しばらくの入院の間で、自分が交通事故に遭ったことを理解した。多くの番組でその事故について取り上げていた。

入院中、僕は一人でいる間ずっと鏡を見ていた。最初は、右にも眼球のようなものが存在していながら、それが眼球としての仕事を果たしていないというのが妙だった。

鏡を見ながら、もう一つ考えたことがあった。自分の顔に刻まれた線をなぞった。この傷はどうなるんだろう――。

退院後、風呂に入ってもう一か所の傷に気がついた。右肩の辺りに長くそれが残っていた。それに触れ、よく生きていたなと思った。様々な番組を観て、事故が僕の他複数人を巻き込んだ大きなものであったことはわかっていた。二名の死者も出た程のものだった。


学校へは、目元の傷が目立たなくなるまで義眼の上から眼帯を着用して通った。初めてその形で登校すると、友人らに色々な言葉を掛けられた。心配する声の他、なぜか、かっこいいという声が多く上がった。