ある日ふと、おれに夢ができた。なにかを提供する楽しさを無意識に知っていたことに気づいたためだ。おれは甘味処を経営しようと思い立った。

夫妻らにはすぐに夢ができた旨を伝えた。その実現のためにここを出るとも言った。しかし親のような存在の二人には止められた。それ程甘くないと言われた。それは重々承知だった。どこかの甘味処に住み込みで技術を習うなど、確かに容易いことではない。

しかしそれが自ら招いた困難ならば甘んじて受け入れようと思った。それを伝えると、美しい白髪の老婆が肯定してくれた。黙って応援するのも自分らの勤めであるといったことを語った。

竹倉家を離れたあとは確かに苦難が続いたが、反抗的な部分の残っていた当時のおれにはそれが快楽にさえ感じられた。

竹倉家を離れた数か月後、和菓子を作る技術を教えてくれる場所が見つかった。そこでおよそ六年、和菓子の作り方を叩き込んでもらった。次に、おれは京都へ向かった。金は、和菓子職人が成功しなければどうなるかわかっているなと言って出してくれた。その前にも、彼の優しさには度々涙を誘われた。

京都では抹茶の全てを学んだ。それにはおよそ七年掛かった。そしてこちらへ戻り、甘味処を開業した。和菓子職人には一番にそれを伝えた。それはなによりだと静かに褒められた。今後も苦難という快楽に浸ればいいと言われた。