10年後、夜明けを待つ僕たちへ。

 


──約束。

あの頃の私は、約束は、結べば必ず果たされるものだと信じていた。

信じていたというより、当然、やってくる未来だと疑わなかったのだ。


十年後、私たちは思い知る。

変わらないものなんて、この世界には存在しないということ。


さぁ、もう一度、過去の自分の声に耳を澄ませて。

幼い頃に結んだ約束と、過去の自分が届けたかった想いが、立ち止まっている現在(いま)の私を変えていく――。

 
 


▶ 十年前の、僕らの約束





「イチコー! 遅刻だぞー!」


遠くで、大好きな友達のひとりが私を呼んだ。

顔を上げれば見慣れた光景が、目の前には広がっている。

桜が散って、緑の揺れる校庭。

小学校の裏山にある小さな神社の、一番大きな木の根元。

私は宝物と自分宛ての手紙を抱えて、約束の場所に向かって走り出した。

 
 


「遅いぞ、イチコ!」

「──ロク! ニーナ、ミツムネ、シロー! 遅れてごめんね。宝物を作るのに、時間がかかっちゃって……」


額ににじんだ汗をぬぐうことも忘れて謝ると、先ほど大声で私を呼んだロクが、「イチコはいつも、準備が遅いんだよな」と毒づいた。


「ロクってば、イチコがなかなか来ないから、ずっと心配してたくせに」

「そ、そんなことねーよっ。イチコが来なかったらコイツ抜きで、タイムカプセル埋めちまおうと思ってたし!」

「はいはい」


からかい口調になったニーナを、ロクが牽制する。

それをミツムネがニコニコしながら見つめていて、シローはどこか上の空で大きな木を見上げていた。


「もういいから、早く始めようぜ!」


真っ赤な顔をごまかすように声を荒らげたロクが、抱えていた銀色の缶箱を私たちの前へと差し出した。

時々おばあちゃんが家に持ってくる、お煎餅がたくさん入っている缶箱と同じくらいの大きさだ。

私たちはロクの指示どおりその中に、各々が持ってきた宝物と手紙を入れると、ドキドキしながら木の根元近くの土を掘った。

 
 


「それじゃあ、埋めるぞ」


ガポン、という独特な音を立てて閉じた缶箱を、ロクが掘ったばかりの穴に収める。

缶箱の蓋にはロクの汚い字で、【はながさきだんち ゆうじょうのタイムカプセル】と書かれていた。


「……なんだか、ドキドキするね」


私がぽつりとつぶやくと、隣のニーナが「そうだねぇ」と頬を染める。


「えーと、今、俺たちが七歳だから、掘り起こす時には……」

「十七歳だろ。多分、高校二年生とかになってる」


もたもたと指で数を数えるミツムネを、シローが冷静に諭した。


「十年後! 掘り起こす時に、この場所を忘れないように、俺がタイムカプセルの地図を持っておく!」


堂々と胸を張ったロクを前に、みんなで「ロクは地図、失くしそう」と笑い合った。

キラキラキラ、見えるものすべてが輝いている。

疑うこともまだ知らず、目の前にあるものがすべてだった、あの頃。


「うるせー! とにかく、十年後! またここで、みんなで集まるぞ! 約束な!」



──約束。

あの頃の私は、約束は、結べば必ず果たされるものだと信じていた。

信じていたというより、当然、やってくる未来だと疑わなかったのだ。

 
 






「イチコー! 早くしないと遅刻するわよ!!」

「ん……」


ぼんやりとまぶたを開けると、朝日が私の目元を優しく照らした。

顔の横にはいつ止めたのか、目覚まし時計が転がっている。


「もうっ、いい加減にしてよね! 高校二年生にもなって親に起こしてもらうなんて、イチコ以外にいないわよ!」

「うぅー……わかった、わかったから……。もう起きた。起きたから、あと五分だけ寝かせて」

「いい加減にしなさいっ!」


ピシャリと言われて布団まで剥ぎとられ、私はとうとう観念して上半身を起こした。

まだぼんやりしたままの頭の片隅には、夢で見た景色が焼き付いている。

 
 


――懐かしい夢を見た。

幼い頃に結んだ約束と、大好きだった友達と過ごした、かけがえのない時間の夢だ。

あの約束から、そろそろ十年。

今では当時のみんなが、どこでどんな生活を送っているのかすら、私は知らない。


『約束な!』


わずかに耳に残っているのは、夢の中でロクが言った、そんな言葉だ。

あの頃の私は、約束は、結べば必ず果たされるものだと信じていた。

だけど今の私は、約束は、必ず果たされるものではないと知っている。


「あー……早くしないと、また遅刻する」


くしゃりと髪をかき上げて、ゆっくりと立ち上がる。

私が今でも住んでいる花ヶ咲団地(はながさきだんち)には、あの頃一緒にいた四人はもう、誰ひとりとして住んではいなかった。

 
 

 * * *


「勝浦(かつうら)いちこ。お前、今日もまた遅刻だったらしいな。いい加減、気を引き締めたらどうだ」


私は小さい頃から朝が苦手だ。

ふかふかの布団が大好きで、一度寝てしまうと地震が起きても目覚めない。

おかげで高校二年生になった今でも朝は母のお世話になっている。

そんな自分を情けなく思う反面、目覚ましを三つ置いても起きられない現状に、半ば諦めの気持ちもある。


「明日こそ早起きできるように、帰りに四つめの目覚ましを買って帰ります」


日直の当番日誌を担任の山瀬(やませ)先生に手渡しながら、ごまかすように小さく笑った。

すると、熊のように大きな身体をした先生に、「お前なぁ」と呆れ交じりのため息を返される。

今日は、大好きな漫画の新刊の発売日だ。

本屋に寄って新刊をゲットしたら、制服のままベッドの上に寝転んで幸せな時間に浸ろうと、もう三日も前から決めていた。

だから、先生からのお説教は手短に済ませてもらって、一刻も早く帰りたい。

 
 


「とにかく。お前はもっと、いろんなことを真面目に考えなさい。でないと来年は受験生だっていうのに、困るのは自分だぞ? そもそもまだ進路すらハッキリ決まってないんだから、まずはそこからじっくりと──」

「山瀬先生! ちょっといいですか? 今、来週の柔道部の習試合のことで、先方の先生からお電話が入っているのですが……」


お説教モードに入りかけていた山瀬先生を、タイミングよく数学担当の田中(たなか)先生が呼びに来た。

ようやくこちらから視線を外した山瀬先生を前に、私は一歩、後ずさる。


「ああ、すみません。ありがとうございます」

「それじゃあ、私はお邪魔になると申し訳ないので、今日は失礼します。先生、さようなら!」

「あ……コラッ! 勝浦、お前、まだ話は──」


話は終わっていなくても、そんなの聞いていられない。

さっさと回れ右をして、足早に職員室を出てから思わずホッと胸を撫で下ろした。


「ふぅ……」


よかった。あのままだと、長いお説教タイムに突入するところだった。

さぁ、帰ろう。

カバンを肩にかけ直し、昇降口に向かって足早に歩く。

日直の仕事と余計なお説教で、帰り時間がいつもより、ほんの少し遅くなってしまった。

頭の中は、好きな漫画の続きが気になって、そのことでいっぱいだった。

 
 
 

『お前はもっと、いろんなことを真面目に考えなさい。でないと来年は受験生だっていうのに、困るのは自分だぞ?』


だけど、たった今、先生に言われた言葉が脳裏を過り、息が詰まる。

いろんなことを真面目に考えるって、どうやって?

将来の夢も希望も――なにも持たない私に、いったいなにを考えろっていうの?


「バカみたい……」


昇降口を出て、ふと顔を上げると揺れる新緑が視界を埋めた。

ああ。そういえば十年前、あのタイムカプセルを埋めた時も、季節は春が終わったばかりの頃だった。

放課後に集まって、各々の当時の宝物を、あの小さな缶箱の中に詰めたんだ。


「……帰ろ」


ぽつりとつぶやいてから、前を向く。

頬を撫でたのは生ぬるい、初夏の濡れた風だった。

――あのタイムカプセルも、もう掘り起こすこともないだろう。

私は風で流れた髪を耳にかけると、通い慣れた道をひとり、急ぐ。

足元に転がる小石を蹴れば、それは何度か跳ねた後、道路脇の側溝へと転げ落ちた。