
ガポン、という独特な音を立てて閉じた缶箱を、ロクが掘ったばかりの穴に収める。
缶箱の蓋にはロクの汚い字で、【はながさきだんち ゆうじょうのタイムカプセル】と書かれていた。
「……なんだか、ドキドキするね」
私がぽつりとつぶやくと、隣のニーナが「そうだねぇ」と頬を染める。
「えーと、今、俺たちが七歳だから、掘り起こす時には……」
「十七歳だろ。多分、高校二年生とかになってる」
もたもたと指で数を数えるミツムネを、シローが冷静に諭した。
「十年後! 掘り起こす時に、この場所を忘れないように、俺がタイムカプセルの地図を持っておく!」
堂々と胸を張ったロクを前に、みんなで「ロクは地図、失くしそう」と笑い合った。
キラキラキラ、見えるものすべてが輝いている。
疑うこともまだ知らず、目の前にあるものがすべてだった、あの頃。
「うるせー! とにかく、十年後! またここで、みんなで集まるぞ! 約束な!」
──約束。
あの頃の私は、約束は、結べば必ず果たされるものだと信じていた。
信じていたというより、当然、やってくる未来だと疑わなかったのだ。
「イチコー! 早くしないと遅刻するわよ!!」
「ん……」
ぼんやりとまぶたを開けると、朝日が私の目元を優しく照らした。
顔の横にはいつ止めたのか、目覚まし時計が転がっている。
「もうっ、いい加減にしてよね! 高校二年生にもなって親に起こしてもらうなんて、イチコ以外にいないわよ!」
「うぅー……わかった、わかったから……。もう起きた。起きたから、あと五分だけ寝かせて」
「いい加減にしなさいっ!」
ピシャリと言われて布団まで剥ぎとられ、私はとうとう観念して上半身を起こした。
まだぼんやりしたままの頭の片隅には、夢で見た景色が焼き付いている。
――懐かしい夢を見た。
幼い頃に結んだ約束と、大好きだった友達と過ごした、かけがえのない時間の夢だ。
あの約束から、そろそろ十年。
今では当時のみんなが、どこでどんな生活を送っているのかすら、私は知らない。
『約束な!』
わずかに耳に残っているのは、夢の中でロクが言った、そんな言葉だ。
あの頃の私は、約束は、結べば必ず果たされるものだと信じていた。
だけど今の私は、約束は、必ず果たされるものではないと知っている。
「あー……早くしないと、また遅刻する」
くしゃりと髪をかき上げて、ゆっくりと立ち上がる。
私が今でも住んでいる花ヶ咲団地(はながさきだんち)には、あの頃一緒にいた四人はもう、誰ひとりとして住んではいなかった。
* * *
「勝浦(かつうら)いちこ。お前、今日もまた遅刻だったらしいな。いい加減、気を引き締めたらどうだ」
私は小さい頃から朝が苦手だ。
ふかふかの布団が大好きで、一度寝てしまうと地震が起きても目覚めない。
おかげで高校二年生になった今でも朝は母のお世話になっている。
そんな自分を情けなく思う反面、目覚ましを三つ置いても起きられない現状に、半ば諦めの気持ちもある。
「明日こそ早起きできるように、帰りに四つめの目覚ましを買って帰ります」
日直の当番日誌を担任の山瀬(やませ)先生に手渡しながら、ごまかすように小さく笑った。
すると、熊のように大きな身体をした先生に、「お前なぁ」と呆れ交じりのため息を返される。
今日は、大好きな漫画の新刊の発売日だ。
本屋に寄って新刊をゲットしたら、制服のままベッドの上に寝転んで幸せな時間に浸ろうと、もう三日も前から決めていた。
だから、先生からのお説教は手短に済ませてもらって、一刻も早く帰りたい。
「とにかく。お前はもっと、いろんなことを真面目に考えなさい。でないと来年は受験生だっていうのに、困るのは自分だぞ? そもそもまだ進路すらハッキリ決まってないんだから、まずはそこからじっくりと──」
「山瀬先生! ちょっといいですか? 今、来週の柔道部の習試合のことで、先方の先生からお電話が入っているのですが……」
お説教モードに入りかけていた山瀬先生を、タイミングよく数学担当の田中(たなか)先生が呼びに来た。
ようやくこちらから視線を外した山瀬先生を前に、私は一歩、後ずさる。
「ああ、すみません。ありがとうございます」
「それじゃあ、私はお邪魔になると申し訳ないので、今日は失礼します。先生、さようなら!」
「あ……コラッ! 勝浦、お前、まだ話は──」
話は終わっていなくても、そんなの聞いていられない。
さっさと回れ右をして、足早に職員室を出てから思わずホッと胸を撫で下ろした。
「ふぅ……」
よかった。あのままだと、長いお説教タイムに突入するところだった。
さぁ、帰ろう。
カバンを肩にかけ直し、昇降口に向かって足早に歩く。
日直の仕事と余計なお説教で、帰り時間がいつもより、ほんの少し遅くなってしまった。
頭の中は、好きな漫画の続きが気になって、そのことでいっぱいだった。
『お前はもっと、いろんなことを真面目に考えなさい。でないと来年は受験生だっていうのに、困るのは自分だぞ?』
だけど、たった今、先生に言われた言葉が脳裏を過り、息が詰まる。
いろんなことを真面目に考えるって、どうやって?
将来の夢も希望も――なにも持たない私に、いったいなにを考えろっていうの?
「バカみたい……」
昇降口を出て、ふと顔を上げると揺れる新緑が視界を埋めた。
ああ。そういえば十年前、あのタイムカプセルを埋めた時も、季節は春が終わったばかりの頃だった。
放課後に集まって、各々の当時の宝物を、あの小さな缶箱の中に詰めたんだ。
「……帰ろ」
ぽつりとつぶやいてから、前を向く。
頬を撫でたのは生ぬるい、初夏の濡れた風だった。
――あのタイムカプセルも、もう掘り起こすこともないだろう。
私は風で流れた髪を耳にかけると、通い慣れた道をひとり、急ぐ。
足元に転がる小石を蹴れば、それは何度か跳ねた後、道路脇の側溝へと転げ落ちた。
* * *
「……ハァ、最悪。売り切れとか、最初から予約しておくべきだったなぁ」
最寄りの本屋さんを出て、帰路についた私の足取りは重い。
お説教を勝手に切り上げてきたバチが当たったのか、お目当ての漫画の新刊は既に売り切れてしまっていた。
手に取るためには取り寄せするしか方法はなく、少なくとも三日はかかるということだ。
本当なら今頃は、浮かれながら帰宅しているはずだった。
お菓子まで買い込んで、思い切り漫画を楽しむ予定だったのに最悪だ。
「ハァ……」
やっぱり、こんな日に日直だったのがいけなかった。
ツイてない日は、嫌なことが続くものだ。
「楽しみにしてたのにぃ〜」
ぼんやりと宙を見上げてボヤけば、心には憂鬱の塊が落ちてきた。
……仕方がない。
うっかりSNSで漫画のネタバレを見ても嫌だし、今日はもう家に帰って大人しくしていよう。
さっさと寝て、せめて明日は遅刻しないように気をつけるべきかもしれない。
楽しみにしていた漫画も手に入らなかった上、明日も朝から山瀬先生に捕まってお説教されるなんて、それこそ最悪だ。
バカみたいなことを真剣に考えながら、私は自宅のある花ヶ咲団地の敷地内へと足を踏み入れた。
敷地内には四階建ての建物が五棟並んでいて、薄汚れた黒に近い灰色のコンクリート壁に、ところどころヒビまで入っている建物は、来年から外壁の改修工事が予定されているらしい。
団地の裏には小さな林があって、鬱蒼と木々が生い茂っていた。
私が住んでいる一〇五号室は一号棟の一階、団地内に整備された公園から一番近い場所にあり、小さい頃はそれが理由で、よくみんなにうらやましがられたものだ。
『イチコんちは、すぐに公園に行けるからいいよな!』なんて、そんなことを言っていたのは、あの四人のうち、誰だっけ?
「……イチコ?」
「……っ!」
一号棟の、我が家の古びた玄関扉まであと数メートル。
不意に名前を呼ばれた私は、足元へと落としていた視線を上げた。
見れば家に続く三段ほどの階段に、見覚えのない制服姿の男の子が立っている。