ほっこり処 こうのはな〜幸せの砂時計~

薫子はベッドに脚を上げて横に倒れた。

「そういえば、さっきのテレビで死後の世界についてやってたじゃないですか」

「うん」

「わたし、死後の世界より来世の方があって欲しいです。生まれ変わりみたいな」

「来世か……」

あまり考えなさそうですねと笑う薫子へ苦笑を返す。

「ある意味、僕はもう生まれ変わってるからね」

「えっ、なんですかそのファンタジックな話」

「そんな面白いものじゃないよ」

僕が言いながら横になると、薫子は「絶対嘘です」と起き上がった。

「トシおばあちゃま達のお話素敵でしたもん。竹倉家の皆さんはきっと、素敵なお話持ってらっしゃるんです」

「純粋だね」と笑うと、薫子は「思い込みが激しいだけです」と言った。

「僕から見れば純粋なんだ。そのままいるんだよ」

常夜燈にしてと言うと、薫子ははいと紐を引いて横になった。
少ししてから「いやいや」と苦笑した。

「そうじゃなくて。恭太君のお話も聞かせて下さいよ」

「だめだめ、退屈すぎて語り手が寝ちゃうから」

「絶対嘘ですよ。トシおばあちゃま達もそう言って、退屈な話なんかじゃなかったですもん」

僕はふっと息をついた。「じゃあ、薫子が薫子のこと教えてくれたらね」

「え?」

「僕も薫子のこと知りたいんだ」

「わたしの話こそ、退屈ですよ」薫子はぽつりと言った。

「自分の話なんてそんなものなんだよ。だけど僕にとっては退屈なんかじゃない」

「わたしはただ……弱く幼く、愚かなだけです。そんな人間が主人公の話、誰が聞きたいんですか」

「僕が聞きたい。それに薫子は弱くない。自分を嫌いになれる人ほど強い人はいない。自分の短所を認められない人こそ弱いんだ」

「恭太君は、自分のこと好きなんですか?」

「好きだとは思ってないけど、本能には逆らえない。結局、どこかに自分を守っている部分を感じる」

「わたしは……強かったら恭太君達には出逢ってませんでした」

僕は小さく笑った。「弱くたって、死ぬわけじゃないんだよ」
街中が赤と緑に染まりきった十二月下旬、藤原君が店に訪れた。最後かと思った女性客を見送った直後だった。彼の名を発した声が薫子と重なる。

「久しぶり」と藤原君は笑った。笑顔は穏やかなもので、彼本人も幾分か元気そうだった。

「いらっしゃい」義雄が言った。「好きなとこ座りな」

じゃあここ、と藤原君は薫子の寄り掛かる二つ隣の席に着いた。薫子はレジカウンターへ向かう。

「なんか、店変わったの? 看板、違ったけど」

「ああ。いつだったかな、結構前に変えたんだ。食事処改め、ほっこり処こうのはなだ」いいだろうと義雄が言うと、藤原君は曖昧に頷いた。

「でもなんか、おれは食事処がよかったです。誰提案ですか?」

薫だ、と義雄はレジカウンターにいる薫子へ目をやった。

「余計なことしたな、植島」

薫子は小さく声を発し、ゆっくりとこちらを向いた。「やっぱりあれ……だめでしたかね」

「おい待て坊や。薫をいじめると痛い目に遭うぞ」

「義雄さん、植島のなんなんです?」

「ファンだ」

「まじで警察沙汰は勘弁だからね」僕が言った。義雄は「本物のファンは相手に迷惑は掛けないんだよ」と自慢げに言った。

失礼致しますとぽつりと言い、薫子は「お品書きでございます」と品書きを藤原君の前に置いた。
「ところで藤原君、今日は少し元気そうだね」僕は言った。「お茶ね」と梅の花が描かれた、湯気の立つ湯呑みを置く。

「まあね」母さんの調子が少し落ち着いたんだ、と藤原君は言った。

「母さん、あれから自殺未遂してね」

どきりとした。場の空気が変わった。

「夜中おれ達が寝たあとに家を出たようで、川に入って行くところを辺りの警備にまわっていた警察官に止められたらしい。それで自殺しようとしたのだと警察官に話したようで、父さんに連絡がきたらしい。おれと姉は父さんが出掛ける支度をする音で目が覚めた。母さんが警察に保護されたと聞いて、おれ達も一緒に行くことにした。その一件を機に、母さんは精神科に入院した。この間その面会に行った」初めて母さんの笑った顔が見られた、と藤原君は言った。だけど、と静かに続ける。

「結局父さんには母さんのこと知られる形になっちゃった。おれが襲われたことも」

「いいじゃん、それで。いやむしろそれでいいんだよ」僕が言った。

「父さんも同じようなこと言ってた」藤原君は微かに口角を上げた。「それどころか、父さんには怒られた。なんで言わなかったんだって。これではお前も母さんも辛いじゃないかって」

確かにそうだね、と薫子が言った。ごめんなさいと言う彼女へ、藤原君はゆっくりと目を向けた。

「わたしが変なこと言ったから。お母様と向き合えだなんて。そんなことをすれば、藤原君の身には多くの危険が及び、お母様も苦しいだなんてことは簡単に想像できたはずなのに」

「別に、植島のせいじゃないよ。周りの人になんて言われようと、最終的に決断するのはおれだったんだから」気にしないでと藤原君は穏やかに笑顔を見せた。

「それに、おれはもういいんだよ。母さんの調子は確かに落ち着いてきてるんだし。あまりに順調だから、もしかしたら悪化する場合もあるのかもしれないけど。その場合、一番苦しいのがおれじゃないことが悲しいけど」

義雄さん、と震えた薫子の声が言うと、義雄は静かにボックスティッシュを出した。「なんで植島が泣くんだよ」と藤原君は苦笑する。
「だって藤原君、いい人だから。いつかもっと、もっともっと幸せになってほしいって思ったら……」薫子は鼻をすすった。咳をするように声を上げて、多量のティッシュに顔をうずめた。

「えっ、本当になんで泣くの。おれ……おれのせい?」えっ、と困惑したような声を上げ、藤原君は義雄と雅美を見た。

「あまり薫を悲しませないでくれるかな」

「ええ……? まじでおれのせいなの?」わかった、と藤原君は品書きを手に取った。「うーわ」と声を上げる。「お品書きまで変わってんじゃねえか」

もうこうのはなの面影ないじゃんと藤原君は呟く。

「いいだろう? その品書き。薫が色々メニュー考えてくれてな。追加は多いわ既存の品書きは古くなってきてるわで、新しく作り変えたんだ」義雄はさらに「いいだろう」と続けた。

「いや、なんか……おれの知ってるこうのはながどんどん抹消されていくんだけど。植島が増えた頃から」

「いいだろう。いつまでも過去に縛られていてはだめだってことだよ」

「そうじゃなくてさ。こうのはなはなんか、伝統みたいなところあるじゃないっすか。だからこうのはなはなんか、そのまま残しておくべきものっていうか……」

そうかと義雄は笑った。「それだけこうのはなを愛してくれる人がいるというのは幸せなことだな」

まあどんどん進化していくけどと義雄が笑うと、藤原君はこうのはならしさは残して下さいねと返した。
それで坊や、と義雄は短い沈黙を破った。「なに食べて行くんだ? まさか閉店間際に話だけしにきたわけじゃあないよな?」

これが俗に言う脅しってやつかな、と藤原君は品書きを開いた。「はあ?」と声を発する。

「苺羊羹に蜜柑羊羹? うまいの、これ?」

「うまくないものは出さない主義だよ」義雄が言った。

薫子は鼻をかみながら「鼻水ってこんなに出るんですね」と苦笑する。「泣いたときのそれは涙らしいよ」と僕は返した。

「どうする、絶品フルーツ羊羹食べてみるか?」

「絶品つったってこれ……。苺はまあうまいと思うよ。苺大福とかあるし。だけどさ、蜜柑ってこれ……」

「じゃあわかった。坊やの好きな蕎麦やるから、一回食べてみ」義雄はそう言って羊羹の載った皿を二枚取り出した。「特別だぞ」と色の違う羊羹が一切れずつ載った皿を出す。

藤原君は羊羹と義雄を交互に見た。「羊羹食べたあとに蕎麦食べろと?」

違う違う、と義雄は顔の前で手をひらひらと動かす。「切ったやつあげるから。無料だぞ?」

「えっ、まじで? そういう蕎麦くれんの?」一拍置いて、藤原君は「ああ」と苦笑した。「残ったんすか」

「温かいのもやってるんだけどね」と義雄は笑う。「当然、あげる蕎麦はなんの問題もないよ。このあと切るから超絶新鮮。近日中に食べてな」

「こうのはなの蕎麦好きなんでめっちゃ嬉しいんすけど、そこまでしてこの変わり種羊羹食べさせたいんすか?」

「本当にうまいから。まあ薫が考えたんだから当然だがな」

「義雄さんのその植島への信頼なんなんすか」

これがファンだと言う義雄に苦笑し、藤原君は小さく切った苺羊羹を口に入れた。ゆっくりと咀嚼してふふふと笑う。「見た目ちょいきもいけどうまい」

「きもいって言うな」

「だって赤み帯びた羊羹っすよ?」きもくない、と藤原君は僕を見た。「夏には黄色い羊羹も出してるんだよ」と笑い返す。

「なに、バナナとか言うの?」

「正解。バナナとパイン」

絶対まずいと言う藤原君へ、義雄がそれがうまいんだよと感情のこもった声を返す。
義雄は蕎麦を切り始めた。

薫子は「ティッシュだいぶ減っちゃいました」と笑う。

「植島ってなんでそんな涙腺緩いの?」藤原君が言った。

「わたしの涙腺が緩いんじゃないよ。藤原君が泣かせにくるんだよ」

別にそんなつもりないけど、と藤原君は蜜柑羊羹を口に入れた。


「はい、三百五十円な」レジカウンターで義雄が言った。「百円玉、一枚多くないすか」と藤原君は苦笑する。「蕎麦代だ、気が変わったんだよ」

はははと義雄は楽しそうに笑った。「冗談冗談。二百五十円でいいよ」

「まじで蕎麦無料すか?」

「おれの誤算で生まれた残りものだし、なによりお前さんの笑顔が蕎麦代だ」

「あざっす」藤原君は財布から小銭を出した。

「三百円ね。はい、五十円お釣り」

どうも、と藤原君はそれを受け取った。

「じゃあ、また。いつもありがとうございます、遅くまで」

「おう。またいつでもこいよ」義雄が言った。

藤原君は「はい」と頷いて戸を開けた。僕達も続いて彼を見送った。「気をつけてね」と雅美が手を振る。
次の月曜日、僕はショッピングモールへ向かった。薫子と行ったのとは別の場所だ。

昨日、彼女の好きな不苦郎君について調べたところ、そのグッズを専門に売る店があることを知った。その店――“不苦郎わーるど”が近所のショッピングモールにあった。十二月二十六日――一日遅れの贈り物だ。


平日でありながら、駐車場の空きを探すのには苦労した。結構くるのだなと思った。

車を降りて鍵を閉めたとき、湿度の低い冷たい空気がコートの裾を揺らした。孤独を感じ、コートのハイネックで鼻の辺りまでを隠す。やはり寒さは苦手だなと思った。


店の中はコートなど必要ない程度の暖かさだったが、寒さを感じるよりずっとよかった。

不苦郎わーるどは二階の端にあった。店内には女性の姿が多かったが、ぽつぽつと男性の姿も確認できた。皆色々なものを知っているな――。

不苦郎君のグッズは色々なものがあった。文具やぬいぐるみ、食器、衣類、枕カバーや膝掛けがまず目に入った。

店内を一周して店を出た。サンタさん勇気なくなってきた、と腹の中にこぼす。薫子との共通点がなさすぎた。年齢が五つ違うことに加えて性別も違う。
僕は薫子の好きなものを思い返した。食べること、濃い色――特に赤紫、露出の少ない服装、不苦郎君――。はっとした。


「お会計、五千三百七十八円になります」

「ああすみません。ラッピングお願いしてもいいですか?」

「はい、可能でございます。無料と有料がございまして――」それぞれこちらのデザインからお選びいただけますと、女性店員はコルクボードに貼られた紙を二か所示した。どちらにも、白、桜、若緑と三色の袋の写真が並んでいる。

無料と有料とでは、右下に描かれている不苦郎君の周りにハートか四つ葉のクローバーが描かれているか否かに加え、袋の口を結ぶリボンが無地か縞模様が為されているかの違いがある。

「ではこれで」と僕は、四つ葉のクローバーが描かれた白い袋の写真を示した。

「かしこまりました。そうしますと……お会計変わりまして、五千五百七十八円になります」

僕は不苦郎君の描かれたレザー調のキャッシュトレイに五千六百円を出した。

「はい、五千と六百円お預かりします」女性店員はレジを操作したあと、「二十二円とレシートのお返しになります」と釣り銭とレシートを差し出した。「ラッピングの間少々お待ち下さい」と言う彼女へ「はい」と頷き、僕はレジの前を離れた。