僕の人生は、全体を見ればありふれたとは言えないものかもしれない。しかし、それを織り成す等身大の時間は、いずれもどこにでもあるようなものだった。

椿原恭太――ほんの短期間世話になった名前だ。名字はつばはらと読む。

物心付いた頃から、沢山の人の中にいた。当時幼かったために年上の人間が遥かに多かったが、同じくらいの年齢の人も少なくなかった。

僕は普通の幼稚園に通っていた。人見知りしない性格のためか、そこでの友達も多かった。

幼稚園から帰るのが当然であった場所にも「先生」と呼ぶ大人がいた。そこでは彼女らが僕達の教育をしていた。寝起きの悪い子供を決まった時間に起こし、食事を作って与え、それぞれの場所へ出掛ける子供たちを見送り、持って帰ってきた宿題に解けない部分があれば手伝う。彼女達がしていることはまるで親のようだった。

僕がそこを離れることになったのは五歳の頃だった。その時が訪れるより前に、僕がそこにいる理由を問うた。当時の僕は、自分のいる場所が一般的な普通とは少しばかり違うことをなにを理由にかわかっていた。

一人でいたところを助けたの、と先生は僕の問いに答えた。当時の僕は二歳程度だったという。名前は、わかっていなかったのか言葉が話せなかったのか、はたまた別の理由があったのか、当時の僕は名乗らなかったという。